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なぜ、日本政府はコロナのワクチンを国民に接種させられないのか [サステイナブルな問題]

東京都は本日(29日)、新型コロナウィルスの感染者が1000人を超えたと発表した。1000人を超えたのは三ヶ月ぶりで、もう、コロナとの戦いも1年以上に及ぶのに、未だトンネルの出口さえ見えない。これは他国と比べると極めて対照的である。いや、インドのように日本より深刻な事態にある国もあるが、先進国と比べるとその無能さぶりが明々白々である。
 コロナを収束させる現時点における唯一の手段は、ワクチンを国民に接種させ、集団免疫を確保することである。これは、議論をする必要もないほど明々白々な事実である。イギリスはコロナウィルスの感染者が激増していたが、ワクチンの接種が普及するとともに大きく減少した。イスラエルも同様であり、なんとトランプ馬鹿政権のアメリカもバイデンが大統領になって100日ほどの間に1億以上の接種を実現し、現時点では2億にも及んで、他国にワクチンを輸出するぐらいの余裕がある。
 それなのに、なぜ、オリンピックの開催も危ぶまれるかもしれないコロナの蔓延に日本政府はなすすべもないような状況なのであろうか。これは、本当に不思議な事態であるが、その答えはおそらく日本政府が本当に無能だからであろう。問題に対処できないのは能力が欠如しているからだ。菅首相は、「夏の東京オリンピック・パラリンピックは、人類が新型コロナウィルスに打ち勝った証として、また、東日本大震災からの復興を世界に発信する機会としたい」と今年1月の国会で述べたが、他の国々が次々とワクチンによってコロナを沈静化させているのに、日本だけが「打ち勝つ」どころか、サンドバッグのように経済・社会がコロナにボコボコにやられまくっている。「打ち勝つ」どころか、完敗のような状況である。さらに、「東日本大震災からの復興」どころか、福島の原発に保管していた放射能の汚染水を太平洋に垂れ流すという国際的には大顰蹙を買うような政策を決定した。なぜ、オリンピック後でなく、前に発表するのか、訳が分からないが、復興どころか、結局、責任をもって対処できないことを世界中に晒してしまっている。
 このままでは、10年後、20年後には韓国、中国の後塵を拝することにもなるであろう。本当に、衰亡の道をこの国はひたすら走っていることを認識させられるようなコロナ対応の不味さ、さらには原発事故の処理の無能さである。

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小室圭さんと眞子様の結婚がもたらす天皇家に対する非可逆的で破壊的なダメージ [サステイナブルな問題]

