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中崎町のコモン・カフェに何も考えずに行き、度肝を抜かれる [都市デザイン]

大阪の中崎町にゼミ生達と街歩きに訪れる。その後、12月に話題提供で話をしてくれとの依頼を受けたコモン・カフェにゼミ長と二人で顔を出す。あくまでも下見という軽い気分で訪れたのだ。その日は、ジャズ・セッションを行うということは知っていたが、おそらく素人に毛が生えた程度の、フィール・ライク・メイキング・ラブとかサニーとかのジャズのスタンダードを演奏するバンドが出ているのだろうぐらいの心構えで臨んだ。お客さんは10人ぐらいで、まあ、それほど人気もないのだろうな、と思っていたのだが、演奏が始まったらちょっと違う。ギターの音色とコードが普通ではない。ループを使っての演奏だが、もうどうやって計算しているのかも分からないテクニックを駆使している。ドラムのリズムが超絶タイトだ。なんと、素人どころか、バカテク・ミュージシャンである。平気で5拍子の曲にギターとベースがポリリズムのメロディを重ねてくる。なんで、こんなミュージシャンがこんな場末のカフェ(ライブハウスではない!)で演奏しているのか。狐に包まれたような気分になる。アンコールを含めて二時間ぐらいの演奏後、ちょっと放心したのだが、ギタリストと話をすることができた。そこで、あのピエール・モーレン率いるプログレ・バンドのゴングの元メンバーとも競演したり、フィル・コリンズが在籍していたブランドXのメンバーとも演奏したことのある超絶凄腕ギタリストだということが判明した。驚いたあ。思わず、握手をさせてもらった。なんでこんなミュージシャンがこんな場末のようなカフェで演奏しているのか。それは、このコモン・カフェというのは日替わり店長で運営されているのだが、この日は、30年以上もジャズのライブハウスを経営されていた方で、まだ、無名時代のミュージシャンの面倒をみていたことがあったので、それでその後プロとして羽ばたいたミュージシャンも演奏の依頼に応じてくれるからだそうだ。やっぱり、人は金じゃなくて縁で動くんだなあ、ということを改めて再確認。それにしても中崎町、奥が深すぎるだろう。久し振りに驚かされて、実に気持ちがいい夜を過ごせた。こういう発見は本当、嬉しい。これこそ都市の魅力だな。

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アメリカでは流産すると犯罪! [トランプのアメリカ]

アメリカでは堕胎をするどころか流産しても犯罪となる可能性が出てきた。先日、オクラホマ州の21歳の女性が流産をしたことで訴えられ、4年の懲役が確定された。
https://www.cbsnews.com/news/brittany-poolaw-manslaughter-miscarriage-pregnancy/

21歳のブリットニー・プーラウはメタンフェタミンを接種したことによって流産した。流産した胎児を検死したところ、体内からメタンフェタミンが見つかった。しかし、メタンフェタミンの接種と流産との因果関係は不明とのことだ。

しかし、それにも関わらず、プーラウには殺人罪が適用された。ちなみに胎児は妊娠15〜17週間であったようだ。これはまだ子宮外で育つ状態ではないということだ(24週間経つと可能性は高くなる)。

堕胎が犯罪という法律が罷り通ると、流産しても殺人罪が適用されるというのは、もうキチガイ国家に近い。国会に乱入し、破壊行為をした人達が、ボランティア数週間とかいう軽い罪しか問われないのに、もしかしたら不本意に流産したかもしれない女性が懲役4年というのはあまりにもバランスに欠いていないか。トランプが大統領に当選してから、アメリカの狂気があの国を覆いつつある。その行き先は固唾を呑んでみているしかないが、日本もそれに巻き込まれるのは必至であろう。

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中沢新一の眞子さん騒動に関する記事 [その他]

眞子さまが結婚会見をしたことで、多くのマスコミが掌を返したようにお祝いムードを演出しようとしている。こういう迎合的な姿勢は鼻白むばかりだが、私の問題意識を哲学者の中沢新一が見事に私より述べられているので、下記に引用させてもらう。10月23・30日号の『週間現代』に掲載された(p.79)。



昭和天皇がつくりあげた、このポストヒューマンな象徴天皇の像は、平成と令和の両天皇によって、それぞれの流儀でなぞらえられ、維持されてきた。中心部に空虚がすえられているこの構造は、日本人の精神構造ともみごとにフィットしているため、国民はごく自然に、皇室を敬愛することができた。

