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『原発列島を行く』鎌田慧 [書評]

本書は2001年9月に出版されている。フクシマの原発事故の10年近くも前である。2011年5月で第三刷が発行されたということは、あまり売れてなかったということであろう。しかし、もし、本書がより幅広く読まれていたら、フクシマの事故は回避できたかもしれない。本書を読むと、今回のフクシマの事故が「想定外」などではなく、むしろいつ起きてもおかしくない、ブレーキの効かないダンプカーを高速で走行しているような状態にあったことが理解できる。

筆者は本書をこう始める。「政府の原発強行政策も、東海村の「臨界事故」のあと、ようやくすこし手加減されつつあるようだ。それでもなお、無謀なものに変わりはない。いまのわたしの最大の関心事は、大事故が発生する前に、日本が原発からの撤退を完了しているかどうか。(中略)。大事故が発生してから、やはり原発はやめよう、というのでは、あたかも二度も原爆を落とされてから、ようやく敗戦を認めたのとおなじ最悪の選択である。」

筆者の願い虚しく、大事故は発生してしまった。しかし、筆者の想定とは違う状況が起きつつある。それは、大事故が発生してからも、原発はやめよう、という世論がそれほど形成されていないことである。最悪の選択より、ひどい選択を日本国民は選ぶような予感さえする。

どうして、そういうことが起きるのか。それは、しっかりと原発の危険、そして原発政策の欺瞞性を報告している本書などを無視しているからではないだろうか。フクシマ原発の事故で、原発の危険性はそれなりに他書から理解することができた。しかし、本書は、原発政策の欺瞞性、嘘、隠蔽体質を丁寧な取材にもとづいて白日のもとに晒している。「原発は民主主義の対極にある」。「原発は地域の民主化の最大の妨害物、というのが、ほかの地域をふくめた、原発地帯を取材しての私の結論である」。「原発にわたしが反対している大きな理由は、すべてカネの力で解決するやり方である。これほど人間をバカにしていることはない。」

著者が原発の反対を掲げていたのは、原発立地地域の人々の心をカネの力で荒廃させ、そして堕落させ、地域を崩壊させるというやり口であった。しかし、筆者が恐れていた事故が現実のもとになり、今、原発周辺の人々の健康と命までをも危険に晒し、そして地域をいわば人が住めないところにしてしまった。このような著書を出したものとして、その虚しさはどれほどのものかとも思う。

我々は、しかし、事故が起きた後ではなく、事故が起きた前に、しっかりと客観的に、多くの取材を踏まえての原発問題を論じた本書のような著書があるおかげで、より原発の根源的な問題を理解することができるのである。原発の工事を再開してほしい、と東電に陳情にいった青森県の東通村の人達をはじめ、原発推進を進めようとしている人達には是非とも、本書から目を背けずに読んでもらえたらと思う。

そこにはヒステリックな論調は一切なく、冷徹に原発問題を見据えて、その問題点を炙り出そうとする真摯なジャーナリストの姿勢がある。

ポストフクシマ時代において、将来へのビジョンを考えるうえで必読の本である。
原発列島を行く (集英社新書)

原発列島を行く (集英社新書)

  • 作者: 鎌田 慧
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2001/11/16
  • メディア: 新書



タグ:鎌田慧
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