次女の中学受験が終わった(その成功と失敗の分析) [中学受験]
次女の受験が終わった。受験した学校は二校。渋谷学園渋谷中学と豊島岡女子学園中学である。2月1日が渋谷学園渋谷中学、2日、3日、4日が豊島岡女子学園中学であった。1日の渋谷学園渋谷中学に落ちて、2日も落ちたら、3日は桜修館中学を受ける予定であったが、1日に受かり、2日は落ちたので、3日は豊島岡を受験した。3日も落ちたので4日も豊島岡を受けた。つまり、2日、3日、4日とも豊島岡を受験したのだが合格することはできなかった。ということで、本人は豊島岡が第一志望だったのでがっかりしていたのだが、父親の私はむしろ渋渋に行かせたかったので、ちょっと次女には申し訳ないのだがよかったなと思っていたところもある。
次女が豊島岡を第一志望にした理由は長女が通っているからである。長女にとって豊島岡は向いていたと思うが、次女は長女とは違う性格である。ドイツに1年半住んでいたこともあり、またピアノに力を入れているので、どちらかというと多面的な価値観を育んでくれる渋渋の方が本人は合っていると思っていたので、正直、よかったと思っている。
まあ、私のそんな考えはともかく、これまで中学受験に首を突っ込んで、このブログにもその経緯を時折、報告させていただいたので、ここでしっかりと整理と分析をさせていただければと思う。中学受験をされる親御さんの参考に少しでも資すればと考えている。
まず、次女がどのような受験体験をしたかを最初に整理させてもらいたい。その前にちょっと長女の話から。長女は小学校5年生の4月(4年生の3月頃)からサピックスに通った。最初のクラスこそあまりよくはなかったが、どうも成績を競うということが彼女にとっては楽しかったこともあり、受験勉強をするというよりかは、少しでも上のクラスに行くということが目的化して、一生懸命、勉強をすることになった。下高井戸校という小さな学校に通っていたこと、出来て間もないということもあり、サピックスらしくない個人塾のような面倒見のよい授業をしてくれた。加えて、長女はサピックスとの相性がよかったらしく、しばらくするとアルファ・クラスという一番上のクラスに在籍することになった。競争に楽しみを見出す長女は、志望校を桜陰にし、そこへの合格を目指して勉強をしていた。サピックスは親が宿題のフォローをしないといけないとよく言われるが、長女は勝手に自主管理をしていたこともあり、私がほとんど彼女を見ることはなかった。母親はちょっと手伝っていたようだが、私は何もせず、その結果、中学受験の難しさなども知らずに過ごした。
さて、ただし順風満帆で来ていた長女には落とし穴が待っていた。というのは、正月休みが明けるとサピックスはそこでもう指導を終えてしまう。いつの間にか、志望校合格という目標より、教室内での順位争いに目標が置き換わってしまった長女は、サピックスでの講義が終わると、目的を失ってしまい放心状態のようになってしまった。それに加え、試験前のプレッシャーに悩まされることになり、試験前は私に怒られるほど、おかしくなってしまっていた。そのような状況で桜陰中学を受験。数年後に彼女が言うには、異様に緊張してしまったそうだ。その結果、不合格。ただし、滑り止めで受けた豊島岡には桜陰の結果が出る前ということもあり、また、本命でないこともあり、極めてリラックスして受験することができたそうで、無事、合格する。
次女も受験をした方がいいかな、とは朧気ながら思っていたが、本人がまったくその気にならない。とはいえ、通っている区立の小学校が学級崩壊的だったので、このまま区立の中学に進学するのは厳しいなと考え、5年生の夏休み頃に、とりあえず姉と同じようにサピックスの試験(サピックス・オープン)を受けさせた。7月8日のことである。その結果は、次のようなものであった。
4科目計の偏差値:30.2
算数:32.8
国語:37.9
理科:28.4
社会:32.8
今、思うと感動的に悪い。理科が28.4であるが、私は、自分は勿論、偏差値28という数字が存在することは理論的には分かるが、見たこともなかった。というか、合計の偏差値が30.2。この偏差値だとサピックスには入りたくても入れてもらえない。とはいえ、このまま放っておくのも不味いので、近くの町塾に通わせることにした。町塾は、どっかの塾から独立した先生達が指導をしており、とりあえず勉強をさせる癖ぐらいつけてもらいたい、と思って通わせたのである。この町塾は、四谷大塚のテキストを使って指導をしていた。さて、夏休み明けの9月にまたサピックスの模試を受けさせた。偏差値は30から34にアップ。すべて30台という低さではあるが、30以下は流石になくなった。ちょっとは町塾の勉強の成果が出たのかもしれない。
