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下北沢はお茶の産地であった! [地域興し]

 縁あって下北沢と関わるようになった。戦後すぐに計画された26メートル道路を下北沢の街中に整備するという愚行に反対し、その馬鹿さ加減を世間に吹聴してからのつきあいだが、もう8年近くになるかもしれない。そもそも、それ以前から下北沢はニアミスしていた。大学がすぐそばにあったからだが、私は圧倒的に下北沢ではなく渋谷でたむろしていた。今、思うと私が大学生の頃は1980年代だったので、下北沢が本当にサブカルチャー・ネイバーフッドとして注目される前の、こうさなぎが蝶になるような、おそらく相当、面白い胎動が下北沢ではみられたのであろうが、感性が鈍い私は、わかりやすい渋谷に行ってしまっていたのである。下北沢の飲み会でも、大手チェーンのようなところに入ったりしていて、全然、感心したことがない。大学時代、ロフトでライブをやったら出入り禁止になって、なんかうるさいなあ、とさえ思っていた。そこが、山下達郎のライブで有名なライブハウスであることさえ知らなかった。ちなみに、出入り禁止になった理由は、先輩達の暴動であって、私はただの傍観者であった。ともあれ、このように若い時代に下北沢とあまり関係性が持てなかったことは、今、振り返るととても残念だ。その後も下北沢から比較的近い、方南町や永福町に30代半ばからは住むようになっていた。方南町の家はともかく、永福町に住んでいた時は、下北沢を毎日、通っていたので、もっと使えばよかっただろうに、ただ通過していた。まあ、私は飲むときは青山の行きつけのバーに行っていたので、渋谷もほとんど通過駅であったので、下北沢を利用する必要性はなかった。
 さて、そういうニアミスだらけの私であったが、この頃は、下北沢と縁ができたこともあり、積極的に下北沢に行くようになっている。ゼミの飲み会もイベント的なものは、前は地元の飲み屋か目黒、五反田で済ませていたが、最近ではわざわざ下北沢まで行く。すると、下北沢はとても奥が深いので、行けば行くほど楽しくなってくる。ネットワークも広がり、ああ、こんな楽しい街のそばに住んでいたり、大学に通っていたりしていたのに知らなかったなんて、バカな俺、と後悔仕切りの気分になる。ああ、バカバカバカ。しかし、その若い頃の失態を補うかのように下北沢に通うようになっている。
 そのようなことをしていると、いろいろ貴重な人々と出会う。そのうちの一人が、日本茶専門店しもきた茶苑大山の大山さんである。その大山さんのところに京都文教大学でお茶の勉強をしている学生とうちのゼミ生、そして国立台湾大学の友人と彼女の学生達とで訪れる。国立台湾大学の学生も烏龍茶の勉強をしている。
 大山さんのところでは、いろいろとお茶に関する質問をする。特に国立台湾大学の友人が、いろいろと質問をする。なんか、相当、お茶に関して勉強しているらしく、細かいところを聞いている。それを、大山さんは嬉しそうに答えて下さる。京都文教大学の学生達も、とても刺激を受けているようだ。私も、大山さんとお話をすると、とても勉強になる。日本人だからお茶のことは知っているような気分でいたりしたのだが、まったく知らないことをここに来ると知る。いわゆる無知の知だ。そして、ここで提供していただくお茶は、本当に美味しい。こういう美味しいお茶は本当、めったに飲めない。ただ、料金は結構、高い。ちなみに大山さんは全国に9名しかいない茶師十段である。
 下北沢は、実はその昔、茶畑があった。ここのお茶は青山のお茶市場に出荷されたのだ。下北沢のそばに三軒茶屋という町があるが、このお茶屋で出されていたお茶も下北沢産のものだったのではないかと勝手に思ったりもしている。下北沢は、サブカルチャーの街、演劇の街、カレーの街、古着屋の街、カフェの街、作家の住む街などの側面があるが、実は「お茶の街」でもあったのだ。私は小田急が地下化した後にできたオープン・スペースに是非とも、お茶の木を植えたいなと思ったりもする。下北沢はお茶の村であったのだ。そして、そのDNAを微かに引き継いでいるのが、このしもきた茶苑大山なのではないだろうか。また、一つ、下北沢の魅力を知る。

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