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京都のサービス業はドイツ並みの酷さだと思う時がある [京都生活]

京都のサービス業の質は悪い。観光客相手の商売は、売り手側であってもそれほど酷くないとは思う。本当に悪いのは生活者相手の商売をやっているものだ。しかも、個店ではなくチェーン系が酷い。もう上げればキリがないのだが、例えば京阪電鉄。乗り越しの計算とかで、平気で実際より高額の請求をする。しかも、間違いを指摘すると、正確な値段をもう一度落とそうとする。間違えられて、さらにそれを指摘すると、より損をさせられそうになる。もう、油断も隙もない。スーパーもひどい。フレスコという京都のチェーンの出来事であったが、袋の大小を聞かれたから、「小でも入りますかね」と尋ねたら、「入るから聞いてんだ」みたいに言い返された。耳を疑いましたよ。しかし、これはより大きな阪急系のイズミヤでも同じようなものだ。いや、イズミヤぐらいになるとしっかりとしている人の方が多いが、それでもやはりプリペイ・カードのトラブルで、修正してくれとお願いすると、木で鼻をくくるような対応をしてくる。いや、カスタマー・サービスのおばさんなんですけど。カスタマー・サービスをしないなら、レジとか他の仕事をしていろよ。これは、デシャブ的なものを感じたので記憶を辿ったらドイツのサービス業での対応を思い出した。まあ、ドイツはサービスないに等しいから。それにしても、この京都の企業におけるサービス業のレベルの低さは本当、愕然とする。不動産業も企業系は本当に酷い。東京では50年間ぐらい一度も体験したことがないような不愉快な出来事が、もう日常茶飯事的に起きる。実は、これは大学の事務でも起きていることで、もしかしたら、これは京都の地域文化とも関係しているのかな、と思ったりもする。最初は、関西の文化かなとも思ったのだが、大阪ではほとんどそういう不愉快な思いをしたことがない。何か、根源的に相手を思いやろうというかエンパシーの気持ちが欠如している印象を京都では受けるのだ。まあ、しかし個店は別だから、京都というか、企業文化とも関係しているかもしれない。

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JR桜井線(万葉まほろば線)に乗る [サステイナブルな問題]