4科目計の偏差値:34.1
算数:38.0
国語:36.2
理科:37.7
社会:35.4
さて、その後はちんたらと町塾に通わせていた。町塾は月水金と週に3回通っていた。とりあえず、それまではまったく勉強をしなかったので、町塾でもそれなりの意味はあったかと思う。次女はピアノが得意で、私もそちらの方にむしろ力を入れてもらいたいぐらいに思っていた。とはいえ、いざ勝負の時になって本人が勉強をしようと思っても、数学の計算力と漢字が出来ないとどうにもならないので、旺文社の「出る順の計算」と「出る順の漢字」を買って、塾と平行してやらせようとした。しかし、なかなかやらない。私もそれほど勉強をみてやる時間がなかったので、あまりチェックをしなかったのだが、全然やらないで、やれない理由ばかりを述べるので半ば諦めた。結局、この「出る順の計算」と「出る順の漢字」を終わらせるのは6年生の10月になってしまう。当時は5年生の12月ぐらいに終わらせることを私は思い描いていたが、何しろ、やらないパワーが強かったので放っておいた。
そうこうしているうちに6年生になり、夏休みになった。次女はそれなりに町塾で忙しく勉強しているし、まあ、勉強してない訳でもないから、それほど心配もしてはいなかったのだが、6年生の9月に1年ぶりにサピックスの模試を受けてみて愕然とした。その結果は次の通りだ。
9月22日 サピックス・オープン
4科目計の偏差値:39.6
算数:34.6
国語:46.7
理科:46.4
社会:41.6
1年前よりかは、多少はよくなってはいるが、勉強をほとんどしないで受けた結果と、町塾とはいえ多少は勉強をしていたことを考えると、ほとんど駄目じゃないか。というか、このままではほとんどどこの学校にも受からない。受験をすることを諦めるべき成績であることに、大きな衝撃を受ける。長女が勝手に勉強をしていたこともあり、次女も適当に出来るだろうと考えていた甘さを思い知らされた。さて、もうこれは区立に進学しなくちゃ駄目かな、と考えていると、当の本人が俄然、やる気になってしまった。絶対、受験をすると言い張る。それでは、もう塾を変えなくてはならない、ということで進学塾に通わせる戦略を立てる。ようやく本人がやる気になったので、高額な進学塾代を払ってもいいか、という気持ちに私もなった。さて、しかし、問題になるのは、こちらが入ってもいいか、と思っても入れさせてくれる塾がないことだ。サピックスには入れない。それでは、ということで家の近くの塾を探すと、希学園という塾が目黒にあることが分かった。これなら、バスで通うことが出来る。ということで、希学園に通うことを考えたのだが、ここもある程度の成績を試験で取らないと入れてもらうことさえ難しい。我々が進学塾を選ぶのではない。進学塾が児童を選ぶのだ、という厳しい現実にひるまされたが、どうにか点数を取らなくては、ということで、町塾の指導が今ひとつであり、かつサピックスで成績の悪い算数と社会に関しては、もう町塾に通わせずに私が代わりに指導をすることにした。そして、私が集中的に指導した1ヶ月後の10月20日のサピックス・オープンを受けさせた。その結果は次の通りで、サピックスの模試で初めて、そして結果的に全受験期間中唯一偏差値50をクリアする。しかし、それでも豊島岡の合格可能性は20%であった。とはいえ、この成績の向上に手応えを感じた。
4科目計の偏差値:52.3
算数:50.6
国語:56.4
理科:47.6
社会:53.1
まあ、このような私の指導の甲斐もあり、希学園にもどうやら入ることができた。11月からであるが、10月の最後の週から通わせてもらうことになった。さて、私がずっと指導をしたい気持ちがあったが、次女の欠点は時間内に試験が終えられないことであった。これは、そういうことに慣れていないからである。そして、それを鍛えるのは皆と競争するしかなく、私が指導しているのでは、到底、スピードアップは難しいということで塾に行くという選択肢を取らざるを得なかったということもある。また、塾というコミュニティは、小学生が受ける受験のプレッシャーを和らげてくれる機能もある。さらに、嬉しいことにサピックスと異なり、希学園は受験当日までもしっかりとフォローをしてくれる。長女の失敗を繰り返したくない私達としては、なかなか理想的であると思われた。
