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ワシントンDCを訪れ、その茫漠たる密度の低さと間抜けた都市構造に嫌悪感を覚える [都市デザイン]

ワシントンDCという都市は、ジョージ・ワシントンによってその立地が決定され、18世紀末にピエール・ランファンによって基本計画が策定される。これはその後、20世紀になってマクミラン計画として一部が実現されるようになる。それによってつくられたのがナショナル・モール、連邦の記念館等の建設などである。

さて、このワシントンDCの都市構造の特徴としては、高さ規制と、格子状の区画割りの上をさらに斜めに通る幾つかの道路が通っていることであろう。前者は連邦議事堂の高さを越えることができないように設定されており、したがって9階建ての大きめの建築がどっしりと街並みを形づくっている。ある意味ではヒューマン・スケールだが、道路幅が広いこともあり、アクセントのない間抜けた空間が延々に続くといった印象を与える。個人的にはより気になるのは後者であり、そうでなくても低密度で広幅員の道路から構成される間抜けた都市空間をさらに斜めにも横切る道路が通っているので、道路だらけといった印象を与えるのである。その道路率の高さは尋常ではない。しかも、高さ規制がされているためか交通需要がそれほどないため、街中での道路はほとんど渋滞しない。まあ、ここまで道路だらけにすれば渋滞をしないで済むのかもしれないが、その非効率的な土地利用をすることで、都心部を歩くと茫漠たる気分にさせられる。とはいえ、ワシントンDCは行政の中心であることもあり、裕福な人々が多いことと、それなりの人口集積があるため、ジョージタウン大学の周辺やデュポン・サークル、Uストリート周辺など、それなりにアーバンな雰囲気がある空間をも擁している。まあ、これらが救いといえば救いであり、私にはオアシスに辿り着いたような気分にさせてくれる。

もう一点、気になったのはファサードや建築物が極めて表層的であることだ。これは、それ以前までは全然、気にならなかったのでヨーロッパで1年間過ごしたことで得られた視座だと思われる。新古典主義の博物館などをみると、もうその軽薄さに呆れるしかない。歴史の重み、オリジナリティの重要性を再認識する。この国において、フランク・ロイド・ライトやフランク・ゲーリー、フィリップ・ジョンソンなどのオリジナリティを創造できる建築家がいかに重要な存在であるかも知る。彼らは模倣だけの都市においては、新たな価値を創造することができる魔術師なのだ。

ということで、久しぶりに訪れたワシントンDCの都心部の茫漠たる密度の低さと間抜けた都市構造は嫌悪感を覚える。さらに、ジョージ・ガローの『エッジ・シティ』の代表的事例であるワシントンDCの郊外にあるタイソンズ・コーナーは、このワシントンの都心部の都市構造をそのまま拡大コピーしたかのような印象を与える。どちらにしろ、私的にはまったく受け付けられない、サステイナブルではない都市空間であり、強い抵抗を覚えたのである。こんなにもアメリカの都市に嫌悪を覚えているのは、私が変わったからであろう。そして、私が変わったのは繰り返すが、ヨーロッパで生活することによって初めて得られた視座によると思うのだ。まあ、こういう視座を獲得できたことだけでも、ヨーロッパで生活してよかったと思う。

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