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アンコーナは流通システムが未発達であるとの印象を受ける [グローバルな問題]

アンコーナはアドリア海沿岸ではイタリア有数の都市(とはいえ人口は10万ちょっと)であるが、町を歩き、市場をみたりして、まだまだ流通システムが未発達であるとの印象を受けた。都心をそぞろ歩きしたが、マクドナルド、スターバックスといった外食チェーン類は一切なく、ギャップやエスプリといったインターナショナルなブランドも見当たらなかった。イタリア・ブランドのベネトンの店舗もなかった。代わりに市場ではバンコクのように露天でアパレルや靴などが売られていた。

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農産品ならまだしもアパレルが露天商で売られているのはちょっと驚きである。しかし、このような流通システムの効率化が行われていないことで、市場が活き活きとしている。確かに中国製の安くて良質な商品は手に入れられないかもしれないが、一方で、農薬まみれの海外の農産品ではなく周辺で採れた新鮮な魚や野菜などを手に入れることができる。スローフードといえば聞こえはいいが、要するに流通システムが未発達なので、結果論的に地産地消になっている印象を受けた。もちろん、いろいろなものが周辺で採れる豊かな風土を擁しているからこその豊かな地産地消環境である。シャコが売られていたのがちょっと驚きであった。シャコ食べるんだ、イタリア人。

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(シャコが売られていた)

とはいえ、消費の選択が増えるということ、例えば日本においてパパイアが食べられたり、イベリコ豚が食べられたりすることが果たして豊かなのかといったことをアンコーナの流通システムは再考させる。ドイツの流通システムも日本より遙かに劣っているが、そのためか食料などは保存料をほとんど使用していない。それはそれですぐ腐ってしまい大変であるが、保存料を大量に入れて日持ちをよくしたものを食べていることがどの程度豊かさに繋がっているのか。以前、このブログでも書いたことがあるが、アメリカなどはジャガイモ畑に囲まれたアイダホのレストランが冷凍ポテトを出したり、また冷凍したサラダを解凍して出したりするという非常に「貧しい」ことをしている。流通システムの発達がこのような「貧しい」食料を商品化させることを可能にしているのだ。単に効率性や規模の経済性といった価値とは異なる、新しい価値を我々は必要としているのではないか、ということをアンコーナの町を歩き思った次第である。

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(タイムスリップしたかのようなマーケット。現状の流通システムが進化してのスローフードではなく、単に未発達であるからこそのスローフードであることを知る。手放しで誉めるのは危険だ)
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