SSブログ

アイゼンヒュッテンシュタットを再訪する [都市デザイン]

ドイツの縮小都市の代表格であるアイゼンヒュッテンシュタットを再訪する。これで4回目である。こんなドイツの端の都市になぜ、こんなに頻繁に訪れるのか。それは、訪問の過程で知り合った都市計画家であるフランク・ホーヴェストと友人になったことが理由である。もちろん、アイゼンヒュッテンシュタットの縮小状況の現況を調べるために訪れたのであるが、同時にフランクに会うというのも訪れる大きな理由である。

夕方に彼のオフィスに訪れ、彼が現在手がけているBプランの説明を受ける。どのようなプロセスでBプランを変更していくのか。具体的な事例での説明は、本より分かりやすい。

その後、一緒に夕食を取る。フランクは私の大学の同僚と違って、博士号をもっているが公務員であり、一般的というか常識的なドイツ人の情報が得られる貴重な友人である。さて、アイゼンヒュッテンシュタットに関して得られた新しい情報を幾つか、備忘録をも兼ねてここに記しておきたい。

まず、状況はさらに悪化。年間の市の負債は5800万ユーロ。これはルール工業地域の自治体でいえばレクリングハウゼンとほぼ同規模である。ただし、アイゼンヒュッテンシュタットは3万人の人口であるのに対して、レクリングハウゼンは12万人ほどだから、一人当たりの負担はアイゼンヒュッテンシュタットの方が4倍も多い。レクリングハウゼン自体も課題の大きな自治体であることを考えると、アイゼンヒュッテンシュタットは大きな問題を抱えているといえよう。アイゼンヒュッテンシュタットには、ミトロフグラフ(ブルガリア)、グローゴフ(ポーランド)といった姉妹都市があったが、これらの都市との交流も予算がないということで停止しているような状況である。

アイゼンヒュッテンシュタットの産業構造は製鉄業に極めて偏っているのだが、その売上額は2100万ユーロから今年、800万ユーロぐらいに激減した。このダメージも相当、きついようである。

IMG_1232.jpg
(以前はプラッテンバウテンが建っていたところが、減築で野原へとなっていた)

ただし、一方で追い風もある。フランクフルト(ヘッセン州の方)の郊外のオッフェンバッハにあるプロペーパーがこのアイゼンヒュッテンシュタットに製紙工場を建設したからである。2007年に決定し、最近操業を開始した。これによって、150人の雇用が創出されたそうである。私は以前、学生を引率してきた時にも泊まったホテル・ヒュルステンベルクに滞在しているのだが、ここで夜、食事をしていると、まったく縮小都市にいるという印象を受けない。客は多く、皆、和やかに楽しそうに食事をしている。確かに高齢者が多いかなとは思うが、それほど違和感を覚えない。従業員は皆、若い。これを友人に指摘すると、「本当、そうなんだ」と同意した。アイゼンヒュッテンシュタットは極めて社会主義的なイデオロギーに基づいて、それを具現化するために設計された都市である。最初の名前はスターリンシュタットであったことからも、それは類推できるが、その結果かどうか不明ではあるが、協働する精神をもっている人が多く、コミュニティのネットワークがしっかりしているそうである。ソーシャル・キャピタルがしっかりしているのだ。

IMG_1294.jpg
(新しくつくられた製紙工場。地元の政治家が積極的な誘致を展開したそうだ)

その一方で、スターリンシュタット(現在のアイゼンヒュッテンシュタット)をつくる時、以前から存在していたヒュルステンベルクの一部の土地を強制収用した。これに関しては、ヒュルステンベルクの人々は非常に怒っており、今でも市外の人が市役所の場所を尋ねると、アイゼンヒュッテンシュタットの現在の市役所ではなくて、昔のヒュルステンベルクの役場を教える老婆などがいるそうだ。この役場は今ではまったく使われていないにも関わらず。

いろいろと問題は山積みのアイゼンヒュッテンシュタットではあるが、しかしブランデンブルク州は成長地域として指定している。これはアイゼンヒュッテンシュタットだけではなく、フランクフルト(オデール)とアイゼンヒュッテンシュタットの広域地域としての指定ではあるが、現在、その政策を策定中であるらしい。そこで、アイゼンヒュッテンシュタットはウォーター・レクリエーションだということで、そちら方面の若い専門家を雇っていたりするそうだ。あと、プラスといえば、アイゼンヒュッテンシュタットの市役所は市の土地の30%を所有している。ということで基盤を整備して地価を高めて、その土地を売ることである程度、負債を減らすことはできるとのこと。しかし!これは縮小都市としてはなんか矛盾している政策なのではないかと思わずにはいられない。

旧東ドイツは縮小、縮小というが、ロストックの周辺の郊外の自治体などは人口が増加しているそうだ。まあ、旧東ドイツ、すべて駄目という訳ではないようである。

ところで、話は変わるのであるが、フランクがアイゼンヒュッテンシュタットの駅で60歳くらいの日本人と出会ったことが以前あると話してくれた。どうしてここにいるのかと聞くと、ある日本人が書いた論文を読んだからとのこと。その日本人は誰?とフランクが聞くと、「いやあ、知るわけないよ」と返事をしたのだが、なおもフランクが誰かと聞くと、私の名前を挙げたので、「彼ならよく知っている」と答えたそうである。そしてフランクはクルマで小一時間ほどアイゼンヒュッテンシュタットを案内したそうだが、この彼はおそらく関西の方の某大学教授だと思われるのである。年齢といい、最近「縮小都市」関連の新書を出されたこと、そして何よりアイゼンヒュッテンシュタットにわざわざ来るような日本人の物好きは滅多にいないことなどがその理由である。彼のその本にはアイゼンヒュッテンシュタットの隣の市のフランクフルト・オーダー(オーデル)のことも書かれていたするから、おそらくそうだろう。このテーマで私も本を出そうと、結構、出版社に企画書を出していたのだが、先にこされた相手でもある。まあ、この大きなテーマに先も後もないが、悔しいのは、売れないんじゃないかなどと色々と某出版社が私に難癖をつけて、なかなかゴーを出さないでいたことである。結構、この某大学教授の本は売れている。まあ、二番煎じと言われるのを覚悟で、私はでもそのうちこのテーマで本を出すので、その時は是非ともご一読していただければと思う。私も、このブログに書くことで背水の陣を引いたことになる訳だ。

nice!(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0