さて、希学園に入った次女は、猛烈に勉強を始める。これまで本腰を入れて勉強をしていないので、まさに途中出場のサッカー選手のようにまわりが疲れている中、まだまだ気力も体力も漲っている。しかも何を勉強しても、知らないことが多いので、スポンジのように知識を吸収していく。9月から10月の上がり具合からいっても結構、期待できるかなと思った矢先のサピックスの12月8日の模試。これは9月の悪夢再来というような結果であった。
4科目計の偏差値:43.4
算数:42.0
国語:44.3
理科:46.4
社会:48.0
この時は次女の第一志望であった豊島岡はもちろん、渋谷教育学園渋谷中学校の合格可能性は20%。頌栄女子学院も20%。まあ、ほとんどどこにも入らないという判断をされた訳である。
この結果は塾にも内緒にした。これが受けられる最後のサピックス模試だったので、大変、後味が悪いものであったが、次女はさらに負けん気が刺激され、より激しく勉強するようになった。この頃になると、塾に感化され、年頃などもあって、私にも反抗的な態度を取るようになり、これはしまったな、と思ったがもう塾の指導にかけることと、母親を遠隔操作して自宅での次女の勉強をフォローしていった。
1月になると、受験校の過去問も結構、解けられるようになっていく。お試し受験は佐久長聖だけにした。これは、お試し受験をする時間でさえもったいなかったからである。佐久長聖は合格したが、ここは自分が成績分布のどこに位置するかが分かるグラフも作成して渡してくれる。次女は、山型の分布の不合格者側にいた。これには私も焦り、問題を再びやらせてみた。そして、出来なかった問題を徹底的に理解させた。ちなみに、次女は色塗りが出来なかったのだが、そこでしっかりと理解させるように教えたのだが、結果、渋谷学園渋谷高校で類似問題が出て、彼女はこれを正答する。
受験直前には私が手術入院したりして、あまり指導も出来なかったのであるが、最初に述べたような受験計画を策定し、渋谷学園渋谷高校には合格。豊島岡には3回受験して、3回とも落ちてしまった。ということで、本人はがっかりしていたが、このようなサピックスの模試の結果を鑑みると、本当によくぞ渋渋に合格したと思わずにはいられない。サピックスの渋谷学園渋谷高校の合格偏差値は57である。一度も、それに近い数字を出すことができなかったことを考えると、12月から1月の追い上げが相当のものであったということが推察される。
また、一方で、私はそうは言っても実は、豊島岡にも受かるのではないかと思っていた。しかし、渋谷学園渋谷高校には到達できても、豊島岡までは到達できなかった大きな要因があることが、受験をしたことで判明した。それは、国語力の不足であった。理科と社会は、しっかりとまじめに勉強すれば、その時間に比例して点数は上がる。ただ、小学生は覚えるのも速いが、忘れるのも速い。それで、忘れたらまた覚え直す、という勉強法が重要ではあるが、比較的、短期間で点数を向上させることはできる。算数は、計算力がないとどうにもならないが、計算力さえ鍛えさせておけば、直前に問題の解法を覚えさせれば、これまたどうにかなる。ただし、計算力がなければ、この直前での点数アップは不可能だ。次女は小三の冬から町塾に入るまで算盤塾に通わせていたのだが、これが資産として活きたと思う。さて、短期での対策がまったく期待できないのが国語。しかも小説の読解である。漢字はどうにかなる。説明的な文章の読解もどうにかなる。しかし、小説の読解は、他人の気持ちを理解するといったある程度、精神的な成熟性が問われる場合が多い。これは、多くの小説を読んで、小説で描かれる多種多様な人の生き様や人生を疑似体験するような経験を積み重ねることでしか鍛えられない。長女はサピックスに通う以前は、本をやたら読んでいた。その結果、国語は得点源であった。次女は、恐がりなので、ちょっとでも人が死ぬような話の小説をずっと回避してきた。この読書体験の少なさが、簡単な国語の問題なら解けるが、豊島岡や桜陰クラスの問題だと解けない。このことには12月頃に気づいたが、もう手遅れであった。
さて、そういうことで、私の短い期間であったが、中学受験へのチャレンジの体験にお付き合いいただいて感謝致します。長女も次女も第一志望に落ちたので、受験的には成功者とはいえないかもしれないですが、私の経験から次のことが導き出せるのではないかと思います。
