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菅直人前首相が三月十五日未明に東電本店に乗り込んだ際の訓示の記録(引用) [原発問題]

9月9日の東京新聞からの引用。

東京電力福島第一原発事故で、本紙は、菅直人前首相が三月十五日未明に東電本店に乗り込んだ際の訓示の記録全文を入手した。現場からの撤退を打診した東電側に「放棄したら、すべての原発、核廃棄物が崩壊する」と警告し、「命を懸けてください」と迫っていた。菅氏は本紙のインタビューで「東京に人がいなくなる」ほどの強い危機感があったと明かしていたが、訓示の内容からもあらためて裏付けられた。 (宮尾幹成)
 第一原発では当時、1、3号機が水素爆発を起こし、2号機も空だき状態の危機が続いていた。政府関係者の記録によると、菅氏は「(撤退すれば)チェルノブイリ(原発の事故)の二~三倍のもの(放射性物質の放出)が十基、二十基と合わさる。日本の国が成立しなくなる」と危機感をあらわにした。
 その上で、「命を懸けてください。逃げても逃げ切れない」と、勝俣恒久会長や清水正孝社長(当時)ら東電側に覚悟を要求。「六十歳以上が現地に行けばいい。自分はその覚悟でやる。撤退はあり得ない」と訴えた。
 菅氏は海江田万里経済産業相(当時)から「東電が撤退意向を示している」と報告を受け激怒。清水社長を官邸に呼び政府と東電の統合本部設置を通告し直後に東電を訪れた。
 東電の松本純一原子力・立地本部長代理は今月六日の記者会見では「撤退を申し上げた事実はない。七十人程度が事故対応のために残り、それ以外は(対応拠点の)『Jヴィレッジ』や福島第二原発に退避することを考えていた」と説明した。

引用終わり。

菅首相はマスコミにフルボッコされて、退任に追い込まれたが、フクシマ原発事故時に、菅首相であったことは不幸中の幸いであったことをこの新聞記事から改めて確認する。電力会社から献金を受けていない極めて希有な政治家が首相であったということで、チェルノブイリを上回ったかもしれない大惨事をぎりぎりであったが回避することができた。彼を追い詰めたマスゴミ、そして国民は、そのうち、彼の政治的成果を認めるような、このような記事を出していくのであろうが、それは電力会社、原発推進者達が、それなりに脱原発の風向きを変えさせた後になるであろう。

自民党政権のいい加減な原子力政策の後始末に奔走させられる羽目になり、また電力会社の無責任な対応に、次の一言。
「六十歳以上が現地に行けばいい。自分はその覚悟でやる。撤退はあり得ない」
これは、名言だ。

タグ:菅首相
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