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ドイツの教育制度についてちょっと考えてみる [ドイツ便り]

 ドイツの教育制度の大きな特徴は、小学校4年生の時に、人生でも最大の岐路に立つことであろう。小学校4年生の時に、ギムナジウムに行くか、職業学校的な基幹学校、実科学校に行くかといった進路が決まってしまう。この制度は州によって多少異なり、例えばニーダーザクセン州は、小学校6年生の時まで選別の猶予が与えられているそうだが、私の住んでいるノードライン・ヴェストファーレン州は小学校4年生の時に決定する。ギムナジウムは大学に進学するコースであり、実科学校も大学への進学という道は残されているが、それにしても小学校4年生でその後の人生の進路がほぼ決まるというのは、結構厳しい制度ではないかと思う。小学校4年生の息子がいる私の知り合いによれば、ギムナジウムに行く割合は3割程度であり、知り合いの息子さんはギムナジウムに行けるが、友達は行けなかったそうである。その判断は誰がするかというと担任であり、担任の権力は絶大であると同時に責任も重い。通常、小学校1年生から小学校4年生までを同じ担任が見るので、正確な判断ができるとの前提で捉えられていると思うのだが、人によっては生徒の過小評価をあえてする場合もあったりするそうだ。
 しかし人によっては、大器晩成型の人もいるだろうに、そういう可能性のある子供を除外する危険もあるのではないでしょうか、と知人に尋ねると、まさにそういう欠陥がある制度だという。また、多くのドイツ人が小学校4年生で将来の道を判断するのは時期尚早であると捉えているともいう。しかし、この制度を変えるのは不可能に近いだろうとも言っていた。それほど、このドイツ社会に根付いている制度であるそうだ。この話を聞いていたもう一人のドイツ人はニーダーザクセン州でお姉さんが学校の先生をしていることもあってだろうか、ちょっと納得しかねるといった顔をしていたので、まあ、制度が変えられないということは絶対ではないだろうが、結構、アンタッチャブルなところもあるようだ。
 それにしても、個人の可能性を若い時に閉じてしまう制度というのはどうなんだろうか、と思うのと同時に、ほとんど実現しない可能性を馬の鼻面にぶらさげた人参のように見せておくのもどうなんだろうかな、とも思ったりもする。アメリカは自由の国だ、アメリカン・ドリームの国だ、と自らも喧伝したりするが、実際、このアメリカン・ドリームを具体化できる人の割合は宝くじに当たるよりも少ないくらいのものである。しかし、宝くじと同様に、誰にでも当選する可能性があると思わせておくことで、社会の様々な歪みを自己責任ということで封じ込めてしまっている。そういう過剰な非現実的な夢を提示させて、全国民夢追い人にして、多くを夢破れて打ちひしがせる社会と、ある程度、もう可能性を限定させるが、それなりに社会でしっかりと自分の居場所を確保できるような職業訓練をする社会とどちらが優しいかというと意外と後者かもしれない。感情論的にドイツの教育制度は残酷だ、と安易に思うことは慎まなければいけないなとも思う。いろいろと考えさせるドイツの教育制度であり、その短所は明らかではあるが、長所も多くあることは確かであろう。というのは、この特色ある教育制度が、ドイツを多くの欠点を有しても、それなりにしっかりとした国として機能させている要因であるからだ。

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