私の学生が卒論で桜井線(万葉まほろば線)をテーマにしている。桜井線、これまで乗ったことはない。指導するうえでこれは不味いだろうということで、天気も晴れていたので乗車をしにいく。しかし、京都では秋晴れのいい天気だったのに近鉄奈良駅に着いたら雨。ついていない。そこから奈良駅まで歩いて行ってもいいのだが、奈良町でもちょっと巡るかということで、一駅歩いて京終駅まで行く。途中、雨足が強くなって、逃げるようにして駅舎に駆け込む。ちなみに京終駅ってどう読むか分かるだろうか?「きょうばて」だ。もう、ここまで当て字だと、漢字としての機能を失っているのではないかといいたくもなる。ちなみに、桜井線はその後も、帯解(おびとけ)、櫟本(いちのもと)、巻向(まきむくえ)、香具山(かぐやま)、畝傍(うねび)という難読の駅が続く。ちなみに駅数は14で、その延長距離は30キロメートル弱である。
 京終駅は、なんかエライお洒落で、待合室にピアノなどが置かれている。おそろしく洗練されたカフェが併設されており、そこでは小物グッズが販売されているのだが、それらもセレクト・グッズのように上品でお洒落なのである。なんでも二年半前に開業したそうだ。電車が来る前に珈琲を注文したのだが、出てくるまでに3分ぐらい待たされた。これは、丁寧に淹れているからであり、スローライフのお洒落駅という感じだ。駅には車掌さんのような方がいて、この人はJRの社員かボランティアのおじさんか、危ないおじさんかは分からなかったのだが、待合室で待機している観光客と思しき人に町の解説をしていた。ちょっとお話を聞きたかったが、電車が来たので駅を後にする。電車は二両編成で最新の車輌であった。とても快適な車輌である。驚いたのは、結構、乗客が多いということで立っている人などもいる。一時間に二本というダイヤではあるが、これは結構、人々の足としては機能しているといえるのではないだろうか。いや、当然、赤字ではあろうが、これは例えばドイツのローカル鉄道などと比較すると、ずっと使われている。JRは当然、廃線にしたいという意向があるかもしれないが、これは奈良県とかがしっかりと維持しておくべき路線だなという印象を持つ。というか、本当、上下分離を一刻も早く実施すべきだと思う。
 当然、単線なのだが、なぜか天理駅は二つ島型のホームであった。しかも橋上駅。単線でホームを4つつくることの意味が分からないのだが、何かあるのだろうか?ちなみに天理駅周辺はえらい立派で、金がかかっているように見えた。世界を代表する宗教都市。初めて訪れたような気がするが、今度、しっかりと調べてみたいなと思ったりもする。
 車窓からの風景は田園に安普請の郊外住宅が並ぶ、乱開発された光景。まったく美しくないが、遠くに目をやると山の稜線が美しい。この郊外住宅の醜悪の光景は結構、ずっと続く。
桜井駅で線路は90度に曲り、ここからは近鉄線と並行して走っていく。さて、私は終点の高田駅まで乗らずに畝傍駅で降りる。畝傍駅は結構、立派な駅で駅の駐輪場には多くの自転車が駐輪していた、駐車場も結構、車が駐車されていた。しかし、これらが桜井線の利用者かどうかは不明だ。
 ドイツに住んでいた時、鉄道を乗りまくっており、多くのローカル鉄道も乗ったが、この桜井線は郊外鉄道の性格も有しており、近鉄が平行に走っていたりするので経営的に難しい側面もあるが、活用の可能性は多いにあるなというのが率直な感想だ。まあ、逆にいえば、これぐらいの利用者がいて、沿線の土地開発が進んでいても公共交通が黒字にならないのは世界的にみれば当然な話なので、これらを公共事業体が税金で担っていくか、少なくとも上下分離にすることは一刻も早く検討すべき課題であろう。
 

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のび太は変態だ [その他]

お子さんがいる家族とドライブをする。自動車内ではDVDのドラえもんが流れていたので一緒にみる。さて、幾つかのエピソードがあるのだが、テーマは皆、のび太がいかに静香ちゃんをモノにするのかで一貫している。のび太はもうやる気がないダメ男という設定ではあるが、静香ちゃんへの欲情的な感情は凄まじいものがある。というか、変態だ。ど根性ガエルのひろしに似ているが、ひろしは確か中学生だったからな。小学生で、あそこまで強烈に女の子に執着するのは異常だ。というか、あそこまで一つのことに執着できるのであれば全然、やる気がないダメ男ではない。とはいえ、ドラえもんを使って卑劣な手段を使ってでも静香ちゃんをモノにしようとするのは、ドン引きである。ちゅうか、もっと静香ちゃんという可愛い子ではなくて、何か、他に生きる目的をつくれよな。このDVDを見て、私は二人の娘の父親であるが、絶対のび太には娘をやりたくないなとつくづく思った。というか、最初のエピソードでドラえもんがのび太の将来を見せて、その時にジャイ子がお嫁さんになっていて、のび太は絶望するのだが、ジャイ子だってのび太が旦那というのは酷すぎる。というか、ジャイ子の方が実は静香ちゃんよりのび太の嫁さんには合っていると思う。というのものび太は静香ちゃんと結婚したら、それで目的を達成して、その後は生きる屍というか、それから人生と向き合うことになると思うのだが、そもそもダメ男であることを考えると、もう生きる目的を失うと思うからだ。というか、ジャイ子の扱い、酷すぎだろう。静香ちゃんだって幸せになる権利はある。そして、ジャイ子にだって幸せになる権利がある。ドラえもんはジャイ子にも必要なんじゃないか。世の中はのび太のために回っている訳ではない。という感想を抱いた。

タグ:のび太
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大川村に行く [サステイナブルな問題]

