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日本の英語教育は昔でいえば、植民地での英語教育のようなことを目指している [英語関連]


大学の同僚の先生と3人で英語教育の会話をする。私を含めた3人ともアメリカの大学院に通った経験がある。さて、そこで一致した意見は、現在の日本が取り入れようとしている英語教育は、アメリカにおける移民教育、もしくは昔であれば植民地でみられる英語教育であるということだ。本来的に英語を自らの知識を高め、自分の能力を向上するために用いるのであれば必要なものは読解力である。そして、次に求められるのは、その高い能力を発信するために必要なライティングである。リスニングとスピーキングはそれほど重要ではないし、リスニングはともかくスピーキングの修得はほとんど不可能に近いので無駄だ。

それなのに日本の英語で力を入れているのはスピーキングとかリスニングである。これは、アメリカ人が指示をする従業員として都合のいい能力であって、日本人は外資系か楽天で働く以外は必要としない能力である。そもそも繰り返すがスピーキングは極めてハードルが高いので、そのマスターは不可能に近いので、そういう意味でも無駄に近い。移民や昔の米国の植民地の人々がスピーキングを必要とするのは、前者は社会の最底辺の仕事に就くためには、上司の指示を理解し、状況を報告する最低限のスピーキングとリスニング能力が不可欠であるからであり、後者も「奴隷」的な仕事をするうえで、支配者側にとって英語でリスニング、スピーキングができることが望ましいからである。

日本で興味深いのは、このようなスピーキングとかリスニングを自らが高額の授業料を払って英会話学校に通ってマスターしようとしていることである。被支配者になるために、高額の投資をしているという、まさにアメリカ側からすれば「かもネギ」的状況にある。そんな暇があれば、本当にリーディングに力を入れるべきであろう。何か方向性が間違っているよね、ということで同僚との話は結論が一致したのである。

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