ところがその敬愛の情が、いま大きく揺らぎ始めているのを、私たちは感じている。ポストヒューマンな象徴天皇の像に、月並みで頭の悪い人間中心主義(ヒューマニズム)が侵入して、国民と皇室が共同でつくりあげてきた、象徴天皇制というひどく頭のいいせっかくのミトロジー作品を、台無しにしてしまおうとしているからである。

「個人の自由な意思」などは、世界を統べている理性の前では、まことにちっぽけなものにすぎないというのが、象徴天皇の考えを上から支えている、根本思想である。ましてやその「個人の意思」を言い張ったお方が、間違った相手をつかんでしまったと気がつけば、天皇制を下から支えている国民が、ネットに盛大に落首を上げるのは当然の行為で、それを誹謗中傷などと批判することのほうがむしろ恥ずかしい。

以上

 さすが賢い人は分かりやすい文章を書く。まさに本質を突いていると思われる。

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小室圭と眞子様の結婚反対の行進デモを考える [その他]

小室さんと眞子様の結婚反対の行進デモが行われている。そして、それに対して「呪わずに祝おうよ」とか「眞子様可愛そうだよ。もう祝ってあげようよ」などと、本当、この異常事態(異常事態というのはデモのことではなく、眞子様の結婚のことである)に対して無自覚で呑気な声がSNSなどであげられているようだ。この結婚の異常事態を考えれば行進デモの一つでもしたくなるのは、日本という国家のことを多少でも考え、天皇制のことを将来的にも維持したいと意識する人達であれば当然のことであるし、愛国的な行為であるとさえ思われる。
 現行の天皇は「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」である。象徴天皇は世界でも類がない制度であり、それを具体化させるうえで昭和天皇、平成天皇は大変な努力をなされてきた。天皇制度は第二次世界大戦で消滅される危機にあった。それを国民を統べる象徴として残すという選択をGHQはしたのである。そして、象徴を意味あるものにするのは、それが象徴であると信じる国民があって初めて成立するものである。戦後のお二人の天皇、そして現在の令和天皇も、その象徴という具象なき観念をいかに国民に共有させるかで立派にその役割を果たしてきた。
 そして、その象徴性は「神」であった天皇家という日本の歴史をある程度、現代にも継承させることによって、それが纏っていた神格性、カリスマで強化してきたといってもよい。それに加えて、昭和天皇、平成天皇の献身的な姿勢、国民への慈愛(個人的には特に平成天皇と美智子妃殿下)の深さが、国民の天皇家への親愛を育んできたといえよう。国際法では「戦争責任」があるとされる天皇が、象徴として日本人の心を統べるようになるには相当の年月と説得が必要であった。ちなみに、そのために美智子妃殿下が果たした役割は相当大きなものがあったと考えられる。
 このように象徴天皇というのは、常にそのシンボル性を維持させていかなくてはならない難しい制度である。そして、そのシンボル性は、個を超越した国家、そして国民への献身との引き換えに得られるものであり、その信頼ゆえに我々国民は天皇という象徴に敬意と思慕の情を持つのである。それは、「一個人の感情」などを超越したところで初めて成立し得るものであるのだ。いや、個人の感情は人間だから持つのは当然だとしても、その感情よりも「国」という観念への献身というものを優先させることで、象徴としての天皇制は維持される。
 そうはいっても、「結婚すれば一般国民になるのであるから自由にさせてもいいのでは」という意見を持つかもしれないが、それは国民が受容できる範疇である相手でなければ、天皇制の信頼は失墜する。失礼ながら、小室家に嫁ぐというのは、一般的な家庭の親であっても相当悩むであろう。横浜中華街の老舗中華料理店の令嬢は、小室圭との結婚を許されなかったそうだが、それは一般的なごく常識的な家庭の判断であると思われる。父親と父親方の両親が自殺をしていること、父親の友人から多額のお金を借りていて返却していないこと(を先方から訴えられていること)、母親がアルバイト先の学芸大学のマッターホルンというケーキ屋を捻挫をしただけで訴えていること、など、ちょっとあげただけでも嫁がせたくないなと思う理由は数多とでてくる。姪っ子の結婚相手であったら多くの人が反対するであろう。