1) 進学塾に早く行かせれば、受験に成功するとは限らない。どんなに早くても5年生からでいいと思います。根を詰めて勉強するのは、2年間が限界。次女はスタートが遅過ぎたかもしれませんが、6年の夏休み前からで十分なのではないかと思われます。ちょっと不安であれば6年生になってから開始してもいいかもしれません。次女の通っていた塾の先生もあと2ヶ月足りなかったと言っていましたが、私もそう思います。11月ではなく、9月入学であれば間に合ったのではないかと思います。ただし、9月入学できるための勉強が必要なので、その勉強は7月頃からしなくてはならないかもしれません。
2) 本人がやる気にならなければ、勉強はさせても無駄。効率が悪いだけでなく、勉強という行為を嫌ってしまいます。そうなったら、復活させるのは至難の業で、受験どころではなくなります。
3) 短期的にどうにかなることと、どうにかならないことがあります。算数の計算力、そして国語の読解力、特に小説文の読解力を鍛えるためにも、塾に通う前に、これらを鍛えておくことが必要だと思います。算盤塾はとても効果的だと思います。
4)スピードが重要。入試問題は理解して解けるだけでは不十分です。指定時間内に解けなくてはなりません。本番の試験は、その時間に比して、問題量が圧倒的に多いです。あまり思考せずに、むしろ条件反射的に解けるスピードが要求されます。そのためには、スピードをトレーニングしてくれる塾、しかも他の児童と競い合って時間内に解くような機会を多く与えてくれる塾に通い、鍛えるのが効果的だと思います。
5)試験の直前のメンタル・ケアが重要。なかなか家族だとリラックスできない場合も多いと思いますので、そのためにも、受験直前にいろいろと悩みを聞いてもらえる先生がいる塾に通うことは意味があるかと思います。私も希学園自体には、いろいろと注文したいことがありますが、この試験直前、試験期間中の塾生のフォローには感謝しています。次女が合格した一つの要因であるかと思います。
とりあえず、こんなところでしょうか。また加筆することが後日、あるかもしれませんが、今日はここまでで。ブログにいろいろと情報公開を開始したこともあり、全部落ちるようなことがなくて、ホッとしています。ただ、世の中の中学受験のやり方には多くの誤解があるかと思います。そのような誤解、例えば小学校4年生から進学塾に通わせないとちゃんとした学校には到底、受からない、などといった「常識」が違うことをある程度、証明することができて、その点、次女には感謝しています。もうちょっと、私の言うことを聞いておけばなあ、と思わないこともないですが、まあ上出来です。
次女が豊島岡を第一志望にした理由は長女が通っているからである。長女にとって豊島岡は向いていたと思うが、次女は長女とは違う性格である。ドイツに1年半住んでいたこともあり、またピアノに力を入れているので、どちらかというと多面的な価値観を育んでくれる渋渋の方が本人は合っていると思っていたので、正直、よかったと思っている。
まあ、私のそんな考えはともかく、これまで中学受験に首を突っ込んで、このブログにもその経緯を時折、報告させていただいたので、ここでしっかりと整理と分析をさせていただければと思う。中学受験をされる親御さんの参考に少しでも資すればと考えている。
まず、次女がどのような受験体験をしたかを最初に整理させてもらいたい。その前にちょっと長女の話から。長女は小学校5年生の4月(4年生の3月頃)からサピックスに通った。最初のクラスこそあまりよくはなかったが、どうも成績を競うということが彼女にとっては楽しかったこともあり、受験勉強をするというよりかは、少しでも上のクラスに行くということが目的化して、一生懸命、勉強をすることになった。下高井戸校という小さな学校に通っていたこと、出来て間もないということもあり、サピックスらしくない個人塾のような面倒見のよい授業をしてくれた。加えて、長女はサピックスとの相性がよかったらしく、しばらくするとアルファ・クラスという一番上のクラスに在籍することになった。競争に楽しみを見出す長女は、志望校を桜陰にし、そこへの合格を目指して勉強をしていた。サピックスは親が宿題のフォローをしないといけないとよく言われるが、長女は勝手に自主管理をしていたこともあり、私がほとんど彼女を見ることはなかった。母親はちょっと手伝っていたようだが、私は何もせず、その結果、中学受験の難しさなども知らずに過ごした。
