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オリンピックのリオ・デジャイネイロ開催決定で、東京の進むべき都市づくりを考える [グローバルな問題]

石原都知事がリオ・デジャネイロ市から抗議されているようである。オリンピックの開催地が東京ではなくて、リオ・デジャネイロに決まったことにいつもの調子でケチをつけたら、それがリオ・デジャネイロのかんに障ったようだ。しかし、石原都知事の発言は、彼のものとしては比較的温厚であった。「もっと目に見えない非常に政治的な動きがありますな」と言った後、 「ブラジルの大統領が来て、聞くところかなり思い切った約束を、アフリカの(IOC委員の)諸君としたようです」と述べた。まあ、前者はともかく後者は言う必要はないかなと思うが、ただしリオも流してもいいようなものだと思う。

それなのに、この程度のことでかんに障ったリオには不安を覚える。ちょっと無理をしているなと自分たちも思っているのかもしれない。都市の魅力で勝負したら、リオに勝るところは世界中でも見当たらないと思う(世界中の都市を訪れたことがないので断定はできませんが)。そして、南米で最初のオリンピックを開催するとしたらリオ・デジャネイロ以外の候補は考えられない。しいて対抗できるとしたらブエノス・アイレスくらいか。南米最大都市サンパウロも有していないカリスマ性をリオ・デジャネイロという都市は有している。ボサノバやオスカー・ニーマイヤーといった建築家を育んだ文化の孵化器であり、カーニバルというイベントの舞台であり、さらに600万人の人口を擁しているにも関わらず、コパカバーナやイパネマというビーチ・リゾートもあり、さらに都市のど真ん中が国立公園として指定されるほどの風光明媚さも擁している。それは、もう奇蹟としか形容のしようもない素晴らしく魅力的な都市である。私も初めてリオ・デジャネイロに降り立った時の驚きは忘れることができない。それは私の想像力を遙かに越えた美しさであった。

しかし、この絶世の美女であるリオ・デジャネイロは多くのマイナス面を持つ。都市交通がほとんど機能していないことや治安の悪さである。映画『シティ・オブ・ゴッド』はフィクションでなくて、ノン・フィクションである。警察がむしろ悪者で、それに対抗するファベラの住民が善であるというのは、漫画や小説ではあったとしても、現実であるというのはなかなか信じがたい話であるが、それがリオの実態である。しかし、そういうことは元メダリストなどから構成されるIOC委員には分かりようもない。選考のプロセスからして、東京がなかなか勝てないのは致し方なかったかもしれない。東京はセクシーじゃないからね。仕事のパートナーとしてならともかくとして、ちょっとオリンピックという派手なパーティーに誘うには、リオ・デジャネイロの方が魅力的に映ったのであろう。例え、その結果、パーティーが混乱に陥り、大きな失態になろうが、そこまではIOCの考えが及ばないのは理解が出来るというか当然であろう。皆、リオ・デジャネイロの美貌にイチコロになってしまったのではないかと推察される。もちろん、南米初の五輪というコピーが魅力的であったことは言うまでもない。しかし、もしそれがそれほどまでに魅力的であったのであれば、補欠で最終ラウンドに進むことはなかったであろう。やはり、現地視察において多くの委員が感銘を受けたと解釈することが妥当なのではなかろうか。

さて、しかし東京が負けたことを今後の東京の都市づくりに活かしていくことが必要ではないかと思う。リオ・デジャネイロのようなゴージャスなランドスケープを東京は有してはいないが、本来的な魅力を損なうような開発をしていることは確かである。昨日、ドイツの都市計画家数名と話をしたが、東京のどこが魅力的かという話をすると、京島という回答が多い。東京に住むなら京島、しかし周辺の押上で森ビルのような開発が進むのはなんとも残念という意見もあった。多くの日本人は森ビルの開発やらお台場が、東京の魅力と思っている節があるが、外国人はむしろ逆である。むしろこれらの開発に対して、何を血迷っているのか東京は、と言った意見を持っているものが多い。森ビルのような再開発はむしろ時代遅れであり、京島や神楽坂など東京という風土に脈打つ文脈をしっかりと現代に再現できるような街並みを保全、維持、再生することがグローバリゼーションにおいて求められているものであり、それこそがリオ・デジャネイロにも対抗できる世界都市の魅力を創造することに繋がるのではないだろうか。デュッセルドルフのアルトシュタット(旧市街地)の再生、ベルンの旧市街地の維持、ベルリンにおける旧市街地の再生事業などをみるにつけ、その都市の世界的にみても固有であるアイデンティティをいかに再生させていくかが、グローバリゼーションの時代においていかに有効であるかを再認識させられる。東京は不幸にして、第二次世界大戦にて多くの都市資源を失ったが、それらをまた現代において再生させるという取り組みをもう少し頑張った方がいいのではないだろうか。コスモポリタンな都市づくりをしなければならないほど、東京という都市は薄っぺらではない。丸の内が世界遺産などという妄言が堂々とまかり通るような安っぽい都市では決してない筈である。

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