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選手会とコミッショナーとの見識の違いをみると、勉強なんかしているよりかは野球漬けの人生を送った方が、よほどまともな人間になるような印象さえ受ける [グローバルな問題]

 今度の震災ではいろいろと考えさせられる。興味深いのは、海外がこの震災時に略奪行為が起きていないことに感銘を覚えているということだ。確かにニューオリンズのカトリーヌ台風での水害の際にも、ハイチ地震の際にも、略奪が行われた。インドネシアで飛行機の墜落事故が生じた時、被災者からモノを盗る人達が多くいた、などの話を聞いたりすると、確かに、日本人はそういうことをしない。むしろ逆に私とかは、そういうことをする方が信じられない。これは多くの日本人が共有する心情であろう。それは、社会において人を殺してはいけない、というのと同じロジックであると思うのである。だって、災害時において周りが信用できなければ、全滅するしかないじゃないか。協力、協調することが最優先されるという意識が、他の社会において発達していないというのは逆に大きな驚きである。
 しかし、そのような協調性に富む日本人であるが、気になることが幾つかある。例えば、大した危機も見えていないのに、不要なものまで買い溜めして、その結果、被災者に物資が届けられないような事態を招いている消費者達。まあ、この買い溜めは福島第一原発が予断を許さないこと、さらに計画停電への不安が引き起こしているので、私は「東電買い溜め」と名付けている。したがって、消費者の気持ちは分からないでもないし、彼らの行為が被災者に迷惑をかけるということに無自覚なだけだったので、それほど責めるのは酷であるとは思うが、この状況下で、ガソリン・スタンドで給油するために待ち行列をつくっている車には腹立たしい気分になる。
 ガソリンといえば、駅などで待機せずに、街中を走り回っている空車のタクシー。本当に空車のタクシーが多い。流しでタクシーを拾おうなどと思う人は、この状況下では少ないのだから、駅とかで本当、待機していて欲しい。あのタクシーの運転手にも損失となり、タクシー会社にも損失となる流しだけは、今は辞めてほしい。そんなガソリンを無駄にする余裕があるなら、物資を被災地に運んで欲しいというのは、あまりにも勝手な意見か。あと、客も積極的に相乗りをするようにすべきではないだろうか。
 さらに、腹立たしいのは、プロ野球のセ・リーグである。福島第一原発が収束した後ならともかく、このような状況下でなぜ、野球をする必要があるのか。まだ、行方不明者が多くいる中、野球を観るような余裕があるのか。ヤクルトの宮本選手は「野球で力を、と今言うのは、思い上がりだと思う。時期がある」と言ったらしいが、まさに正論である。選手会長の新井貴浩は「野球で勇気づけようという気持ちは僕らも同じ。それが今の時期かといえば、違うと思う」という。これもまさに正論であろう。このように選手会が反対してまで強行しようとしているものは、加藤良三コミッショナーや巨人の清武球団代表である。加藤コミッショナーは「風評により日本は負の連鎖に陥っている。野球がやれるぐらい落ち着いているというメッセージを世界に向けて発信したい」と話した。いや、全然、落ち着いていないでしょう。私もこのところ、まったく仕事も手がつかず、福岡第一原発の進捗状況をチェックしては、いらいらしてこのブログを書いているような状況である。この加藤良三コミッショナーは、元外交官で在米勤務が4回もある。アメリカを始めとした海外のマスメディアはもう日本が沈没というような論調で書かれたりしていたので、ちょっと違和感を覚えていたのではないだろうか。私も海外からの知人からのメイルがいよいよ増えてきて、もう返事を書くのも億劫になってきている。ロスの友人は家族ごと避難しても大丈夫な部屋を用意できる、とまで言ってきた。ドイツの友人からは国際交流制度を使えば3ヶ月はドイツに来られるけどどうする?とまで言ってもらえた。後者は別にこのような状況でなくても魅力的な提案だったのだが、そこまでして東京を逃げるような状況ではまったくないと思う。まあ、このような状況だと、「野球ぐらい出来ちゃうくらい、大丈夫なんだよ」と言いたい気持ちも分からないでもないが、実際はしかし、そこまで大丈夫じゃないし、そのような空元気はむしろ人々を脱力させる。アメリカばかりみていないで、250キロメートル北にある福島第一原発、そしてそのさらに先の津波によって甚大なる災害を受けた被災地にこそ目を向けるべきであろう。野球選手の方が、東京大学法学部を出た外交官より遙かにコモン・センスを有している。しかし、このようなエリートはいつの時点で、このようなコモン・センスを失うのであろうか。おそらく、若い時はもっとコモン・センスを有していた人と思われるのである。福島第一原発で迷走する経産省の役人も、東京電力のエリート陣も、みな若い時からコモン・センスを失っていた訳ではないと思われるのだ。人生のある時点で、おそらくコモン・センスを失うのであろうか。そういう私もちょっと20代後半から30代にかけてはコモン・センスを失っていたような記憶がある。それは、会社からのノルマのプレッシャーとかが要因であったと思われるので、まあ、エリートでないが故のコモン・センス喪失であったと思ったりするのだが、いわばエリート街道を順風満帆で歩んできた人にもコモン・センスがないというのは興味深い。
 選手会とコミッショナーとの見識の違いをみると、東大なんかに行くよりかは野球漬けの人生を送った方が、よほどまともな人間になるような印象さえ受けてしまう。本当、いろいろと考えさせる。

タグ:加藤良三
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