さて、ただし順風満帆で来ていた長女には落とし穴が待っていた。というのは、正月休みが明けるとサピックスはそこでもう指導を終えてしまう。いつの間にか、志望校合格という目標より、教室内での順位争いに目標が置き換わってしまった長女は、サピックスでの講義が終わると、目的を失ってしまい放心状態のようになってしまった。それに加え、試験前のプレッシャーに悩まされることになり、試験前は私に怒られるほど、おかしくなってしまっていた。そのような状況で桜陰中学を受験。数年後に彼女が言うには、異様に緊張してしまったそうだ。その結果、不合格。ただし、滑り止めで受けた豊島岡には桜陰の結果が出る前ということもあり、また、本命でないこともあり、極めてリラックスして受験することができたそうで、無事、合格する。
次女も受験をした方がいいかな、とは朧気ながら思っていたが、本人がまったくその気にならない。とはいえ、通っている区立の小学校が学級崩壊的だったので、このまま区立の中学に進学するのは厳しいなと考え、5年生の夏休み頃に、とりあえず姉と同じようにサピックスの試験(サピックス・オープン)を受けさせた。7月8日のことである。その結果は、次のようなものであった。
4科目計の偏差値:30.2
算数:32.8
国語:37.9
理科:28.4
社会:32.8
今、思うと感動的に悪い。理科が28.4であるが、私は、自分は勿論、偏差値28という数字が存在することは理論的には分かるが、見たこともなかった。というか、合計の偏差値が30.2。この偏差値だとサピックスには入りたくても入れてもらえない。とはいえ、このまま放っておくのも不味いので、近くの町塾に通わせることにした。町塾は、どっかの塾から独立した先生達が指導をしており、とりあえず勉強をさせる癖ぐらいつけてもらいたい、と思って通わせたのである。この町塾は、四谷大塚のテキストを使って指導をしていた。さて、夏休み明けの9月にまたサピックスの模試を受けさせた。偏差値は30から34にアップ。すべて30台という低さではあるが、30以下は流石になくなった。ちょっとは町塾の勉強の成果が出たのかもしれない。
4科目計の偏差値:34.1
算数:38.0
国語:36.2
理科:37.7
社会:35.4
さて、その後はちんたらと町塾に通わせていた。町塾は月水金と週に3回通っていた。とりあえず、それまではまったく勉強をしなかったので、町塾でもそれなりの意味はあったかと思う。次女はピアノが得意で、私もそちらの方にむしろ力を入れてもらいたいぐらいに思っていた。とはいえ、いざ勝負の時になって本人が勉強をしようと思っても、数学の計算力と漢字が出来ないとどうにもならないので、旺文社の「出る順の計算」と「出る順の漢字」を買って、塾と平行してやらせようとした。しかし、なかなかやらない。私もそれほど勉強をみてやる時間がなかったので、あまりチェックをしなかったのだが、全然やらないで、やれない理由ばかりを述べるので半ば諦めた。結局、この「出る順の計算」と「出る順の漢字」を終わらせるのは6年生の10月になってしまう。当時は5年生の12月ぐらいに終わらせることを私は思い描いていたが、何しろ、やらないパワーが強かったので放っておいた。
そうこうしているうちに6年生になり、夏休みになった。次女はそれなりに町塾で忙しく勉強しているし、まあ、勉強してない訳でもないから、それほど心配もしてはいなかったのだが、6年生の9月に1年ぶりにサピックスの模試を受けてみて愕然とした。その結果は次の通りだ。
9月22日 サピックス・オープン
4科目計の偏差値:39.6
算数:34.6
国語:46.7
理科:46.4
社会:41.6
1年前よりかは、多少はよくなってはいるが、勉強をほとんどしないで受けた結果と、町塾とはいえ多少は勉強をしていたことを考えると、ほとんど駄目じゃないか。というか、このままではほとんどどこの学校にも受からない。受験をすることを諦めるべき成績であることに、大きな衝撃を受ける。長女が勝手に勉強をしていたこともあり、次女も適当に出来るだろうと考えていた甘さを思い知らされた。さて、もうこれは区立に進学しなくちゃ駄目かな、と考えていると、当の本人が俄然、やる気になってしまった。絶対、受験をすると言い張る。それでは、もう塾を変えなくてはならない、ということで進学塾に通わせる戦略を立てる。ようやく本人がやる気になったので、高額な進学塾代を払ってもいいか、という気持ちに私もなった。さて、しかし、問題になるのは、こちらが入ってもいいか、と思っても入れさせてくれる塾がないことだ。サピックスには入れない。