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能登半島地震の初動対応遅れから日本社会を蝕む「対応力の無さ」を考察する [サステイナブルな問題]

朝日新聞の記事に能登半島地震の初動は「人災」であると指摘した防災計画第一人者の室崎教授のコメントが掲載されていた。たいへん勉強になる指摘が為されていたのだが、個人的に特に気になったのは「先を読んで、刻々と変わる状況に的確に対応できていないこと」という点である。「現場のニーズを把握し、吸い上げてすぐ決定していくことができていない」ということだ。せっかく立派な防災計画を、お金(税金)をかけてつくっているにも関わらず、それをマネジメントできない。
 現在でも関連死が増えている状況では、とにかく、現場で起きていることに対するニーズを迅速にすくい上げ、すぐに判断して的確に差配できる体制を構築しなくてはならないような状況なので、ここで振り返って問題点を指摘するような段階ではないのだろうが、これは現況の日本の公務員の劣化とも関係しているようにも思えるのである。今回、地理的な要因や交通渋滞があるので、「ボランティアはまだ行かないで」と最初から強く国も県も自治体も伝えたが、これはボランティアのプラスの側面を捉えず、マイナスの側面ばかりを意識したからであろう。ボランティアは邪魔なので、我々に任せろ、というような意識がなくては、このような発言はできない。そして、その結果、圧倒的なマンパワー不足と専門的なノウハウの不足で、救えた命を失い、失いつつある。これは、もう国や県、そして自治体のマネジメント・ミスで責任が問われるような問題かと思う。
私は政策学部に所属しているので公務員になりたがる学生が多いのだが、この「現場のニーズを把握し、吸い上げてすぐ決定していくことができていない」タイプの学生が多く公務員になりたがる。ゼミの時間とかで地震が起きたら、一番頼りにしたくないような学生が公務員になりたがる。私も実は、そういう学生は民間より公務員にでもなるしかないかな、と特に反対もしない。つまり、責任を回避し、それだけど給料はもらえる仕事として公務員を選んでいる学生が多いのだ。
 ただ、ギリシャの経済危機の背景に公務員の国民に占める割合の高さがあったように、公務員が多いと国は滅びの道を歩む。ましてや、責任も取りたくなくてその仕事に就いた人が、このような災害の事態でそもそも上手く対応できる筈もないのだ。ちょっと地方分権をさらに進めて、公務員の責任をより明確に、見える形にするなどの対応をしないと、日本の将来は本当、危ないんじゃないだろうか。能登半島地震の背景には、「現場のニーズを把握し、吸い上げてすぐ決定していくことができていない」公務員システムというのが厳然として存在していると考えられる。迅速な変革が必要なのではないだろうか。

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