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小保方さん事件を考える

小保方さんは、リケジョの星から一転して、バッシング報道の対象となっている。しっかりと取材もせずに、二次情報とかで祭り上げたマスコミ自らの無責任さを棚に上げての過激バッシングは、まさにマスゴミであり、恥ずかしい限りである。

さて、それはそうと、もう一点、気になるのは早稲田大学のあまりにもお粗末な審査体制である。小保方氏は2011年に早稲田大学から博士号を取得したが、その時、副査を担当したハーバード大学のバカンティ教授は、論文を「もらっていない」と主張しているそうだ。なんで論文をもらっていない人が副査を担当して、審査まで合格しているのか。ちょっといろいろと不明だが、まあ、邪推ではあるが、小保方さん本人が見せたということを主査の先生に言って、適当にサインももらったように見せたというのがおそらく真相なのではないだろうか。彼女は博士論文において約20頁にわたるコピペをしてしまう疑惑があるので、そういうこともしかねない。

それにしても、博士号なのに、この杜撰な審査体制はあまりにもお粗末である。さて、早稲田の博士号と明治学院大学の学士号とを一緒にするのは、なんか大リーグのことを高校野球部レベルが論じるとも捉えられるかもしれないが、私のゼミでの卒論審査の方がはるかに厳しい印象を覚える。これは学科とはまったく軌を一にしないが、私のゼミでの卒論審査は厳しい。コピペとかは論外である。というか、そもそもコピペが出来るような内容で書くものはほとんどいない。アンケートによる社会調査、もしくは実際の土地利用等を踏査するフィールド調査、もしくは関係者に取材を重ねる現状調査などで論文を書くことになるので、コピーをする元がないからだ。既存調査が徹底的にされていない、文献調査の網羅範囲が狭い、などの問題がないわけではないが、これまでも私のゼミの卒論は、某毎日コミュニケーションが出版依頼をしにきたり、朝日新書の一部(下流同盟)、私の著書の一部(道路整備事業の大罪、若者のためのまちづくり)に転載されたりしている。

そして、しっかりと審査してもらうことで学生は鍛えられるし、また卒論に対して自信を持つ。そのような状況を維持するうえで極めて大切なことは公平性である。私はこれまで2人だけ締め切りを延ばしたことがある。1人は、ヒアリングのアポがうまく取れなかったこともあって締め切りに対応できなかったのだが、鬼の形相で私に頼み込んだ。彼女は二週間後に提出したのだが、彼女自身、生まれて一番、勉強したというだけあって、そのアウトプットは立派なものであり、彼女の頑張りは私、そして彼女の同期の誇りである。もう1人は、ゼミ長でそれまでずっとゼミを率先してきたので、私が辛くて落とすことができなかった。最終的には、同期の思い、そして私のある意味では偽善的ともいえる情のために締め切りを延ばして、しかし、うちのゼミで初めてのC評価、60点で通した。ただし、最終的なアウトプットは締め切り前であればSは難しくてもA評価には該当するようなレベルであった。その際、このようなことをすることで、それまで落としたゼミの先輩達に申し訳が立つか、ということだけを強烈に意識した。それは、個人によって公平性が損なわれるような審査、評価をした時点で、評価制度としての大学の存在意義も崩落するからである。私は、若干、議論の余地はあるが、この学生を通すことは、それまで落とした先輩達にも説明できると判断したことで通した。とはいえ、若干、この学生のために、立錐の余地もないほどの公平なシステムとはいえなくなったことは否定できない。

ともあれ、小保方さんがバッシングされているが、本来的にバッシングされるのは、そのような公平、厳正な審査をしていない早稲田大学であり、また、このことを他山の石として、我々、大学教員も深く肝に銘じなくてはならないことだと思う。

話は変わるが、小保方さんはAO入試である。なんか、そういう安易な、入試という公正な制度をうまく避けてきた人生が、逆にこういう事態を生じたのではないかと思ったりする。私は、奉職する大学の学科のAO入試を止めさせるうえで結構、動いた。止めたことで偏差値は下がったが、学生の質、そして満足度のようなものが上がったと思ったりする。しかし、現在、私の学科は反対の方向に動いている。偏差値が下がっていることに異様な危機意識を覚えているからだ。AO入試は、むしろ入試という学生を鍛える貴重な機会を奪うものである。大学側の偏差値に拘泥する姿勢が、このような入試で入学する学生数を減らしていく。なんかもったいない。

私の長女が今日、後期で横浜国立大学に合格した。前期で落ちた京都大学はともかく、早稲田、慶應といった私立に通うよりずっといいと思う。私立大学の多くは、上智や理科大学を除くと系列校を抱え、これらの学生が多くの定員枠を埋めてしまう。さらにAOや推薦入試を含めると、一生懸命、勉強しても受験で入れるのは3割ちょっと程度である。長女は1年間、相当、勉強したが、それが受験をしないで入ってくる学生と同レベルであるとは思えない。ということで、本当に、AOや推薦もあるとはいえ、大学から皆、一線に並んで勉強を始められる国立大学に受かってよかったと思う。

小保方さんは本人の問題もないとはいえないが、その甘えを受け入れるような制度をつくってきた私立大学にこそ真の責任があると私は考える。本人はむしろ、AO入試やコピペでも審査を通してしまうようないい加減大学の制度の犠牲者である。そして、すぐいい加減な情報に飛びつくマスコミの犠牲者であるとも思われる。

私もしっかりと学士レベルであっても、論文審査をしっかりとしなくてはと改めて思わされる。

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