四国は高知県にある大川村に訪れました。新居浜に前泊して、9時に開業するレンタカー屋で車を借りて、一路、大川村に。大川村は高知県にあるのですが、愛媛県の方が早く行けるのです。新居浜からは西条の方まで行き、そこから国道194号線で南下します。この国道194号は四国山地を縦断するのですが、四国山地の険しさは半端じゃない。中国山地とはエライ違いです。まさに急峻で絶壁。以前、石鎚山に登った時にも驚いたのですが、改めて驚く。この険しさは私が経験した中でも南アルプスの甲斐駒ヶ岳周辺とか並みです。東北地方の山々も私が知っている限りですが、こんな険しいところはありません。その険しい中を自動車で走っていきます。紅葉が美しく、ドライブ自体は楽しいのですが、やはり遠い。さらに、役場のそばで土砂崩れが起きて迂回路を行く羽目になります。対向車とのすれ違いも難しいような険路を行き、ようやく役場に着いた時は約束の11時を20分も遅れてしまいました。

役場では取材をさせていただき、大川村のことをまあまあ知ることができました。まず、その前に大川村に何で行くの?という疑問を持たれる奇特な読者もいるかもしれないので説明させていただきます。大川村は離島を除くと、奈良県の野迫川村に次いで人口が少ない自治体です。その数、なんと354人(野迫川村は340人)。1960年までは4000人も住んでいましたから、この60年間で9割も人口が減ってしまった自治体です。これって、日本ではそれほど珍しくないのですが(夕張など)、海外の自治体だとよほど特殊なケースでないと、そういう事例は見当たりません。ただ、大川村は実は相当な特殊ケースではあります。というのも1977年につくられた早明浦ダムによって、村役場を含めて村の大部分が水没しているからです。これによって、1980年には人口は既に1000人を下回っています。とはいえ、それでも40年で6割以上の人口が減っています。このままだと、大川村はどうなるのか?私は増田さんの「地方消滅」という考えに凄い抵抗を覚える者ですが、大川村はそうはいっても心配です。そこで、数字だけみると愕然とするけど、実際、そこで生活している人はどう思っているのか。ということで、現地を見て、役場の方にお話を聞こうと思った次第なのです。特に社会減のネットをいかに少なくできるか、という問いを心の中に持ちつつ、質問をしてみました。

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<村役場の建物>

まず、学校ですが、小学校と中学校は村にありますが、高校はありません。その結果、ほとんどが高校の時に村を出ます。そして、下宿か寮、兄弟や親戚と一緒に生活したりします。一番近い高校は嶺北高校なのですが、そこに進学する学生はあまり多くなく高知市まで出る子が多いそうです。大川村中学校はバトミントンしかクラブがないので、バトミントンに熱を入れる子が多いらしいのですが、ここらへんだと高知商業がバトミントンだとよいので、そこに進学する子も少なくないとのことです。

どうせ村を出るのであれば思い切って大阪や東京に行く選択肢はあるのでは、と尋ねるとそういう学生はほとんどいないそうです。これは、親が休みの日には会いに行って面倒をみたいから、そこそこ行きやすい、高知あたりが望ましいからだとのことです。

さて、中学を卒業した子たちは、そのまま村に戻ってこない場合がほとんどです。Uターンがゼロという訳ではないけど少ない。それは雇用がないからです。主な就職先は役場、農協、森林組合、社会福祉協議会、郵便局、小学校の教員。それに村の第三セクターです。大川村の産業は畜産業、それと観光業です。ここでは市場経済で成立するような地域産業はほとんどありません。それではなぜ村が成立したのか。疑問に思われるかもしれませんが、ここには銅山がありました。四国の銅山といえば別子銅山が有名ですが、大川村の白滝銅山は四国では三番目の産出量を誇り、さらに林業も栄えていたので、不交付団体であった時もありました。経済的豊かさを提供してくれる土地であったから人々が多くこの山間部の僻地に来たのだな、ということが分かります。しかし、白滝銅山は閉山し、林業は全国どこにでもいえることでしょうが、木材の値段が下落し、やればやるだけ赤字になるという構造不況に陥ってしまいました。農業もなかなか難しく、専業農家がつくっているものはからぴーまん、花卉栽培(百合)、ほうれん草だそうです。森林割合は、と聞くとそれは不明だそうですが、高知県ですでに84%。明らかに高知市などより森林だらけなので、ほぼ森林ということになるのかもしれません。農業に活路を見出せないのが大川村の厳しいところです。