 そして、この件に対しての国民の落胆は、天皇制の象徴性を瓦解させているのだ。私も眞子様が誰と結婚しようとどうでもいいのだが、抵抗するのは、これまで昭和天皇、平成天皇が努力に努力を重ねて築き上げてきた天皇制の象徴がズタズタにされているからである。それは、眞子様の問題ではなく、象徴天皇という制度への信頼度を失墜させていることへの問題なのである。
 眞子様の結婚問題は、象徴天皇制という制度の崩壊、少なくとも大きく弱体化させることにつながり、私はそういう意味で、もう小室圭は日本史に名を残した(200年後の日本史の入試勉強では暗記しなくてはいけない人物となっていると確信している)といえるし、現代のラスプーチンであることは間違いない。
 したがって、結婚反対でデモしている人達は、眞子様の結婚を反対しているだけでなく、この結婚がもたらす天皇制への存亡の危機、そして国家という共同幻想にまで及ぶかもしれない危機を自覚していなくても有していると思われるのである。
 また、本当に驚くのは宮内庁のダメさ加減ぶりである。そもそも、こういう事態にさせないために宮内庁は存在しているのに、まったく仕事をしないどころか、眞子様を擁護するような対応さえしている。眞子様こそが、象徴天皇制をぶっつぶそうとしてる急先鋒で、実は宮内庁の最大の敵が眞子様であることさえ理解できていないのはダメすぎだ。天皇制がなくなれば宮内庁もいらなくなるということが分からないのか。国民に代わって、この天皇という象徴性を維持するために奮闘努力しなくてはいけないのに、まったく自分の仕事の役割をも分かっていない。というか、紀宮様の時にはしっかりと事前に銀行から都庁へと転職させたりして、紀宮様だけでなく黒田様もお守りしていたのに、今の宮内庁は目を覆う悲惨さだ。というか、本当、税金返してくれ。
 眞子様には自由に結婚させてあげるべきだ、という意見があるが、象徴としての天皇家の眞子様は国民の多くが祝福して、納得してもらうような結婚相手を選ぶ責任が生まれた時からある。それは、その「象徴性」を強化しなくても、貶めない相手を選ぶべきで、おそらく、それが唯一、我々の税金を使って暮らしてきたことへの恩返しに近い(それに比べれば他の公務などはまったく取るに足らない雑用だ)。いや、国民は相当、寛容であると思う。その国民がデモをしてまで反対する相手を選んだというのは、天皇家としてはまさに失格であり、そのような状況に眞子様を追い込んだ宮内庁は、一昔前だったら切腹ものの失態だなと思ったりもする。
 ある弁護士が、ネットニュースで「自分の意思で選んだ人と結婚することは、極めて重要な人権である。結婚・恋愛は、人生の幸せに直結する、最も重要な選択だ。それを否定しようという社会の空気は、まるで時計の針を封建時代に戻したかのようである」と記していたが、天皇家を一般人と同じ土俵に上げて論じている、ある意味、大変天皇家に対して失礼な考えを持っているかなと思うが、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴である天皇家は一般人とはまったく異なる重要性を有している。このような意見を主張すると、実は天皇家の存在意義が問われてくる。もちろん、天皇家でなければ、眞子様が誰と結婚しても世間がとやかく言う必要はない。しかし、それは国民の象徴である天皇家の結婚である。国民が納得しない結婚を強行するのは、国民への裏切り行為であるし、それに反対運動する気持ちはよく分かる。「封建時代」云々ではなく、天皇制を象徴としても掲げているというのはそういうことなのだ。つまり、「封建時代」以前からも存在している天皇という象徴を現代でも引き継いできているのであり、そりゃ「封建時代どころか封建時代以前からあるお家の話ですよ」と捉えるべきものなのだ。何も分かっていないのはこの弁護士だ。
 とはいえ、私は別に天皇制がなくなっても、ちょっと残念だけど受け入れられる。ただ、平成天皇、美智子妃殿下の日本という国への強い思いを考えると、それは少し悔しい。私のような一国民でさえ、このような気持ちを天皇制に抱いているのに、そのかけらさえ眞子様は持っていないように振る舞っている現状は、天皇という象徴に大きな汚点を残している。その汚点がこれ以上、広がらないようにしっかりと事後処理をしないと、本当、天皇家は滅びるかもしれない。

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那須岳(日本百名山52座登頂) [日本百名山]