小室圭さんと眞子様の結婚がいろいろとトラブルがあるらしいということは、流石にテレビを見ない私でも知っていた。しかし、それほど関心は抱いていなかった。眞子様が皇籍から離脱することで解決するだろう、ぐらいに思っていた。しかし、小室さんが今月頭に発表した文書を読んで私の考えは変わった。
 この男は下手をしたら宮家を破壊するほどのダメージを与える潜在力を有していることに気づいたのだ。というか、彼はもう歴史に名を残すことが確実なほどの宮家への危機をもたらしている。今日の東京新聞での解説では、中年女性の9割がこの結婚なのに反対なのは、娘の母親としてこのような男性との結婚を認めたくないから、のような解説をしていたが、事態はそんな個人レベルの小さな話ではない。今後の天皇家の運命をも分かつような大事件である、と捉えることが必要である。
 なぜか。それは、この文書が日本人の一般個人を攻撃しているのに加え、眞子様が関与していると報道されているからである。しかも、その攻撃の内容は一方的である。私の解釈に間違いがあったら申し訳ないが、事態はこういうことであろう。
1) 婚約者の男性は、小室さんの父親とマンションの管理組合を通じて知り合う
2) 小室さんの父親がなくなった後、小室さんの母親にアプローチされて付き合う
3) 小室さんの母親と男性が2010年に婚約する
4) 小室さんの母親からのお金の無尽蔵の請求に耐えられなくなり、2012年に婚約を破棄する
5) 小室さんの母親に409万円の借りた金を返して欲しいと訴える
6) この男性の友人が告発したことで、広く世間に知られるとことなる。
さて、小室さんの母親は随分とこの男性に無心をしていたらしいことは確かだ。そして、それに応じた男性は「お金を貸した」と思い、小室さん側は「くれたものだ」と解釈をした。しかし、お金を貸した方が「貸した」と思っていたのであれば、借りた方は普通「くれたのかと思ったけど誤解したのか」と理解し、返すのが世間的には常識だと思う。それを、今回の文書では、「くれたかと思っていたのに貸していたのだと言われて名誉が傷ついた。許せない」というような言い方をしている。そんなに名誉が大切なら、そもそもお金をもらうなとも思うし、もし、そこらへんでの行き違いがあったら、返却をして、そして困った時に貸してくれて有り難うございます、ぐらい言うべきであろう。返却できなかったら、いついつまでには返しますのでちょっと待って下さい、と言うべきであろう。これは、一般社会ではごく常識的なことである。いや、アメリカの前大統領のトランプとかは返却しそうもないので、当然の常識といいにくくなってはいるが、潤滑に世の中を回していくためには最低限のマナーであると思われる。
ということで、一般社会でも相当、デタラメだなと思われる彼の行為であるが、これに眞子様が加担しているという情報もある。もし、仮に加担をしていたら、これは天皇家の日本国民に対してのとんでもない加害行為であり、それは日本国象徴としての天皇家にあってはならないことだ。
天皇家というのは、国という巨大幻想のさらに幻想的象徴ということで、大きな観念にしか過ぎない。そして、その大きな観念は、日本人がその価値を共有することで初めて具体化するという儚い存在でもある。天皇家の最大のピンチは第二次世界大戦の敗戦時であったろう。玉音放送で、天皇という神の存在が普通の人となってしまった後、天皇家をどうするのか。家永三郎の著書で指摘されたように、天皇は戦争犯罪人というのは国際法的にはすこぶる正しい。戦争の責任を天皇家に取らせるのは、その後、ファシズム国家を民主主義国家へとシフトさせるためには劇的な効果をもたらしたであろう。しかし、戦勝国であるアメリカ合衆国の判断で、天皇家は国民の平和の象徴として継続させられることになる。これが社会主義国家のロシアだったら、天皇家は取り潰された可能性は高いように思う。
さて、そのように将来が必ずしも明るくなかった天皇家は、しかし平成天皇、美智子皇后のたゆまぬご努力によって、国民が誇りをもって、まさに日本の平和の象徴として共有し、担がせていただきたくなるような存在になられた。それは、日本人のアイデンティティを強化させてくれるような存在でもある。
その後の3人のご子息も、ここまではそれなりに国民の好意に支えられ、美智子皇后のようなカリスマ性を放たなくても、特に大きな問題もなく、天皇家の役割を果たされていたと考察される。
しかし、今回の眞子様は、もし報道通りに文書作成に関与していたとしたら、とんでもないことだ。ここで小室さんとの結婚を天皇家とも繋がりが残ったような状態でするというのであれば、国民の天皇家への支持は大幅に減り、そして、その支持が減ることで、共有幻想としての天皇家も消滅することに繋がりかねない。なぜなら、そんな国民に支持されないような国民の象徴は、誰もが関心を持たない自分の住む自治体のゆるキャラのようなもので存在自体が希薄化していくからだ。そして、そのような希薄化する象徴に税金を支払うことには、(ゆるキャラと同じように)強い抵抗を覚えるであろう。
したがって、天皇家がその存在を将来的にもしっかりと維持していきたいのであれば、眞子様とは絶縁をし、そして結婚してもらえればいい。メーガン・メルケルと結婚したヘンリー王子のように「公務からは完全に離れる」ことはもちろんだが、天皇家とも一切、関係を絶って、ただの一般人になればいい。ここで、しっかりとした対応を取れなければ、私は本当に天皇家の国民の支持が離れると思うのである。そして、戦前の天皇家とは異なり、戦後の天皇は、国民の巨大共有幻想というもとに成立しているので、その幻想が消失したらその存在価値はなくなる。そして、小室さんはその巨大幻想を暴力的に破壊しようとするまさに歴史に名を残すヴィランであり、国民としても適切に対応することが必要である。適切に対応してもブランドは汚されたが、それでもブランドはまだ維持することができるであろう。
いや、私は天皇家が好きなので、本当に小室さんはとんでもないことをしているな、と思っているが、一方で天皇家が存在しない日本を想像することはできる。それは、今の日本よりちょっと面白くない日本である。しかし、小室さんという存在がそういう帰結をもたらすと想像できていない人は、ほっぺたを叩いて目を覚ますべきである。小室さんにはそれだけの破壊力があることを認識すべきである。

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コロナウイルス蔓延の結果、「ケ」と「ハレ」の境界が曖昧となっている [サステイナブルな問題]

