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イタリアでは公共の場で演奏すると著作権を払わなくてはならない [その他]

イタリアでは広場などの公共の場で演奏すると著作権を払わなくてはいけないことを知る。別に視聴者からお金を取っている訳ではないのに、一回のイベントで200ユーロぐらい支払わなくてはならないのだ。このコンサートではロング・アンド・ワインディング・ロードなども演奏していたのでレノン・マッカートニーのコンビにも著作権を支払っていたのだが、ジョン・レノンの分は誰が受け取るのであろうか。ちなみに、ヨハン・シュトラウスやシベリウスなどの曲を演奏してもまだ著作権を支払わなくてはならないそうだ。このお金は本人の子供や孫やひ孫にいくのかもしれないが、本人の天才性とはほとんど無縁のこのような人達にお金がいくのはおかしいと思うし、これらを管轄している組織の運営費をこういうところで賄っていると考えると、こんな制度はなくすことが一番だと思う。

日本も著作権法が改められたので、いろいろと規制が厳しくなったようだが、人前でほとんどストリート・パフォーマンスの乗りで演奏しているのに元曲の著作権を取るのは乱暴である。日本はどうなっているのか分からないが、こういうことをやっているとストリート・パフォーマーは他人の曲を演奏できなくなってしまう。そもそも衰退している中心市街地の活性化のためにイベントを市民が開催していて、それを盛り上げるために曲を演奏しているだけなのに著作権で200ユーロ取られてしまったら堪らないと思うのは私だけではないだろう。そもそも、音楽は広く人類の公共財であり、もちろんレコードやCD,DVDなどに対してはお金を支払うべきであろうし、その演奏に対しても対価を請求して構わないと思うが、他人がそれを演奏することに対してお金を取るのは違うと思う。それだと学園祭でのコピーバンドはいちいち演奏ごとにお金を支払うことになる。そんなところに規制をしている状況とユーチューブの著作権侵害の問題への手をつけられない状況とを比較すると、なんかとてつもなくせこいことをしているような印象を受ける。しかも、それが我が国のような文化や公共性に対して理解が希薄な国がやっているならともかく、イタリアのように文化の蓄積や理解があると思われている国でやっているところがまか不思議である。まるで社会主義のような馬鹿さ加減と思うのは私だけであろうか。このような規制はむしろ音楽の発展などを阻害するだけで、何もいいことはないと思う。天才の子供達をより豊かにしてまで犠牲にするようなことはない。こういうことを書くと、世に出ていない才能のある人が作曲する気をなくすだろうと指摘されるかもしれないが、世に出ていない才能を世に出すためには多くの人がカバーをして広く認知されることが必要であり、むしろお金を出してでも取り上げてもらいたいと思うであろう。

その後、レストランで食事をしていたら流しの叔父さんがやってきてギターの弾き語りをした。もしかしたら、彼もお金を払わなくてはいけないのか。しかし、彼の演奏に対して彼が得た収入は私の50セントだけであった。これじゃあ、著作権料を支払ったらド赤字だな。どうなっているのか不明だが、何かおかしいと個人的には強く思った次第である。

タグ:著作権
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