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オーストラリアを旅行してなんかむかついた気分になる [グローバルな問題]

 オーストラリアを二週間ほど旅行した。家族と一緒だったので、相当、行動に規制があったがそれなりにいろいろと発見もあった。東海岸をフレーザーアイランドからサンシャイン・コースト、ゴールド・コースト、ホリデー・コーストと移動し、シドニーまで南下しただけの旅行なので、包括的なことはもちろん言えないのだが、なんか意味もなくオーストラリアという国にむかついた旅行となった。どこがむかつくか、というとまず物価が高いということである。クッキーが2豪ドル、インターネットのアクセスが一時間5豪ドル、動物園に入ると48豪ドル、ジュースが500ミリリットルで3豪ドル、トラムという路面電車に乗っただけでも3豪ドル、40分くらいのフェリーが150ドルなど、もうこれでもか、これでもかと言うくらい金を取られる。しかも、物価が高いだけでなく、戦争直後の日本のように買い手ではなくて売り手の方が偉いので、消費者天国の日本から来ると、もう腹立たしいことだらけである。お願いですから売って下さい、と嘆願するような気分にさせられる。サービス産業も、しょうがねえなあ、サービスしてやるか、という感じである。消費者として卑屈にならざるおえない、というのは流通が未だ発達していないからだと推測されるが、それにしても「いつまでもいい気になっていられると思うなよ」と嫌味でもいいたくなるぐらいサービスが悪い。シドニーで宿泊したホテルのそばに商店街があったのだが、ここで6時以降に営業している小売店の経営者はトルコ移民とかイラク移民や中国系であった。ロンドンと同じようにシドニーという大都市に都市としての魅力を発露させているのは移民達である。レストランも同等に本当、対応が悪い。注文はなかなか取らないし、食事は出てこないし、しかも出てきた食事は不味い。まあ、不味いのはしょうがないのだが、レストランという接客業をする者として、なんか間違えてんじゃないのお、と言いたくなるような対応をする者が多い。これはタイ・レストランでもそうだったので、別に人種や民族的な問題だけでなく、オーストラリアの社会文化の問題なのではないか、と思う。これを裏付けるように、日本航空の日本人のグランド・ホステスの対応も非常に悪かった。この対応だけで日本航空の株は売った方がいいな、と思わせるくらいの対応の悪さだ。ラウンジの日本人女性もどうも、意味もなく不愉快な気分にさせられる。日本航空の社員の躾の良さは、もう過去のものになってしまったのであろうか。いや、おそらくこんなに悪い日本人社員はオーストラリアの現地採用枠だけであろう。

消費者として暮らすには、オーストラリアという国は、相当レベルが低いのではないかと思う。まあ、日本ほど消費者が甘やかされている国も少ないと思うが、アメリカやブラジル、ドイツなどと比べても悪い。アルゼンチンと同じくらいか。しかし、アルゼンチンは言葉が通じないので私にも非があるところも無いわけではない。しかも、アルゼンチンと比べてレストランで出てくるものの質ははるかに悪い、となると、いやはやもう消費をするならオーストラリアでないところでしたい、という思いを強くさせられた。唯一、対応がいいのが空港の通関業務をしている人達で、これはオーストラリアに金を落としてくれる観光客を大切にしろ、という指導が為されているからかもしれない。

加えて、私のむかむか油に火を注ぐのはスプーンとかフォークとかがプラスティックの使い捨てであることが多いことだ。これは、別にアメリカとかもそうなのだが、ごみとなるものを使用し、それを平気でどんどんと捨てる、という大量廃棄メンタリティにむかつくのである。そのくせ、大したところでもないのにエコの旗を振りかざして世界遺産の指定を次々と受けているところも気に入らない。まあ、難癖をつけるほど世界遺産としての指定は悪くはないかもしれないが、どうも納得できないところもある。表向きだけエコで裏では大量消費、大量廃棄という偽善性を感じ取るのである。これはスプーンとかフォークだけにむかついている訳ではない。それは氷山の一角であり、こういうことも改善できないようなら、もっと大きなところで自然破壊やエネルギーの無駄などをしていると推測されることがむかつくのである(そういう風に考えると、クリスタル・ウォーターなどのエコ・ビレッジが極めて例外的であるということも理解できる)。

そして、まあサービス産業のサービスの悪さとも通じるのだが、こんなに働かない人達の国なのに、我が国の円通貨に比べて豪ドル高が続いているということである。まあ、実態経済のシェアが1割程度の現状では、ひたすらマネー経済において日本が負け続けているということなのだろうが、こんなに働かず、サービスも出来ない人達が、なぜ我が国より経済的に豊かでいられるのか。なぜ、ニセコの土地をオーストラリア人に買い漁られなくてはならないのか。これは、明らかに日本の政治が駄目だからではないのだろうか。経済政策でやられまくっている。ということに改めて気付いてむかついているのである。

ちょうどオリンピックが開催されていることも私のむかつきに影響した。人口2000万人程度の国であるにも関わらず、46のメダル。日本のメダル数が25であることを考えると、人口当たりでは11倍の差がある。それが、オーストラリア人の生まれもっての能力の差であると捉えるか、他にすることがなくて暇なので一生懸命、恵まれた環境の中でトレーニングをした成果なのか。リゾート地を中心に巡ったこともあるのかもしれないが、私は後者のように思えてならないのだ。あちらこちらでジョギングや釣りといった遊びに興じるオーストラリア人を多くみた。まあ、自己実現のためにオリンピックで頑張っているだけの余裕やゆとりといったものを感じて不愉快になっているだけなのかもしれない。もうちょっと働けよ、と思うのは仕事漬けの日々を以前送ってきた私の僻みなのかもしれないが、まあ、なんかしっくりこない気持ちにさせられたのである。


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