コロナウィルスが蔓延して、ウィズ・コロナというライフスタイル・ワークスタイルを強いられている。その結果、日々における「ケ」と「ハレ」の境界が曖昧となっていると思われる。というか、「ケ」が「ハレ」の領域を侵蝕し、結果「ハレ」が縮小していると思われる。そもそも、この「ケ」と「ハレ」というような分類は、ネット環境ではぼやけていた。ユーチューブで流されるコンテンツは、日常的なものも非日常的なものもフラットになる。そのような「ハレ」が「ケ」から差別化することが難しくなっているのにダメ押しをするような形でコロナウィルスの感染拡大が生じた。
 コロナウイルスは、お祭りやイベント、といった「ハレ」的な活動を大きく規制させることになった。結果、「ハレ」消費が大きく縮小している。海外旅行とかはもちろんだが、国内旅行も相当、縮小化しているし、ちょっと気張った外食も減っている。日常的な「ハレ」行為でもある飲酒も減っている。これらは、消費動向に如実に現れていて、ユニクロやマクドナルドが売り上げを増やし、小洒落たアパレルや飲み屋は売り上げを大きく減らしている。もちろん「ハレ」的なものがおしなべてダメになっている訳ではなく、星野リゾートのようなしっかりとしたサービスを提供できているところは、売り上げの減少が他に比べると少ない。矮小化していく「ハレ」市場においては、競争力がないところから淘汰されていることが読み取れる。
 コロナウイルスは、生きていくうえで「ケ」的なエッセンシャルなものだけを取捨選択しているようにも思える。そして、「ハレ」はよほど競争力がないと篩いにかけられていく。そういう点では、ある意味、相当、資本主義的な厳格さを伴っているとも思われる。そのように考えると、バイデンが実施したような交付金的な行動は正しいかとも考えられるが、それはハードランディングを回避することはできても、長期的にまで現状の産業構造を維持させることにはならない。つまり、このコロナウィルスによって、大きく産業構造や人のライフスタイル、ワークスタイルは変革を余儀なくされると考えられる。
 なかなか、そのトランスフォームしている過程においては厳しいことも生じるかもしれないが、生き延びていくためには、その変革は必要不可欠である。そして、このパラダイム・シフトをした新しい世の中のフレームワークは、それ以前のものに比べてよりサステイナブルであることは間違いない。自分が大好きなものも、下手したら自分の命をも失うようなリスクを伴うトランスフォーメーションではあるが、その荒波にうまく乗っかって、岸に辿り着きたいものである。

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コロナウィルスを火事と捉えると、ワクチンは消化器。日本は消化器を確保できず、ただ火が広がらないことを祈ってるようなものだ。 [都市デザイン]

日本のワクチン接種は欧米などに比べて、信じられないほど遅れている。12日現在、政府のまとめだが、国内で少なくとも1回接種した人は0.9%。国別にみるとセーシェルでは65.6%、ブータンで61.5%、イスラエルで61.4% 。イギリスでは47.2%、あのアメリカでさえ34.2%である(Our World in Data)。先進国で最も遅れているのがイタリアだがしれでの14.4%と日本のダメさ加減とは比較にならない。
 ワクチンは100%安全とはいえないが、コロナウィルスの拡散防止には覿面の効果を発揮している。それは、コロナウィルスを火事と例えると消化器のようなものであろう。鎮火できるかは100%ではないが、火事が広がっている現状では相当、効果的であろう。さて、日本はこの消化器を自国では生産できず、輸入をしなくてはいけないような状況であるが、交渉が下手なのでなかなか確保できない。しかも、消化器が日本の気候でうまく機能するかをチェックしなくてはいけないので、なかなかそれが日本に到着してもすぐに広められないような状況にある。
 しかし、火事は広まっているのである。欧米に比べると、日本のコロナウイルスの致死率は低い。これは、空気が乾燥していないので、火事があまり広まらないような状況なのかもしれない。しかし、確実にゆっくりではあるが広がっている。現状の日本はまさに神頼みのような状況になってしまっている。
 消化器を使いたくない人は使わなくてもいいが、消化器を使いたい人には一刻も早く回してもらいたい。自粛要請をするより、こちらの方が遙かに重要であろう。ただ、つくづく分かったのは原発事故の時もそうだが、日本政府は問題解決能力に劣っているということだ。問題の定義化、さらにはその問題への対処方法の考案、そして方法の遂行、という3つのレベルにおいて劣っている。情けない。

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トランプの最新の詐欺相手は、彼の熱烈支持者だ [トランプのアメリカ]

トランプが荒唐無稽の選挙不正を訴え、結果、連邦国会議事堂の乱入事件まで引き起こした裏には何があるのか、ちょっと見えずにいた。トランプはなんだかんだ言っても、まあ状況を理解する能力は有している。どうみたって、選挙不正の根拠もないのに、何を主張しているのか。
 その理由がほぼ明らかになった。ずばり、お金である。トランプは選挙不正と戦うために寄付金を募った。多くのトランプ支持者がそこで寄付をする。さて、ただ、この寄付金を募るシステムが詐欺まがいのものであったのだ。というのも、分からないように小さな字で「この寄付金を以降、毎月支払います」という項目があって、これはデフォルトでチェックがされていたのである。これに気づいて、チェックを外せば問題がないが、これを見過ごすと毎月、最初の寄付金と同等のお金が銀行口座かクレジット・カードから引き落とされてします。
 このようなことをすると通常の人は良心の呵責を覚えるのではと思う。トランプも随分と必死なのだな、とお人好しは思うかもしれないが、人の痛みを感じないのがトランプのまさにトランプたる由縁である。この詐欺まがいの行為では満足できず、「毎月支払う」をその後「毎週支払う」に変更した。
 ここで、トランプが詐欺の対象としたのは彼を信用して、彼を支援してきた人達である。もちろん、信用しない人達から搾取することはできないが、いくらなんでもあまりにも卑劣だ。そして、さすがに多くのトランプ支持者の被害者がトランプを糾弾し始めている。とはいえ、卑劣とはいえ、チェックを外さなかったのは寄付者の過失となるようだ。まあ、トランプに騙された人達に同情する気はさらさらないが、それにしても、このトランプという男はクソの中のクソだなとは思う。

