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『スモール・イズ・ビューティフル』を読み、いろいろと考える [書評]

 E・F・シューマッハーの『スモール・イズ・ビューティフル』を今更ではあるが読む。私が日々、ぼんやりと感じていた問題点を、明瞭に解説していており、大いに驚くと同時に、こういう本を今まで読まないでやり過ごしてきた自分を大いに恥じた。こういう本を早めにしっかりと押さえておけば、私の研究の方向性などももっと若いうちにしっかりとしていただろうに大いに悔やまれる。もちろん、この本の存在は知っていたし、購入もしていた。しかし、読まなかった。というか、読む暇がなかったというか、読む時間をつくろうとしなかった。その結果、読んでいれば私の思考は一段高い地平を見ることができたであろうに、しなかったので下のレベルで彷徨っていた訳である。まあ、読んだら、急に視界が開けたという訳ではないのだが、前よりは霧が晴れたような気がする。このような人生を変えるような図書に、たまに出会う。すぐ思い浮かぶのがジェイン・ジェイコブスの『The Death and Life of Great American Cities』や、ケビン・リンチの『Good City Form』、マイケル・ハウの『City Form and Natural Process』、石牟礼道子の『苦海浄土』などである。そして、この『スモール・イズ・ビューティフル』もこれらの本と同列に、私に大いなる衝撃を与えた。
 特に私が置かれている立場、すなわち経済学が専門ではないのに経済学科に所属しているという立場から日々、うすらぼんやりと感じていた経済学へ対する疑念を晴らすような指摘をシューマッハーは次々としていく。そうか、私の疑念はもうずっと前から既に指摘されていたのか、と納得すると同時に、早く読んでおけよな、と自分を突っ込む自分がいることに気づく。

「今日の経済学の知恵では貧しい人たちをいっこうに助けられないというのは、実に奇妙な現象である」

 本当だよね。これは、経済学が何を主体として、豊かさを捉えているかという根本的なずれを指摘していると思う。私の大学でも、「中国に外資がどんどんと投資したことで、随分と中国も発展したから悪いことだけではない」と言う経済の先生がいる。こういう意見に経済学者ではない私は大いなる戸惑いを覚えるのである。これは誰にとっての「発展」なのか、「発展」=是なのか、という根源的なところでの考察が抜けていることに私が戸惑いを覚えるからである。しかし、こういうことに無頓着な経済学者はどうも多いことは最近、分かってきた。

「戦争でどんなにはげしい破壊を受けても、教育、組織、規律の水準が高い国では、「経済の奇跡」が起こっている。実をいえば、それを奇跡と呼ぶ人は、氷山の一角しか見ない人である。大戦でその一角は粉砕されてしまったが、教育、組織、規律という土台は残っていたのである。」

 経済的なアセットは、教育や規律、組織の構造にあるという指摘は鋭すぎる。しかし、これを蔑ろにしているのは最近の日本でもそうでしょう。このような社会的なソフト基盤なくして、安易に発展ができるとか、開発経済学者が指摘するような貧困からの脱却は容易ではない。そもそも、貧困という定義からして、しっかりと理解が共有されているのであろうか。

「仕事の機会を与えるのが第一の必要事であり、経済計画の最大の目標であるべきだという主張の、もう一つの根拠がここにある。仕事の機会がないと、都市への人口の流入は、止めることはおろか、減らすことさえおぼつかない。」

「スイスの人口は600万人弱であるが、20以上の州(カントン)に分かれていて、各州が一種の開発地区をなし、そのおかげで人口も産業もかなり均等に分散されていて、特定の「州」への過度の集中は見られない。」

「国が大きければ大きいほど、その内部構造は堅固でなければならないし、また開発への地方分権的な取り組み方が必要になってくる。こういう必要が無視されると、貧しい人たちの希望は断たれてしまう。」

 現在、私が研究対象としている縮小現象への鋭い指摘も多くされていて、本当に有り難い本である。さらに、その研究のベースである「サステイナブルな未来」をデザインするための貴重な助言も多く含まれている。例えば、下記のようなものである。

「貪欲と嫉妬心が求めるものは、モノの面での経済成長が無限に続くことであり、そこでは資源の保全は軽視されている。そのような成長が有限の環境と折り合えるとは、とうてい思われない。」

「モノは足りさえすればよく、多すぎるのは悪だという思想がどこを探しても見当たらない間は、資源消費の速度を落としたり、金持ちや権力者と貧乏人や一般大衆との関係を調和させる可能性はありえないのである。」

 シューマッハーのする指摘は、金科玉条のごときであり、本当にもっと早く読んでおけば、随分と現在、自分も賢くなっていたというか、少なくとも、現状ほど馬鹿ではなかっただろうなあと思い悔しくなるが、一方で、ここで読まなかったら、さらに馬鹿なままでいたな、と思うと安堵の気持ちを得たりもする。とにかく、狭義の経済学ではもはや人類が抱えている問題を解くことは不可能で、むしろいたずらに人心を迷わすだけで無駄であることは分かった。そのための超経済学というものが研究されるべきであることも分かったが、自分の能力を考えると、とてもそんなものを研究対象にする訳にもいかず、ある意味困ってしまう。まあ、私の今の立場で出来ることといえば、学生達にこの著書を読ませるように工夫することぐらいか。


スモール イズ ビューティフル―人間中心の経済学 (講談社学術文庫)

スモール イズ ビューティフル―人間中心の経済学 (講談社学術文庫)

  • 作者: E.F. シューマッハー
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1986/04
  • メディア: 文庫



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