市場経済のロジックだけで考えると、この村は「市場から撤退」するべきだと考えられるかもしれませんが、本当にそれでいいのだろうか。市場経済というルールをそこまで絶対的なもので捉えていいのだろうか。いろいろと疑問は湧きます。昨今、コロナで外国産材が入らなくなって、木材の値段は高くなっている傾向もあります。円の弱体化が進む中、林業の復活というシナリオもあり得るかもしれません。

大川村は地域おこし協力隊を積極的に受け入れています。これがIターンの主力です。とはいえ、最長で3年間です。参加者の半分が3年間いますが、なかには1年、2年で辞めてしまう人達もいます。それは個人的な理由もありますが、期待していたことと現実とのギャップがあったということも否定できません。地域おこし協力隊の人達がそもそもなぜ、大川村を選ぶのか。それは、自分のやりたいことをやれそう、つまり自己実現が図れると考えるからです。そのような人は登山とか観光関係の仕事をつきたいと考えています。大学時代に登山をやっていて、それを活かした観光開発などができないかと考える訳です。他には、ウェブ・デザイナーの仕事を募集をしていたのだが大川村だけだったので、その募集内容で来た人もいるようです。ミスマッチが起きて、明らかな喧嘩別れはないそうです。早めに辞める人は、他にやりたいことが見つかったか、もしくは大川村の中で暮らしていてイメージしたものとちょっと違うな、と思って辞められるケースが多いようです。

大川村の特徴としては、人口が少ないのでいい意味でも悪い意味でも地域の方と関わることになる。村はのんびりしているんじゃないか?と思われるけど、実態は少ない人口で回さなくてはいけないので忙しい。自分の仕事ではなく、コミュニティの仕事に追われる。つまり、お金をもらえる仕事ではなく、通常の仕事が終わった後、コミュニティとしてすることが多い。特に若者達は労働力が期待されている。いろいろな集まりがあるので、それらは仲間に入れてもらえる、ということでは有り難いが自分の時間はなくなっていく。こういう「田舎の集まり」で時間が取られることをストレスに感じる場合も多くみられるそうです。

村役場には23〜24人ほどいます。これは全人口の6.7%が公務員ということで凄い割合の高さではあるのだが、逆にこの人数で全部の村の仕事を回さなくてはならない。少ないからといって調査の数が減る訳ではありません。ただ、職員は全員、村民だそうです。これは、群馬県の南牧村や京都府の笠置町といった人口縮小自治体とは大きな違いです。それだけ僻地ということかもしれません。この村に住まないと、いざという時にかけつけなくてはならないことが大きな理由です。

集落はこの役場があるところ以外に西の方にもあります。そちらには以前は小学校がありましたが、今は閉校しました。その集落の子供はスクールバスで学校に通っています。大川村は地理的には愛媛県の方が近い。高知市だと自動車で二時間、西条だと一時間ぐらいかかります。しかし、なぜ高知県なのか。これは1999年に寒風山トンネルができたから愛媛県の方が近くなったためで、それまでは高知県の方がずっと近かったそうです。私の取材に応じてくれた大川村の役場の人は高知出身ということもあって、高知に買物に行きます。ただ、最近では西条市や新居浜市のショッピング・センターに買物に行く人は増えたそうです。縮小都市というと「買物難民」の課題がついてくるかとは思いますが、大川村には農協の移動販売車が入ってきていることもあってそれほど問題はないそうです。村内にはコミュニティ・バスという荷物と人が乗せられる交通サービスもあるそうです。また、食材は難しいかもしれないですが、ネットショッピングを使う人は多いそうです。お年寄りはあまり利用していないですが、60歳ぐらいまでだと利用している人が多いようです。とはいえ、ネットショッピングはよほど値段が高くないと、大川村には運んだ時点で赤字でしょう。ドローン販売などの普及が求められるようになるかもしれません。高齢者の場合は、一般的には、週末に家族が食材を送り届けるというのがパターンのようです。家族はたいてい高知か愛媛県に住んでいます。

