SSブログ

キッズとガンモ [映画批評]

 アメリカ人の友人が大腸癌であと数週間と医者に宣告されたと、友人の奥さんからメイルが来た。彼は、大学の教員なのだが、極めて面白い参画型の講義を行う。私も明学の学生達と彼の指導を受けたことがあるのだが、ごみ袋で巨大な風船をつくり、その中に入って、学生はプレゼンをしたことがある。異様な環境の中では、コミュニケーションの仕方もちょっと平常とは違い、印象深い経験をしたことがある(http://homepage.mac.com/hattorikeiro/hattorikeiro2/iMovieTheater10.html)。
 見舞いに行きたいが、アメリカは遠い。落ち着かないので、とりあえず彼が以前、推薦したDVDを観た。キッズとガンモである。ガンモは既に観たことがある。キッズはDVDを数年前に購入していたのだが、どうも気が進まなくて観ることを避けていた。
 キッズは「タルサ」などの写真集で知られる写真家ラリー・クラークの初の監督作品で、ガンモはこのキッズの脚本を若干19歳の時に手掛けたハーモニー・コリンの監督デビュー作である。キッズを観るのに気が進まなかったのは、そのコピーが「愛しているからセックスするんじゃなくて、ただ単に気持ちいいからセックスする、不安も悩みもまったくない・・・そんな現代のニューヨーク・キッズの姿をリアルに描き、全世界に衝撃を与えた問題作」というものであったからである。わざわざ、そんなガキのリアルな姿を観るのは億劫というか、何かかったるい気持ちが強くて観なかったのだが、友人を理解したくなって観た。
 さて、その感想だが、非常に今ひとつであった。アマゾンのカスタマー・レビューとかの評価は高いが、私の評価は非常に低いものであった。これは、個人的な嗜好の違いなのかもしれないが、「若者が直面する問題をストレートに描き」というセールス・コピーとはウラハラに問題をしっかりとストレートに描いていなく、非常に曖昧な描写に終わっている。そこにむしろ私は監督の卑怯な姿勢を感じてしまうのである。
 この映画からうかがえるのは、この10代の破天荒で無軌道で衝動的な生き様への監督の憧憬である。そのくせにAIDSの問題を中途半端に持ち出しているところが偽善的で非常に鼻につく。どうせなら、AIDSなどを持ち出さずに、10代の無軌道で刹那的な生き様賛歌にしてくれた方がよっぽどましであった。映画の最後にAIDSを持ち出して、何が言いたかったのであろうか。AIDSを描くなら、女の子の死に様までをしっかりと追って欲しかったし、超ナンパ師のテリーがニューヨークの少女にAIDSを振りまいて、その結果、どのような悲惨な状態をもたらしたのかまでを描くべきだと思う。少なくとも、その原因であるテリーがどうなっていくかが描かれていないところには、不満しか残らない。私には、すき間だらけのエンディングには何のメッセージ性も感じなかったのである。これは、私の感性が鈍感であるというよりかは、監督がこの映画で描き出したいのは、そんな社会的メッセージではなく、無軌道な少年少女達のセックス・ライフ、ドラッグ・ライフであったからだと思う。映像からは、それが真の目的であるとしか思えない。こんな映画で、社会問題を描き出していると監督が自己満足に陥っているとしたら、相当、我々を馬鹿にしているであろう。ラリー・クラークはこれを撮影した時、既に50代であったのだが、当時10歳の息子と13歳の娘への言い訳としてAIDSの問題を最後に挿入したのではないかとさえ思わせられる。現実を直視しろ!とか格好つけても、別にそんなローティーンのセックス・ライフを何故敢えて映像で観させられなくてはいけないのか。そんなことを言うなら、非常に例えが汚くて恐縮だが、私の糞でも観ろと言いたい。私の糞も間違いなく、現実である。現実を直視しろ!人には敢えて観なくてもいいものはある。ローティーンのセックスが問題なのは、別にその現場を観なくても分かる。まあ、そういう映像を撮りたいのなら、勝手に撮ればいいのだが、AIDSとかを持ち出して、変に正当化しようとする根性が、本当に腹が立つ。この映画がなぜ、衝撃的かというと、それはチャイルド・ポルノのような映像にある。私はその傾向がないから推察になるが、いわゆるロリコン的趣味のある人は、この映画の映像に、ポルノ的な興奮を覚える筈だ。そういうことを制作側が意識していることは、DVDのケースの写真に、主人公のティーネイジャーが濃厚なキスをしているものを使っていることからも推察される。要するにパパラッチというか、ノゾキ見的な内容になっている。
 それに比べると、ガンモは遙かにいい。改めて観たのだが、キッズと比べて、そのような偽善性も微塵も感じられないし、性的なシーンもほとんどなく(乳首をテープに貼って剥がす場面がほとんど無意味に挿入されているが、まあ、キッズの映像に比べれば全く不快を感じない)、そんなものに頼らなくても、白人貧困層の出口のない絶望的日常を見事に描き出していると思われる。なんで、同じ脚本家が書いたのに、ここまで違う内容なのだろう。それは、ラリー・クラークが有している10代コンプレックスがガンモにはないからであろう。
 ということを、友人と議論したいものだ。まあ、そんな私の下らない考えを議論するほど彼には時間がないかもしれないが。彼は私の意見に納得しないような気がするが、彼との議論はおそらく私の視野を広げてくれるであろう。とはいえ、キッズはもう私の根源的な基盤において私は拒絶しているので、彼の意見を受け入れることはないとは思うが。まあ、私も、無軌道な10代を送っていた周りの人間を多少の羨望を持って観ていたことがある。中学卒業後、不良になった中学の同級生の女の子に振られたこともあり、そういう世界に足を踏み入れられない自分が非常に情けなかったし、振られたので当然、強い劣等感をも持った。だからクラーク監督の気持ちも分からないでもない。しかし、そういう動機で映像を撮るなら、AIDSを持ち出して大人ぶらないで欲しいんだよね。無軌道な10代なライフスタイルに憧れている50代ということ自体は、ある意味、恥ずかしいのだから、自分の嗜好により忠実になり、そのコンセプトに徹底して欲しかった。というか、そういうところで誤魔化そうとする性格が、彼のトラウマである「10代を過ごし損ねた」(彼のコメント)人生を送ってしまった理由なのではないだろうか。




共通テーマ:日記・雑感