10月10日のまさに紅葉日和に那須岳にチャレンジする。9時に那須塩原駅にてゼミの卒業生3人を拾い、レンタカーにて那須ロープウェイの乗車口に向かう。さて、しかし、那須ロープウェイの入り口から渋滞が続いているようで、この状況ではロープウェイ乗車口では駐車が出来ないのではと考えて、大丸駐車場のところで車を駐車し、そこからバスで行くことにする。これは結果論的に大正解の判断となった。大丸駐車場からはバスにはすぐ乗れたが、当たり前だがバスも渋滞でほとんど移動できない。運転手さんが、歩いた方が早いですよ、と言って皆を降ろしてくれたので、そのようにする。大丸駐車場からロープウェイ乗車口までは、20分ほどであった。道路と並行するようにトレイルが整備されているので歩きやすい。ロープウェイに乗って山頂に着いたのは11時。三本鎗岳に行くのは遅くとも9時発とガイドブックに書いてあったので、これはもう茶臼岳と朝日岳の二つだなと判断する。
 さて、下の方は晴れていたのだが、ロープウェイの頂上口はガスが凄く、視界は悪い。さらに結構の風が吹いていて、先が思いやられる。茶臼岳への道のりは、ほとんど樹木がなく、さすが活火山であるなと改めて思う。道のりは手を使うほどではないが、急な岩場を歩いて行くという感じ。ロープウェイで一挙にあがっても、茶臼岳へ行くのはそれほど簡単ではない。茶臼岳の山頂に着いたのは11時30分。周囲はガスに覆われ、視界は効かない。そして、風が凄い。まあ、これぐらいの風は何回も体験してはいるが、水分を含んでいるとちょっと低体温症とかを意識しなくてはいけない強さだ。ここで簡単に昼ご飯を食べて、そそくさと朝日岳へと向かう。朝日岳へのコースはちょっと風も緩み、比較的、快適に歩を進めることができる。ここでガスが晴れ、朝日岳の雄壮なる姿、そして紅葉に染まる過程にある山並を観ることができる。まあ、これを観たくて多くの人が訪れるのはよく分かる。

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ロープウェイの乗り場では視界が開けていたのだが・・・

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ロープウェイを降りると周りはガス。草木なき登山道を歩いて行く。

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茶臼岳。風が強かった。

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茶臼岳から朝日岳へ。

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途中、瞬間的にガスが晴れる。紅葉と緑のグラデーションが美しい。

 さて、ロープウェイと朝日岳方面へとの分岐点にある避難小屋に着いたのは12時45分。この避難小屋はトイレもなく、本当に避難のための小屋である。そこから朝日岳に向かうが、途中、絶壁のトラバースのようなところへ行く。ちょっとスリリングだ。そして、岩登りのような急登の鎖場を登っていく。ここらへんからまたガスが視界を遮り始める。朝日岳は三本鎗岳へのコースからちょっと横に逸れる。ルートは分かりにくいので注意が必要だ。朝日岳に登頂したのは13時30分。視界がちょっとでも開けるのを期待したが、まったく展望は得られなかった。仕方がないので15分ぐらい休んで帰路に着く。休むといっても風が相当、強いのでリラックスはできにくい。帰路もなかなかの斜度の岩の中を降りて行くという感じ。危険を感じるほどではないが、油断をすると危ない。避難小屋は、行きと違ってガスで覆われていた。本当、登山はタイミングだなと思う。避難小屋からは、ロープウェイ駅への道を取る。行きはここらへんは晴れていたのだが、帰りはもう霧雨の中を歩いて行く感じ。ただ、登山道はしっかりと整備されていて歩きやすい。

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避難小屋

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避難小屋から朝日岳は結構な壁に沿って歩いて行く

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ちょっとアドベンチャラスな感じ

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朝日岳山頂

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ほとんどガスで視界はゼロに近かったが、ちょっとだけ展望が開けた瞬間にシャッターを下ろす

 ロープウェイ駅に着いたのは15時30分。バスの時間が18分後だったので、大丸駐車場までも歩く。ちょうど我々が着いた時にバスも着いた。その後、鹿の湯に寄る。鹿の湯は昔の風情が満載の素晴らしい露天風呂だ。やはり、活火山のある登山はその後の温泉が素晴らしい。17時に鹿の湯を出て、レンタカーを返却し、18時03分の新幹線で帰京。赤羽の居酒屋にいってちょっと打ち上げ。
 いい一日であった。


タグ:那須岳
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ギター遍歴 [その他]

新しいギターを購入した。K’zギターさんでカスタムメイドでつくってもらったギターである。このギターで何本目になるのか。自分の記憶の整理も兼ねて、ここでまとめてみたい(読んでいただいてもつまらない記事かと思います。その点、申し訳ない)。

