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デュースブルクのブルッケンハウゼンを視察して陰鬱な気分になる [都市デザイン]

日曜日なので居候をさせてもらっているフランクとドルトムント工科大学の彼の同僚の二人、計四人とでデュースブルクに視察旅行に向かう。ルール工業地帯にはドルトムント、エッセン、デュースブルク、ボーフムと人口30万人以上の都市が4つある。ドルトムントとエッセンは60万人規模であるが、まあこの4つの都市が地方の核として位置づけられる。デュースブルクはライン川とルール川の合流点にあり、ドイツ最大の内陸港である。製鉄業の大手クロップの製鉄所があり、まだ稼働しているが、その地域の衰退は著しい。

最初はIBAプロジェクトのデュースブルク・ランドスケープ公園を訪れる。大規模な製鉄所跡地をレクリエーション公園へと転用した事例である。溶鉱炉のトップまで階段で上れるのだが、80メートルぐらいの高さがあり、上まで行くとくらくらする。高所恐怖症でない私でも相当来るので、これはそっち方面が苦手な人にとっては堪らないだろうなあ、と思う。こういうことに関しては、ドイツというか欧米の人達は結構、大胆である。

さて、その後、市電に乗ってとことことトルコ人街に行く。ここは驚いた。というのは、まったくドイツじゃないような都市景観だからだ。まるで、ポーランドかトルコかウクライナといった感じである。こう書いていて、トルコもウクライナも実は行ったことはないのだが。というか、イギリスの例えばレスター市という感じだ。ドイツに比べると、イギリスの方が都市景観はずっと劣る。これはロンドンやエジンバラしか訪れないと分からないことだが、レスター市ぐらいの規模の都市を訪問すると、その都市景観の質の悪さに愕然とする。デュースブルクはそういう点でイギリス並みの景観の質の悪さであった。このことをフランクと議論していると、それはミドルクラスの層の厚さという点が要因ではないかと推察するに至った。すなわち、ドイツはイギリスに比べてミドルクラスの層が圧倒的に厚い。イギリスは社会格差が激しく、下流層が多い。そして、ロンドンのような大都市を除けば、都市景観の質を作り出すのはミドルクラスである。そのミドルクラスがイギリスと比べてドイツには多いのだが、ドイツでも有数の衰退都市であるデュースブーグは都市景観の質を向上させるミドルクラスが減少してしまったので、その都市景観もイギリス並みに酷くなってしまったという仮説である。このようにミドルクラスを捉えると、日本の都市景観が貧しいのは、ミドルクラスである中流層がしっかりしていないからだとも指摘できるかもしれない。

ちょうど昼飯だったので、絶対、このトルコ人街のトルコ料理屋に行こうと強硬に主張する。ここでなら、まともな料理にありつけると思ったからである。ということで、結構、トルコ移民の客が多い店に入る。メニューはよく分からなかったが、羊の肉の料理を頼む。この料理はバターライスとニンニクを炒めたものと、サラダもたくさん出てきて美味しかった。ドイツに来て、ようやくまともな料理が食べたという気分になる。お茶もブラック・ティーで美味しかった。ちょっと嬉しい気分になる。

食後は、近くにEUの資金でつくられたモスクを見に行き、それからタクシーでブルッケンハウゼンという地区に行く。この地区は、となりに大手クロップの製鉄所に隣接しており、デュースブルクが縮退していることもあって縮小地区として指定されたところである。指定されたのは4年前でそれからまったく住宅などに投資がされていない。そのために東ドイツの縮小地区に比べてもはるかに悲惨な状況になっている。全室、空き家のようなアパートのような建物に入ると、もうほとんど崩れかかっているような内装なのに中からテレビの音が聞こえてきた。まだ、ここには誰かが住んでいるのである。これは、まさにゲットーであるな、と思ったら、壁にゲットーと落書きがされてあった。ここは縮小地区に指定されても、住民達の一部はその撤去に反対している。そして、頑として引っ越そうとしていないようだ。住民は私がみた限りでは圧倒的に移民という感じであった。東ドイツは住宅を所有していないことが、縮小政策を比較的、円滑に進められた理由の一つであるが、ここ旧西ドイツでは、そこらへんがネックになっているのかもしれない。縮小政策を遂行することの難しさを知る。ともかく、今日は凄いものをみた。カメラを忘れたのが残念である。また再訪しなくては。
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