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ヴュルツブルクの世界遺産であるレジデンツを訪れ、その建築物や庭園より、中にある博物館の展示に大いなる感銘を受ける [都市デザイン]

ドイツはヘッセン州のヴュルツブルクを訪れる。バイエルン州には世界遺産が4つあるが、そのうちの1つがこの町にある司教館とその庭園である。バイエルン州の大観光地といえばローテンブルクとノイヴァンシュタイン城、ツークシュピッツェ山だと思うが、これらは世界遺産として指定されていない。ノイヴァンシュタイン城は指定されるべき建造物であると思うし、ローテンブルクもクヴェードリンブルクやバンベルクの町が指定されるのであるなら指定されてもおかしくないような気がするし、ツークシュピッツェ山だってザクセン・アルプスが指定されているのであれば指定されてもおかしくないと思うのだが、世界遺産を決める誰かさんは、そうは思っていないようである。ここらへんの選定基準は興味深い。いつか調べたいと思う。前振りが長くなってしまったが、ヴュルツブルクの司教館に話を戻す。司教館というと、司教の宮殿ということだが、なぜ、司教がこんな立派な建物が必要なのかと思うほど、ここヴュルツブルクのものは立派な宮殿である。この宮殿内にある教会が、相当、ゴージャスというか豪華絢爛であり驚く。そして、庭園も素晴らしい。当時の司教というポジションが異常なほど権力を有していたことが分かる。

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(ヴュルツブルクの司教館。正面)

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(ヴュルツブルクの司教館。庭園側)

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(ヴュルツブルクの司教館に隣接してある教会。たいへんゴージャス)

まあ、そういうことで取りあえず、世界遺産としては興味深く、この18世紀に建てられたバロック建築を鑑賞した訳であるが、今回、非常に感銘を受けたのは、この宮殿内で行われていた展示であった。それは、ヴュルツブルクがいかに第二次世界大戦の破滅的状況から復興したかに関する展示であった。ヴュルツブルクは「マイムの真珠」と呼ばれるほどの美しい都市であった。実際、第二次世界大戦の爆撃以前のその街並みは驚くほど美しい。この美しい都市が、大戦の爆撃で9割近くが破壊される。その破壊状況を、爆撃後の空撮映像で展示されていたのだが、建物の外壁を除くとすべてが灰に帰したような惨状は思わず目を背けたくなるようなものだ。日本も酷い状況ではあったが、ここドイツも第二次世界大戦での戦禍は筆舌に尽くしがたい悲惨なものがある。

さて、そしてこの戦災からいかに復興していったのかということが展示されているのだが、基本コンセプトは戦災以前の状態に戻すということである。同じバイエルン州にあるローテンブルクなどは、爆撃したアメリカがその復興に多大なる援助をするという放火魔に火事見舞いを受け取るような行為によって、相当、中世の街並みは復興することができたが、ここヴュルツブルクは結構、苦労したようである。これはローテンブルクのような援助がそれほど受けられなかったことや、ローテンブルクが40%しか破壊されていないのに比して、ここヴュルツブルクは90%近くの建築物が破壊されたからである。まあ、元通りにするというのは何しろ時間がかかるし、辛抱もいる。ここヴュルツブルクのあるバイエルン州は戦災復興において、ドイツ国内で最も保守的な考えで取り組んだ州である。保守的というのは、なるべく戦災以前に復活させるということである。このバイエルン州の保守的な考えは、ドイツ国内でも揶揄されていたそうだ。特にハノーバーやカッセルといった都市は、復興というよりかは新築といったアプローチを採ったため、このバイエルン州の懐古的なアプローチを批判するような傾向があったようである。

さて、しかし終戦から60年経ち、ハノーバーやカッセルを素晴らしい都市であると思う人はドイツ人でも極めて少数派である。どちらかというと、私が生活しているルール圏の都市などとともに、最もつまらない魅力のない都市として評価されているような気がする。住みやすいけど、外部の人からみると魅力がない都市ということである。それに比べると、バイエルン州の諸都市は、多くの魅力を放って人々を内外から引きつけている。ヴュルツブルクもまさにそのような都市なのではないだろうか。マイム川の緩やかなる渓谷の両側に発展した都市は、戦災という難局を乗り越えて、その都市の記憶を内包させることに成功している。それは、都市のアイデンティティの維持でもあり、人々の都市への帰属意識や誇りを醸成させる。そして、外部からの来訪者は、その矜持に感心するのである。そして、現在のヴュルツブルクの魅力が、都市政策的な判断によってつくられたという事実に大いなる感銘を受けると同時に、普通の観光では知り得なかったそのようなことを分からせてくれた秀逸な展示に深く感心したのである。

短期的なマーケティング的な発想ではなく、長期的に、その都市が有する街の歴史、歩み、都市アイデンティティをしっかりと理解し、それを踏まえた都市づくりをすることが長期的に極めて有効だということが、ヴュルツブルクを始めとしたバイエルン州の都市を訪れると理解できる。単に、ロマンチック街道という周遊ルートをつくったから、ヴュルツブルクやローテンブルクの都市に観光客が訪れるのではない。ロマンチック街道という名前に値するコンテンツをしっかりと、戦災という大禍災を受けても、復元することに全力を尽くしたという不断の努力が、はじめて一大観光地としてヨーロッパの地図に位置づけられる成果をもたらしたといえよう。それは、戦後のバイエルンの都市政策の勝利でもあるといえよう。

今回の北バイエルンの旅行では聖霊降臨祭であるのを知らずにローテンブルクを訪れ、数多くの地元住民によるパフォーマンスを観ることができたり、世界遺産を見に来たら戦後復興の都市政策の展示を観ることができたりと、非常に棚からぼた餅的についていた。しかも、棚からぼた餅が二つも落ちてきたのである。なかなかいい一泊二日の旅行であった。
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