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岸田ぬらりひょん内閣は亡国の危機を招く [サステイナブルな問題]

皆様、明けましておめでとうございます。ロシアのウクライナ侵攻はまだ出口さえ見いだせず、今年のアメリカの大統領選では犯罪者として、ほぼ確定されているトランプが有力な当選候補になっていたり、日本の経済は上向くどころかどんどん下回っていく予兆しか見えないなど、まったく冴えない年になりそうですが、どうにか、踏ん張って日々の逆風に耐えるしかないかな、と思っています。
しかし、そういう逆風下で我々が状況を変えるためにできることが一つあります。それは、岸田内閣を退陣させることかと思います。なぜなら、岸田首相に日本の将来の舵を取らせていくと将来はさらに悪化すると思われるからです。岸田首相の問題は、彼が力不足であるからだけではありません。力不足だけではなく政治家としての哲学が圧倒的に不足していることが問題であると思うのです。それであるにも関わらず、ある意味では安部首相よりも国を右傾化させている。大抵、国を右傾化させようとする政治家には信念のようなものがある。ある程度の覚悟がある。とりあえずバッターとは勝負する、といったような姿勢があるかと思います。それが、私利私欲に基づいたものであったり、国のことをまったく考えていなかったりしたとしても(トランプがまさにそうですね)、カルト的なカリスマの勢いはある。したがって、安部首相は敵として見えやすかった。「君たちには負けない」とか、こちら側にも安部首相は喧嘩を売っていましたし、主義主張があったために見えやすかった。
しかし、岸田首相にはそのような覚悟が微塵も感じられません。まるで、公務員のような仕事のやり方で首相をしています。いや、公務員でもしっかりと業務哲学を持っている人はいるので、その言い方は失礼かも知れませんが、何しろ、岸田首相は何をやりたいかが見えない。よく、何がやりたいかが見えない政治家とかも、首相になったら、ああ、これがやりたかったのだな、と分かったりするのに、岸田首相にはこれだけ時間が経っても全く見えてこない。なぜ、そのような野心がないのに首相になってしまったのであろうか。これは首相に担ぎ上げた自民党にも問題があるかと思うが、政治家が家業化してしまった弊害の一つでもあるだろう。なんか、親とか親戚とかが政治家なので、とりあえず政治家にぼくもなろう、ぐらいの気持ちで政治家になってしまった人がなんか総理大臣になってしまった、という印象を受けるのである。
それにしても、岸田首相ほどカリスマに欠けている政治家は珍しい。政治家は良くも悪くも個性が前面に出ている人が多い。麻生太郎、小泉純一郎、鳩山由紀夫。そういう中で、岸田首相ほど個性が見えない、というか何を考えているかが分からない首相は珍しい。首相にもなっている人に「生きていて楽しいですか?」とか「仕事に生きがい、感じますか?」とか聞きたくなるようなキャラクターである。
しかし、それでいて人畜無害であればそれほど問題はない。岸田首相の問題は有害の散水機のように、日本の将来を梗塞させるような悪手を打ちまくっていることである。しかも、信念皆無のような状況で。まさにナチスのアドルフ・ハイルマン(何百万人ものユダヤ人を移送する計画とその実行に手を貸して、戦後、アルゼンチンに亡命したところ捕まり、イスラエルで死刑となる。その裁判では、ふてぶてしい大悪人を予想していた人々のイメージを裏切り、小役人的な凡人であった)のようだ。ただ、アドルフ・ハイルマンは命令に従っていたが、岸田首相は誰の命令にしたがって防衛費を増額し、原発をどんどんと再稼働させているのであろうか。防衛費の増額は、存在感を増すため、みたいな発言を以前、したこともあるそうだが、後者に関してはその依存度を減らすとの発言もしていた。まったく真逆の行動を取っている。ハイルマンのような中間管理職なら圧力を受けたなどの言い訳もできるだろうが、岸田は総理大臣である。なんなんだろうなあ、このポリシーの無さ。ポリシーがなければポリティシャンになったら不味いと思うし、岸田首相は、日本をよくしようというか、日本のためにしっかりと職を務めようという気持ちもないように思える。このような人物が総理大臣の国の将来が明るい訳がない。そのぬらりひょん的な愚鈍さは、極めて危険であり、私は亡国の危機に今、日本はあるのではないか、と思う次第である。
彼が2024年12月31日まで総理大臣を務めていないことを願って、新年の挨拶にかえさせていただきたい。今年もこんなブログですが、宜しくお願いします。

タグ:岸田内閣
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