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谷中商店街を訪れ、その集客力の秘密を考察する [都市デザイン]

谷中商店街を訪れる。谷中商店街が発展したのは、日暮里駅から千駄木まで抜ける通り道にあたったからである。人通りが多かったので、商店がぽつぽつと開業するようになった。その当時は、日用品中心の店舗がほとんどであった。しかし、その後、千代田線が開通し、千駄木駅ができ、また西日暮里駅がつくられたことなので、商店街は寂れていった。しかし、最近では、昔風の家並みや、ノスタルジー溢れる雰囲気が受けて、外来者が多く来るようになったそうだ。加えて、商店街を突き抜けたところに、外国人の宿泊施設が出来、海外の東京の観光ガイドブックなどに観光スポットとして紹介された。そのせいか、多くの観光客がこの商店街を訪れるようになる。

夕焼けだんだんから60店舗ちょっとという小規模の商店街。少ないので団結力はあるそうだ。最近では、ぼつぼつ若い人も入っているようだ。ゆうやけだんだんとして名付けたのは、ローカル誌である「谷根千」の編集長である森まゆみさんである。

谷中商店街の周辺は、寺町。お寺であるということで、第二次世界大戦中は爆撃をあまり受けず、その結果、街並みの面白さが残っている。また、依然として下町の「とうちゃん、かあちゃん」のやっている商店街風情は、今ではたいへん興味深い街並みを形成している。あとこの商店街の極めて特徴的なところはチェーンやコンビニがほとんどないこと。唯一、入っているのは100円ショップのキャン・ドゥである。チェーン店の代わりに人を集めるのは荒物屋さんである。箒とか長靴とかが若者に人気となっているそうだ。ちょっと前までは、奥さんが土日だけ開店していたのだが、今は週日も開店しているエコ的でノスタルジックな点が受けているようで、昔風の網籠。金盥とかも人気のようである。このようなユニークさ、ファスト風土とはまったく逆の地域個性の発露、これこそが谷中商店街の人気の原因であろう。

もう一つの特徴は自動車を100%ではないが排除していること。そもそも、商店街の一方は階段であるので、自動車による通過交通は完全にシャットアウトされる。さらに、この商店街は3時から8時まで車は入れない。納入業者の人達も3時までに用を済まさないといけない。そうでないと、他の道路に止めて台車で運んだりする。このチェーン店がないという反ファスト風土的状況と、アンチ自動車によるヒューマンな空間の実現が、谷中商店街の成功へと結びついていると思われる。

最近では外国人もそうだが、甲府などの地方都市からも人は来ている。これは地方都市ではファスト風土化などが進み、日本の伝統的な街並みのほとんどが消え去っていたからである。要するに、戦時中、そして戦後において破壊を推し進めた東京が、昭和20年代から30年代につくりあげた街並みレベルのものも、地方都市では徹底的に破壊したために、こんな程度の街並みでさえ東京に来ないと体験できないような状況になってしまっているのである。もちろん、京都や金沢などは違うだろうが、小京都と呼ばれているようなところも商店街はイオンなどによって客を奪われ、ほとんど壊滅的な状況にある。谷中商店街は、商店街という絶滅種としての希少性が高まっているからこそ集客が図れているのだ。まあ、それはそれでいいことだとは思うが、ファスト風土化と自動車社会化を進めた地方都市は本当、個性や地域性、空間アメニティを喪失してしまい、一体全体どこに向かおうとしているのだろう。谷中商店街に観光で来ているような状況じゃないだろう。

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