それでは、ということで家の近くの塾を探すと、希学園という塾が目黒にあることが分かった。これなら、バスで通うことが出来る。ということで、希学園に通うことを考えたのだが、ここもある程度の成績を試験で取らないと入れてもらうことさえ難しい。我々が進学塾を選ぶのではない。進学塾が児童を選ぶのだ、という厳しい現実にひるまされたが、どうにか点数を取らなくては、ということで、町塾の指導が今ひとつであり、かつサピックスで成績の悪い算数と社会に関しては、もう町塾に通わせずに私が代わりに指導をすることにした。そして、私が集中的に指導した1ヶ月後の10月20日のサピックス・オープンを受けさせた。その結果は次の通りで、サピックスの模試で初めて、そして結果的に全受験期間中唯一偏差値50をクリアする。しかし、それでも豊島岡の合格可能性は20%であった。とはいえ、この成績の向上に手応えを感じた。
4科目計の偏差値:52.3
算数:50.6
国語:56.4
理科:47.6
社会:53.1
まあ、このような私の指導の甲斐もあり、希学園にもどうやら入ることができた。11月からであるが、10月の最後の週から通わせてもらうことになった。さて、私がずっと指導をしたい気持ちがあったが、次女の欠点は時間内に試験が終えられないことであった。これは、そういうことに慣れていないからである。そして、それを鍛えるのは皆と競争するしかなく、私が指導しているのでは、到底、スピードアップは難しいということで塾に行くという選択肢を取らざるを得なかったということもある。また、塾というコミュニティは、小学生が受ける受験のプレッシャーを和らげてくれる機能もある。さらに、嬉しいことにサピックスと異なり、希学園は受験当日までもしっかりとフォローをしてくれる。長女の失敗を繰り返したくない私達としては、なかなか理想的であると思われた。
さて、希学園に入った次女は、猛烈に勉強を始める。これまで本腰を入れて勉強をしていないので、まさに途中出場のサッカー選手のようにまわりが疲れている中、まだまだ気力も体力も漲っている。しかも何を勉強しても、知らないことが多いので、スポンジのように知識を吸収していく。9月から10月の上がり具合からいっても結構、期待できるかなと思った矢先のサピックスの12月8日の模試。これは9月の悪夢再来というような結果であった。
4科目計の偏差値:43.4
算数:42.0
国語:44.3
理科:46.4
社会:48.0
この時は次女の第一志望であった豊島岡はもちろん、渋谷教育学園渋谷中学校の合格可能性は20%。頌栄女子学院も20%。まあ、ほとんどどこにも入らないという判断をされた訳である。
この結果は塾にも内緒にした。これが受けられる最後のサピックス模試だったので、大変、後味が悪いものであったが、次女はさらに負けん気が刺激され、より激しく勉強するようになった。この頃になると、塾に感化され、年頃などもあって、私にも反抗的な態度を取るようになり、これはしまったな、と思ったがもう塾の指導にかけることと、母親を遠隔操作して自宅での次女の勉強をフォローしていった。
1月になると、受験校の過去問も結構、解けられるようになっていく。お試し受験は佐久長聖だけにした。これは、お試し受験をする時間でさえもったいなかったからである。佐久長聖は合格したが、ここは自分が成績分布のどこに位置するかが分かるグラフも作成して渡してくれる。次女は、山型の分布の不合格者側にいた。これには私も焦り、問題を再びやらせてみた。そして、出来なかった問題を徹底的に理解させた。ちなみに、次女は色塗りが出来なかったのだが、そこでしっかりと理解させるように教えたのだが、結果、渋谷学園渋谷高校で類似問題が出て、彼女はこれを正答する。
受験直前には私が手術入院したりして、あまり指導も出来なかったのであるが、最初に述べたような受験計画を策定し、渋谷学園渋谷高校には合格。豊島岡には3回受験して、3回とも落ちてしまった。ということで、本人はがっかりしていたが、このようなサピックスの模試の結果を鑑みると、本当によくぞ渋渋に合格したと思わずにはいられない。サピックスの渋谷学園渋谷高校の合格偏差値は57である。一度も、それに近い数字を出すことができなかったことを考えると、12月から1月の追い上げが相当のものであったということが推察される。
