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モンタナ、アイダホで冷凍料理を食べ、アメリカ的物流システムに危惧する [サステイナブルな問題]

イエローストーン国立公園に訪れ、国立公園の境界沿いにあるウエスト・イエローストーンのぼろモーテルに学生達と宿泊する。ウエスト・イエローストーンは、国立公園という極めて土地利用規制の強い地区に隣接しているというメリットだけで形成された村である。イエローストーンは、9月中旬というオフシーズンであるにも関わらず、園内の宿泊施設はキャンプグランドを除けば満杯であった。宿泊需要が高いにも関わらず、国立公園の中は宿泊施設を増設することができない。需要があるにも関わらず、供給がない。そのような場合、市場経済下であれば宿泊施設の値段を上げて、需要も減少するのであろうが、そうするとおそらく一泊10万円くらいの価格設定になるであろう。しかし、そこはアメリカの数少ない美徳である国立公園。広く公共の資源を人々に享受してもらうために、価格設定は通常のアメリカのリゾート地に比較しても遙かに安い。同行してもらったアメリカ人の友人であるクリストファーも、その価格の安さに驚いていた。

さて、しかし国立公園から一歩、外にでれば別である。そこは市場経済によって価格が決定されるために、国立公園の境界線の外にこのウエスト・イエローストーンというイエローストーンの観光客に宿泊をはじめとしたサービスを供給するということだけを目的とした町が形成された。ホテルというかモーテルの価格も相当、高い。しかし、学生達は金がない。ということで、ウエスト・イエローストーンでもおそらく最もぼろいと思われるモーテルに泊まる。一泊一室90ドル程度だ。

まあ、それはともかく、外のレストランに食べに行く。多くの客が入っているレストランに入るのだが、そこではなんとメインの肉や、インゲンの炒め物だけでなくサラダまで冷凍ものであった。サラダがなんで冷凍なのかちょっと疑問である。ユナイテッドやアメリカンといったアメリカの航空会社の機内食以外では冷凍サラダを食べたことがないので、結構ショックを受ける。遂にここまでアメリカの食事は退化したのか。そもそも、サラダという料理は冷凍までして食べたくなるものなのだろうか。冷凍サラダの不味さは、冷凍マグロや冷凍食品の不味さの比ではない。冷凍してまで食べるようなたいそうな料理ではない。そもそも、生野菜というのは、中国人なんかは調理しなかったどちらかというと下流料理の代表格である。冷凍してまで出すなら炒めろ!茹でろ!サラダをわざわざ冷凍させて移動させる必然性がまったく分からない。物流が発達し過ぎて非効率が増大してしまったということだろうか。それであれば、皮肉だ。

その次の日には朝食をマクドナルドで食べる。というのは、昨夜のレストランがマクドナルドより不味かったからである。また、一部の学生がアメリカのマクドナルドを食べたい、という希望を持っていたからでもある。ただし、久々に入ったマクドナルドで改めて気付いたのだが、マクドナルドの商品はほとんど、というか卵を除くとすべてが冷凍食品である。というか、卵も調理したものを冷凍して運んでいる可能性が大きい。私はブレックファスト・ブリトーを食べたのだが、その中に入った卵はやはり、ユナイテッドやアメリカンといったアメリカの航空会社の機内食で食べたものに極めて近かった。アメリカはファストフードが席巻し、食べ物はどんどん劣化していき、しかしカロリーはたくさん摂取することになって肥満と糖尿病が増えている。もうほとんど気が狂っている。

この日、我々はソルトレークシティに向かったのだが、途中でアイダホのクレーター・オブ・ザ・ムーンに寄った。黒色の溶岩流が大地を覆っており、確かに月面ってこんな感じかもしれないと思わされる奇勝地だ。まあ、それはともかく、その後、近くの町で昼食を取る。アイダホだからポテトだ。ハンバーガーを注文すると添え物がつくのだが、隣の学生がサラダを注文したのを「この馬鹿、アイダホだからポテトに決まっているだろう」と悪態をついて自信をもって注文したフライド・ポテトが冷凍ポテトであった。なんなんだ!そこらへんジャガイモ畑なのに、なんでポテトが冷凍なんだ!このレストランも結構、地元の人と思しき客が入っておりそこそこ評判のレストランなのだろうが、それでもポテトは冷凍ですか。なんかなあ。日本だと御当地のものがまだ食べられる。唐津の烏賊とか、下関の河豚とか、高知の鰹、とか山形のだだちゃ豆とか、沖縄のもずくとかヤギ汁とか、香川の讃岐うどんとか、そこに行かないとなかなか食べられないうまいモノがある。しかし、アメリカの34%のじゃがいもを生産しているアイダホ州、アイダホ州の州内総生産の15%を占めるじゃがいもを何故、新鮮な形で、いや新鮮でなくても少なくとも冷凍食品ではない状態で食べることができないのか。そもそもジャガイモは、その保存性から極めて重宝してきた食料ではないのか。もうちょっとオレゴン州寄りの都市か町なら食べられるのか。どちらにしても、大変がっかりした。これは、ドイツやフランスなどのレストランで出される、まあ大して美味しくないじゃがいも料理と比べても、はるかに文化レベルが低く、これが本当に世界で最も経済的に豊かな国の姿なのか、甚だ疑問に思わせられる。もちろん、アイダホやモンタナはアメリカの中では豊かではない州である。しかし、その貧しさはむしろアメリカ的な画一的なシステムを導入したことでさらに悪化したと思われる。少なくとも50年前はこの町の人達の食事はもっと豊かであった筈だ。アメリカ的なシステムを盲従的に受け入れることの危険性、貧困さを改めて強く印象づけさせられた。日本も気をつけなくてはいけない。


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