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フクシマ原発の被災地においては、IBAの手法が有効なのではないか [都市デザイン]

 IBAエムシャーパークの講義をドルトムント工科大学のヤン・ポリーフカにしてもらう。講義の話で感心したのは、「IBAの基本的な精神は、うまくいくかどうか分からないので実験しよう」という説明であった。成功するか失敗するかを問わないことによって、創造的なアイデアが出てくる可能性が高まる。
 したがってIBAがうまくいったかどうかを検証することが重要であるが、その結果、たとえ成果が出ていないにしても責任は取らない。とはいえ、IBAのプロジェクトを遂行するためには「クオリティー・コントラクト」として、プロジェクトの「質」を確保しなくてはならないので、無責任に取り組むというリスクを回避させることには成功している。
 IBAを理解するうえで重要な点は、それが再開発のプログラムではなくて、実験であるということだ。この実験する、という取り組みは極めて重要だ。というのもエムシャーパークにしろ、最近のプックラーラントにしろ、ザクセン・アンハルトにしろ、IBAが対象とする地域は、世界中から知恵を集めたとしても、うまくいくかどうか分からないほど経済的・社会的に大きな課題を有しているからである。そこには従来のパラダイムでは、解決不能であるからこそ、IBAに頼るという側面もある。
 そこにはまた、取り返しのつかなくなる前にどうにかしようという考えもある。最悪の事態になる前に対応することで、傷口をそれほど広げなくても済む。とはい、成功事例として広く知られるIBAエムシャーパークであっても、もし1960年代に始めたら、今ほど酷い状況にはならなくても済んだであろうとポリーフカ氏は指摘する。
 縮小している都市や地域は、本当に酷い状況にならなくては、縮小しているということに気づかない。それを予見することが重要で、それが、IBAザクセン・アンハルトにしても、縮小都市研究所のフィリップ・オスヴァルトにしても極めて、優れた点などであるが、日本においては、なかなか縮小しているという現実に目を背ける傾向がある。これは、原発事故で放射能に汚染された地域の危険から目を背けようとすることにも通じていると思われる。
 このように考えると、フクシマでもIBAをするべきではないかと思う。 
 イギリスも日本も、同じように縮小問題に直面しても、成長に執着しているので、IBAではなくて都市再生法というアプローチをした。そして、小バブルを一時的につくりあげたが、今では、そのバブルも破裂し、状況は当時よりさらに悪化している。一方で、IBAは投資が回収できないところでも再開発ができる。成長はゆっくりでもいいし、マイナスでもよい。ゆっくりとした展開を促すことが可能である。
 フクシマ原発の被災地においては、IBAの手法が有効なのではないかと、ポリーフカ氏の話を聞いて強く思う。

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