また、一方で、私はそうは言っても実は、豊島岡にも受かるのではないかと思っていた。しかし、渋谷学園渋谷高校には到達できても、豊島岡までは到達できなかった大きな要因があることが、受験をしたことで判明した。それは、国語力の不足であった。理科と社会は、しっかりとまじめに勉強すれば、その時間に比例して点数は上がる。ただ、小学生は覚えるのも速いが、忘れるのも速い。それで、忘れたらまた覚え直す、という勉強法が重要ではあるが、比較的、短期間で点数を向上させることはできる。算数は、計算力がないとどうにもならないが、計算力さえ鍛えさせておけば、直前に問題の解法を覚えさせれば、これまたどうにかなる。ただし、計算力がなければ、この直前での点数アップは不可能だ。次女は小三の冬から町塾に入るまで算盤塾に通わせていたのだが、これが資産として活きたと思う。さて、短期での対策がまったく期待できないのが国語。しかも小説の読解である。漢字はどうにかなる。説明的な文章の読解もどうにかなる。しかし、小説の読解は、他人の気持ちを理解するといったある程度、精神的な成熟性が問われる場合が多い。これは、多くの小説を読んで、小説で描かれる多種多様な人の生き様や人生を疑似体験するような経験を積み重ねることでしか鍛えられない。長女はサピックスに通う以前は、本をやたら読んでいた。その結果、国語は得点源であった。次女は、恐がりなので、ちょっとでも人が死ぬような話の小説をずっと回避してきた。この読書体験の少なさが、簡単な国語の問題なら解けるが、豊島岡や桜陰クラスの問題だと解けない。このことには12月頃に気づいたが、もう手遅れであった。
さて、そういうことで、私の短い期間であったが、中学受験へのチャレンジの体験にお付き合いいただいて感謝致します。長女も次女も第一志望に落ちたので、受験的には成功者とはいえないかもしれないですが、私の経験から次のことが導き出せるのではないかと思います。
1) 進学塾に早く行かせれば、受験に成功するとは限らない。どんなに早くても5年生からでいいと思います。根を詰めて勉強するのは、2年間が限界。次女はスタートが遅過ぎたかもしれませんが、6年の夏休み前からで十分なのではないかと思われます。ちょっと不安であれば6年生になってから開始してもいいかもしれません。次女の通っていた塾の先生もあと2ヶ月足りなかったと言っていましたが、私もそう思います。11月ではなく、9月入学であれば間に合ったのではないかと思います。ただし、9月入学できるための勉強が必要なので、その勉強は7月頃からしなくてはならないかもしれません。
2) 本人がやる気にならなければ、勉強はさせても無駄。効率が悪いだけでなく、勉強という行為を嫌ってしまいます。そうなったら、復活させるのは至難の業で、受験どころではなくなります。
3) 短期的にどうにかなることと、どうにかならないことがあります。算数の計算力、そして国語の読解力、特に小説文の読解力を鍛えるためにも、塾に通う前に、これらを鍛えておくことが必要だと思います。算盤塾はとても効果的だと思います。
4)スピードが重要。入試問題は理解して解けるだけでは不十分です。指定時間内に解けなくてはなりません。本番の試験は、その時間に比して、問題量が圧倒的に多いです。あまり思考せずに、むしろ条件反射的に解けるスピードが要求されます。そのためには、スピードをトレーニングしてくれる塾、しかも他の児童と競い合って時間内に解くような機会を多く与えてくれる塾に通い、鍛えるのが効果的だと思います。
5)試験の直前のメンタル・ケアが重要。なかなか家族だとリラックスできない場合も多いと思いますので、そのためにも、受験直前にいろいろと悩みを聞いてもらえる先生がいる塾に通うことは意味があるかと思います。私も希学園自体には、いろいろと注文したいことがありますが、この試験直前、試験期間中の塾生のフォローには感謝しています。次女が合格した一つの要因であるかと思います。
とりあえず、こんなところでしょうか。また加筆することが後日、あるかもしれませんが、今日はここまでで。ブログにいろいろと情報公開を開始したこともあり、全部落ちるようなことがなくて、ホッとしています。ただ、世の中の中学受験のやり方には多くの誤解があるかと思います。そのような誤解、例えば小学校4年生から進学塾に通わせないとちゃんとした学校には到底、受からない、などといった「常識」が違うことをある程度、証明することができて、その点、次女には感謝しています。もうちょっと、私の言うことを聞いておけばなあ、と思わないこともないですが、まあ上出来です。
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