CNNの下記の記事などが参考になる
https://edition.cnn.com/2021/04/05/politics/donald-trump-fundraising-2020-campaign/index.html

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東京駅の駅弁の変化を考察し、東京の一極集中の弊害に思いを馳せる [都市デザイン]

大学を出た後、コンサルタント会社に入ったこともあって何しろ国内出張が多かった。長野市、仙台市、大阪市、富山市、金沢市、福岡市などへ頻繁に出張に行った。顧客がいる場所に多くいくので結構、地域的には偏りがあるが、鉄道移動の場合が多く、不健康な話であるが駅弁を多く食べることになった。さて、そうするとどこの駅のどういう駅弁が美味しいのか、はたまた不味いのかを調べたくなってくる。特に、不味い駅弁を食べるともう出張自体が失敗したかのような後味の悪さを覚えてしまう。
 さて、最近では使わないがサラリーマンの時に最もよく使ったのは東京駅であった。そして、この東京駅の駅弁は選択が難しい。というのは、東京駅はJRの子会社の駅弁屋がほぼ牛耳っていて、独占状態にあるからだ。そして、JRの子会社の駅弁はクオリティがほぼ間違いなく低い。これは、競合を排除し、その独占的地位にあぐらをかいてきたからであろう。美味しい駅弁を提供するインセンティブがないのである。
 ちょっと前までは、帝国ホテルの駅弁を購入することができ、これは値は張ったが驚くほど美味しかった。まだ、食堂車などが新幹線についていた時代の話である。コスパはよくないのだが、JRの子会社の駅弁は安くても不味くてコスパはさらに低かったこともあり、プチ贅沢な気分でよく買った。
 しかし、これはそのうち販売中止となってしまった。すると、本当に困ることになった。ただ、ホームに入る前であれば、崎陽軒などJR子会社ではない弁当屋の弁当を売るお店をみつけ、ほぼここで購入した。しかし、東京駅で崎陽軒の「しゅうまい弁当」も何だよなあとは思っていた。いや、「しゅうまい弁当」とても美味しいですけどね。
 そのうち、大丸デパートなどのお弁当が充実してきたこともあり、時間に余裕がある場合は、そこらへんで購入するようにした。しかし、これは山手線や中央線で東京駅に向かった時は一度、改札を出ないといけない。さらに丸ノ内線の東京駅で降りた時も、随分と歩かなくてはいけない。そういうこともあり、なかなか利用勝手は悪かった。
 そうしたら駅構内に随分と立派なグランスタができ、そこでは随分と多くの駅弁が売られることになった。すき焼きの今半、築地の寿司清、仙台の牛タンの利休、名古屋の地雷也の天むす屋、大阪のいなり寿司の豆狸、築地の卵サンドの松露サンドなどで、これらの駅弁は相当、グレードが高い。私はそこで「つばめグリル」のハンバーグ弁当(1600円)を購入したのだが、やはり冷たくはなっても腐っても鯛。さすがの美味しさであった。
 さて、東京駅の駅弁のクオリティがこの30年間ぐらいで随分と向上したことは喜ばしい一方で、ちょっと複雑な気持ちもある。それは、今半とかつばめグリル、松露サンドはまだしも、名古屋の天むす、仙台の牛タン、大阪のいなり寿司とかをわざわざ東京で買わなくてもいいだろう、と思ったりもする。何でもいいものは東京に集める、というような傾向はこの30年間で随分と強まっている。そして、その反作用として、地方の魅力が相対的にガクッと落ちている。そして、それはモノだけでなく人でもある。強力な磁石のように東京が人でもモノでも集めているが、そのような状況が国全体の魅力を高めているとは決して思えない。というのは日本の魅力はその地理的、文化的な多様性にあるからだ。地方に人やモノを還元することを考えず、一方的に東京が年貢のように吸い上げていくことばかりを考えていると、そのうち国が衰退するであろう。もう既に、その傾向は顕在化している。というのを、東京駅の駅弁の変化で思ったりした。

タグ:東京駅 駅弁
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