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バルセロナの観光資源はほとんどこの100年ぐらいの間につくられた [都市デザイン]

 バルセロナに一年間で訪れる観光客はおよそ2700万人。一泊以上の海外観光客数でみると、バルセロナは737万人で、これは全世界の都市の11位(2014年)。スペインでは一位、ヨーロッパでもロンドン、パリに次ぐ多さである。ヨーロッパの中でもアムステルダム、ミラノ、ローマ、ウィーンよりも多いし、19位の東京よりも当然、多い。バルセロナの経済にとって観光客はとても重要であるが、市民はそうは思ってはないようで「観光客は帰れ」という落書きは市内のあちこちでみられる。
 なんで、そんなにもバルセロナは観光客を引き寄せているのだろうか。「バルセロナで行くべき10のところ」(http://www.barcelonayellow.com/bcn-photos/204-top-10-attractions-barcelona)というウェブサイトでは、次の観光スポットを勧めている。
1.サグラダ・ファミリア
2.噴水ショー
3.ピカソ美術館
4.ランブラス通り
5.カンプノウ・スタジアム
6.バルセロナの歴史地区
7.グエル公園
8.モダニスム建築群
9.モンジュイックの丘
10. ティビダボ
 なかなか魅力的なメニューであるが、これらの観光スポットで気になるのは、4と6を除けば、すべてこの150年以内、日本でいえば明治維新以降につくられたものであるということだ。これは、ロンドンやパリといった歴史都市とは大きく異なる点である。サグラダ・ファミリアは正確にはまだ未完成であるが、設計されたのは1882年。噴水ショーは1929年のバルセロナ万博を契機としている。ピカソ美術館は1963年。カンプノウ・スタジアムは1954年。グエル公園は1923年。モダニスム建築群は1888〜1911年。モンジュイックの丘が観光地として位置づけられたのは1929年で、それが再注目を浴びたのは1992年のバルセロナ・オリンピック。そして、ティビダボがつくられたのは1899年である。
 京都やローマといった観光地と比べてももちろんだが、ほとんどの都市と比べても非常に観光資源の歴史が浅いことが分かる。私は結構、ランブラスもローマ時代を起源とする歴史地区も好きである。しかし、歴史地区だけをみればイタリアの諸都市はもちろんのことリヨン、ベルン、プラハなどに大きく劣る。
 そういうことを踏まえると、観光地としてのバルセロナの魅力はほとんどこの100年ちょっとの間に人工的につくられたものであることを知る。そして、それらの人工的な観光資源のほとんどが建築である。もちろん、ピカソ美術館はその展示物が、カンプノウ・スタジアムはFCバルセロナの試合が、というようにコンテンツがその建築物の魅力の要素であるものもあるが、サグラダ・ファミリア、グエル公園、モダニスム建築群の多くはアントニオ・ガウディという一人の天才建築家の作品である。まあ、バルセロナの建築はガウディ以外にドメニク・モンテーニュというもう一人の不世出の天才が同時代に活躍したという幸運もあるが、それにしても随分と手っ取り早く都市の魅力を高めたものだと思わずにはいられない。
 150年前にバルセロナに来ても、ランブラスぐらいしか観光名所はなかったのかという事実はちょっと驚愕である。ガウディとモンテーニュがいなければ、バルセロナにこんな観光客が世界中から訪れることなどなかったと思われるからだ。
 さて、そういう事実を考えると、改めて東京は建築的な魅力に乏しい都市と思わざるを得ない。日本には建築家が多くいるし、建築教育もしっかりとやっていると思うのに、建築を活かした都市という指標からいえば、本当にその順位は低いと思う。
 まあ、元首相がイギリスの至宝といわれる建築家の渾身の作を「生牡蠣のようで嫌いだった」と平気で言い放つことができる国の都市に、そのような世界中から人々が訪れるような建築がつくれるか甚だ疑問だし、日本の建築家がそのような建築をつくろうとする意志を持っているのかも、今回の新国立競技場の騒動をみると疑わしい。
 それに比して、バルセロナは天才、そして万博とオリンピックという機会を見事に活かして、世界に冠たる観光都市を人工の力でおそるべき短期間でつくりあげた。それはそれで都市問題が生じたりもするが、都市づくりという観点からは本当に学ぶべき点が多い都市であると思う。また、幸いにしてバルセロナに関しては東京大学の岡部先生や龍谷大学の阿部先生が多くの研究をされて日本語で文献を出してくれている。オリンピックを控えた東京だけでなく、多くの日本の都市が学ぶべき都市であると強く思う。

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