400人規模の自治体に住んでいて難しい点は、人間関係に気をつけないといけないことのようです。村人の中で親戚関係の場合が多い。そういうのは都会と違っているようです。人の悪口は言わない方がよい。あと、行政サービス的には非常に手厚いものがあるようです。村役場の方は「過保護かな」と言っていました。行政と地域は近く、一人一人への対応が丁寧。7%の村民が役場の職員ということは、まあそういうことでしょうが、これが村人各人が負担していたら、とてもじゃないですが行政は成り立ちません。また、行政がしっかりとしているので「お上に頼る」、「役場がどうにかしれくれる」という依存気質は強いようです。

住民ですが、高齢化が進んでいますが42%ぐらいと、驚くほど高い訳ではありません。というか、大川村は今、ベビー・ラッシュだそうです。これは最近、結婚をされた方が多いからです。この10年間ぐらいには戻ってきている人もおり、地域おこし協力隊でやってきて地元の女性と結婚した人も2人います。地域おこし協力隊員は二人とも男性だそうです。

村の将来ビジョンとしては、村長は400人の人口を維持するとの目標を掲げています。現在は370人ちょっとで、人口減少には歯止めがかかっているとはいえます。移住・定住政策としては、土佐はちきん地鶏事業で雇用を生むことに成功しています。土佐はちきん地鶏はブランド地鶏で、ここ15〜20年ほど注目されています。それ以前は大川黒牛。それらを知ってもらうために謝肉祭を行ってきました。あと、地域おこし協力隊にたくさん入ってもらうようにしているということがあります。観光産業としては、観光資源としては山。いくつか登れる山があるので登山をどうにかできないか。あと、ダム建設をプラスに取り組むようにして、ウォータースポーツやワカサギ釣りなどを展開できればと考えているそうです。キャンプ場もあります。観光も一つのコンテンツでは難しいのでツアー化したいと考えているそうです。ここで宿泊できるような形で進めているようです。

社会増で人口を維持するための最大の課題は、それらの人が住む家がないということです。空き家は多くあります。しかし、それらは老朽化していてとても住むことができません。空き家の調査はしているので、持ち主は分かっているところが多いです。意外と持ち主は近場に住んでいます。すぐ住めそうなところに関しては、持ち主の交渉したのですが、一軒ぐらいしか使わせてもらえませんでした。これは、しっかりと管理されている空き家は、それなりに持ち主のニーズがあるからです。一方で手入れもされないと3年ぐらい放っておかれるとあっという間に風化してしまいます。それでは、移住してきた人はどこに住むかというと、村営住宅に入ります。学校のそばとかに公営住宅もあります。これら二つ会わせると39戸。家賃は収入によって変動しますが、だいたい1万円から6万円ぐらいだそうです。

ということで、人口が最小か二番目に最小の自治体、大川村を訪れ、そこで得られた情報を簡単に整理してみました。そもそも人が住んだ歴史が浅く、銅山で人が集まってきた訳ですから、銅山が閉山するとここに住む理由がなくなります。また、ダムでそもそもの村が沈まされた。昔の役場は今、ダム湖の下に存在して、渇水の時には姿を現したりもします。そもそも少なかった平地の中でも、人が生活しやすい部分はダム湖に沈んでしまった。林業が復活できれば、またここに住む人々も増えるのかもしれませんが、なかなか厳しいものがあります。とはいえ、市場経済のロジックをかざして、ここは人が住むべきではない、という主張をすることには強い抵抗を覚えます。いろいろと人口減少という政策課題の難しさを抱えた村です。

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<最も人口が多い集落>

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<ダム湖。この湖の下に昔の役場などが沈んでいる>

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<少しの平地に家々は建てられている>

タグ:大川村
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