まず最初に購入したのはYamahaのセミアコであった。お茶の水の下倉楽器だ。その頃はイーグルスやドゥービー・ブラザースが好きで、パトリック・シモンズに影響されたのでセミアコを購入した気がする。高校一年の時だと思う。そして、隣のクラスの小沢君の中古のグレコのレスポールも購入した。確か1万円だったと思う。これを購入して、いや、このレスポールというのはいいギターだなと気づき、アリアプロの新品のレスポールをその後購入する。そして、グレコのレスポールは同じクラスの中井さんに1万円で売った。アリアプロは結構、気に入っていたと思う。大学時代も弾いていたと思われるが、おそらく大学に入って、フェルナンデスのテレキャスを購入する時に売ったような気がする。大学のバンドではリードを他のギタリストに任せて、自分はボーカルでサイドギターを弾くようになったので、気分がテレキャスになったのだ。大学時代はずっとこのフェルナンデスのテレキャスを中心に弾いていた。

さて社会人になって、時間はないけどお金はあるようになったので、トレモロ式のアームが欲しいなと思ってValley Artsのギターを買ったのだが、これはほとんど弾かずにいた。これは、トレモロの管理が当時は面倒くさすぎてやってられないな、と思ったからだ。そして、バンドを新たにつくったこともあり、シェクターのテレキャスターを思い切って買う。これは、それまでとは違って27万円と破格に高い値段のギターでなかなか思い切ったことをした。そして、このギターは今でも私のコレクションとして残っている。その後、バンドが内紛で解散し、私も結婚してアメリカに行くことになり、ここでほとんどのギターを泣く泣く処分することになる。ヤマハのセミアコ、フェルナンデスのテレキャス、ヴァリー・アーツのストラトはこの時、すべて売ってしまう。

さて、結婚してバンド活動もまったくしなくなって、ギターもほとんど弾かなくなっていた私はシェクターのテレキャスしか持っていないという状況を長らく続けるが、その後、会社を辞めて大学の教員になり、しばらく経ってゼミ生が「先生、楽器やれるならバンドしましょうよ」と言ったので、シェクターを物置から取り出してまた演奏するようになる。その後、癌が見つかって手術をしたのだが、退院したのを祝って、思い切ってポール・リード・スミスのカスタム24を渋谷の石橋楽器で購入する。これは、それほど考えなくて買ったのだが、結果的には大正解で、今でも本当、いいギターを買ったと嬉しく思っている。その後、オヴェーションの中古のアコギを10万円でお茶の水の黒沢楽器でも買ったりしたが、これは大失敗だった。オヴェーションという名前に騙された。

その後、シアトルの中古楽器屋を訪れて、その雰囲気にめちゃくちゃ弾かれて、ギブソンの中古のセミアコを13万円で購入する。335より小ぶりの奴だ。結構、いい音が出ていたのだが、3弦がやたらチューニングが狂う。リペアに出したのだが、ぜんぜん、直らなかったのでこれは売ってしまう。どんなにいい音が出ても、音程が合わないギターはきつい。このとき、オヴェーションのこともあったので、やっぱ中古はダメだなとつくづく思う。というか、ギターの目利きができる人はともかく、私のように出来ない人には中古はくずをつかまされるだけだ。オヴェーションも酷かったので、代わりに高峯のアコギを買った。これはなかなかいいギターであったので、オヴェーションを売りに出したが、価格がまったくつかないくずギターという評価だった。

そうこうしているうち、ジェネシスのトリビュート・バンドを組むことになり、これはレスポールでしょう、ということでアリアプロ以来のレスポールを購入する。ギブソンの大量生産のレスポールだ。お茶の水の黒沢楽器に行って大量のレスポールから選んだのだが、結構、サステインを気にしていたこともあって重いギターを買った。実際、このギター、本当に重いです。

また、大学を京都に移したこともあって、京都での練習用ということで、これまで一台も購入してなかったストラトをゲットする。フェンダー・ジャパンで確か8万円ぐらいであったと思う。

そして、今日のK ‘s ギターである。実際、逗子の工房に行き、いろいろとカスタムメイドで注文したのが4月なので、ほぼ半年かかったことになる。ダブルカッタウェイ、24フレット、細めのグリップ、そして32の音づくりができる脅威のピックアップ・システム。値段も高いが、これは怖ろしく素晴らしいギターを手に入れることができた。もう今日は至福感でいっぱいだ。

この素晴らしいギターよりハイグレードなギターを購入することは今後ないだろうが、まだ私のギター遍歴は続くと思われる。しかし、まあ改めていろいろなギターと人生を共にしてきたなと思ったりした今日である。

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左から、シェクターのテレキャス、タカミネのアコギ、prsのカスタム24、K's Guitarのカスタム、ギブソンのレスポール
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