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ワシントンDCに滞在して、アメリカという国は、未来が展望できないと痛感する [サステイナブルな問題]

 ワシントンDCに滞在している。といっても3泊だけだが。さて、この都市に滞在して、つくづくその文化レベルの低さ、効率の悪さ、社会生活レベルの酷さに辟易とした。文化レベルの低さで特に感じられるのは食事である。おそらく、世界で最も不味い食文化と、健康的にも極めて劣悪なる食事を強いられるのはこのアメリカという国ではないのか。ドイツに比べても、遙かに酷い。他にもレジャー等も基本的に消費文化が主体であり、この国に人間性を高めるような文化的活動があるのかと疑問に思う。せいぜい、ロックかジャズくらいではないのだろうか。大リーグの試合も観に行ったが、そのつまらなさ、時間の無駄さに呆然とする。こんなつまらないものの観戦に人生の貴重な時間を費やす虚しい行為をこれだけ多くの人が行っていることに唖然とする。効率の悪さは、おもにアクセスというか移動に関してだが、地下鉄は滅多にこないし、途中で止まったりして信頼性は日本の地下鉄に比べると、天と地ほどの差がある。まあ、そういう点ではドイツとかも決してよくはないのだが、ここワシントンDCも決して優れているとはいえない。ネットワークが不十分なことを考えると、ドイツの方がずっとましであろう。自動車で移動すればいいと言うかもしれないが、都心に広大なる駐車場を設けたり、道路だらけの都心を歩いていたりすると、自動車優先の都市構造の非人間性に疲労感を覚える。たまに、デュポン・サークルのようなヒューマン・スケール的な広場があり、多少、癒されたりはするが、焼け石に水的な感は否めない。そもそも、自動車での移動を前提としているので、移動エネルギーを相当、消費することになる。エネルギーが高価格化していくトレンドを考えると、このような都市構造に将来があるとはとても思えないのだ。そして、社会生活レベルの酷さである。郊外の大邸宅に住んでいると豊かな気分に浸れるのかもしれないが、圧倒的にこの都市には公共的な価値が少ない。これは日本もあまり多くないので何ともいえないが、ヨーロッパの都市とは多大なる差がある。日本はそれでも組織内における公共的な意識といったものがまだ存在する(昨今は著しく減少傾向にある)が、首切りや離婚などが横行するアメリカでは、そのような共同性もなく、その社会生活レベルの酷さは解決不能なのではないかとも思われる。
 私はアメリカで8年間暮らした。その後も、しょっちゅうアメリカに訪れており、長女はアメリカで生まれたためにアメリカ国籍も有している。ある意味で、アメリカは私の第二の故郷のような国である。しかし、今回のアメリカでの短い滞在ほど、アメリカの将来に絶望したことはなかった。これは、ドイツに1年間暮らしたために、ヨーロッパ的な視座でアメリカを分析することが可能になったからかもしれないが、どちらにしろ、この国の延長線上に人類の未来があるとはとても思えないなと感じたのである。このアメリカと同じ道を歩み、日本は心中するのか、それともうまく、アメリカと一蓮托生の関係を解き、独自の道を歩み、破滅を回避するのか。そろそろ、真剣に検討しなくてはいけないと思う。

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