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マドリッドの都市計画についての話を伺う [都市デザイン]

 マドリッド政策大学のホセ・ミグエル先生にマドリッドの都市計画についてのお話を伺う。1990年にマドリッド市のマスタープランのテクニカル・チームのメンバーであった先生でもあり、マドリッドの都市計画の造詣が深い先生である。以前、お会いしたのは2012年なので、3年ぶりにまたいろいろとマドリッドの都市事情の説明をしていただいた。
 マドリッドの歴史は、マンザナレス川の畔に、9世紀〜15世紀頃、ムスリムが軍事基地をここに設置したことが都市の始まりとなる。現在、王宮がある崖がムスリムの軍事基地が設置されたところであった。そこは防御に最適であったのと、川から多少は離れていたためにマラリア蚊の被害も少なかった。驚くことに、当時はマラリアがマドリッドにもいたのである。その後、トレド、アトチャ、アルカラの方面に都市は発展していった。
 全般的にマドリッドはたまねぎのように発展したが、都市の発展が川を越えることはなかった。17世紀にはマドリッドは既に首都であった。マドリッドの都市の周辺には壁がつくられたが、それは防御の目的ではなくて、税金を取るための壁であった。そのため、都市は平面的に拡張することができず、どんどんと高くなっていった。19世紀に税金を取るための壁が取り払われ、都市は拡張していった。このときになぜ、壁が取り払われたかというと上水を確保できたからである。
 1997年にマドリッドのジェネラル・プランがつくられた。これは、現在でも効力を有している。都市の北部は自然を保全するための地区として指定された。
 このジェネラル・プランの大きな目的は世界都市を目指すということである。90年代、後半、マドリッドは国際都市間競争に参戦する。その背景には次の3つの事柄があった。
・ 1986年にヨーロッパ連合に入る。
・ 1989年にフランス人の地理学者がヨーロッパの大都市連携についての研究をする。これがスペインの政治家にショックを与える。これは、初めてヨーロッパを包括的に捉えた研究であった。いわゆる「成長のバナナ」という経済軸のコンセプトを発表した研究である。これは、「成長のバナナ」に50%のヨーロッパの経済活動が集中しているというものだ。不思議なことに、パリは成長のバナナから離れているが、これはフランスの政治家がパリを入れるな、と言ったからだそうである。そちらの方が、パリをどうにかしなくては、ということで国の予算がパリに集中するからである。
・ サスキア・サッセンの「グローバル・シティ」が発表され、これがインパクトを与えた。
 このような背景を踏まえて、マドリッドはバルセロナだけでなく、パリ、ミラノ、ロンドン、ミュンヘンなどをライバルとして設定して、これらの都市に対して競争力を有するマドリッドを創造しようと考えたのである。
 そして、ルイス・ガラルドン(Ruiz Gallardon)という強力なリーダーシップを有する市長が生まれる。彼は、都市開発をするための寛容な計画的フレームワークを設定して、マドリッドをグローバル都市へと変貌させる数々のプロジェクトを打ち出していく。良好な経済的なコンテクスト(1996−2007)が状況を後押しした。
 高速道路ネットワークは、1975年から2007年の期間に随分と整備された。高速道路のほとんどが無料である。そして、飛行場。ターミナル4の整備で、空港の容量は二倍に拡張された。さらには高速鉄道ネットワーク。マドリッドとセビージャを結ぶ高速鉄道ネットワークが整備されてから、マドリッドを中心にネットワークは整備され、現在ではフランスよりもスペインの方が高速鉄道の延長距離が長い。ただ、これらは大変、高額なシステムであり、費用対効果はちょっと怪しい。
 郊外鉄道は9本あって、600万人が一日、利用している。これはヨーロッパの水準としては、相当、優れている。ほぼ人口規模が等しいワシントンDCとの比較をすると、マドリッドは300駅、293キロの延長距離に対して、ワシントンDCは86駅、170キロの延長距離。
 また、マドリッドの地下鉄も随分と充実したネットワークが整備されている。ただし、50%ぐらいしか運賃収入で回収できない。
 ガラルドン市長が進めた開発プロジェクトとしては、まずマドリッド・リオのプロジェクト。マンザナレス川の両側に走っていた道路を4年で地下化し、4年で上を公園した。川の両沿岸にあったコミュニティは関係性がまったくなかったが、このプロジェクトで多くの人道橋なども整備されたこともあり、地域として統合されつつある。週末には多くの人で賑わっており、公共便益が極めて高い。大変、成功しているプロジェクトであろう。
 そしてニュー・ビジネス・センター。50階ぐらいの高層ビルが林立している。2006年−2007年に完成した。ただし、その後、経済不況が起きたので、随分と空室が多かったが、最近はテナントが入りつつある。
 空港そばにあるマドリッド・ジャスティス・キャンパス。大変お金がかかったプロジェクトであるが経済不況になったため、それ以上、事業は進捗していない。
 チャマルティン駅のプロジェクト。これは、同駅を地下化して、再開発をするというプロジェクトであったが、経済不況のために頓挫してしまっている。 ニュー・ビジネス・センターのオフィスが埋まらないのに、ここを開発してもしょうがないと考えられているそうだ。
 王宮と劇場の間の歩行者空間化。王宮の前を走っていた自動車道を地下化させ、上部空間を公共空間として開放したプロジェクト。これも大変お金がかかったそうだ。
 そしてサンタ・バーバラ・プラザ。ここも自動車を地下化させた。
 このように、マドリッドはこの20年間ほどで随分と人間中心の街づくりが為されてきた。そして、最初はうまくいっていると思われたのだが、その後、「ワイルドなパーティーの後の二日酔い」のような状況になってしまっている。ガラルドン市長は、その後、国政に転じ、法務大臣を務めていたのだが、ゲイに対しての保守的な見解が国民の反感を買い、現在は大臣も辞めているような状況にある。マドリッドの一人当たりの収入は2008年で30944ユーロ、2013年では 29915ユーロとずっと停滞していたのだが、ようやく2014年は31004ユーロと不況前の状況まで回復しているが、それでもこれまでの停滞のダメージは大きい。そして、マドリッドは借金が多い。2012年の次点で70億ユーロである。人口当たりでみれば、旧東ドイツの都市よりは少ないのと、マドリッドの経済規模は大きいので復活すると、すぐ取り返すことができると考えられているが、それにしても、巨額ではある。
 私は東京オリンピックを返上して、マドリッドに代わりにしてもらえればいいだろうと思っていたのだが、マドリッドの経済状況を考えると、借りにマドリッドがオリンピックを開催したら、その負債額はとてつもなく大きくなり、ギリシャの二の舞になったかもしれないな、と思った。マドリッドはオリンピックという「ババ」を引かずに済んで、本当、ついている。また、経済は復調しつつあるので、停滞した都市開発プロジェクトが進展すれば、30年後には随分と魅力的な都市へと変容するかもしれない。スペインはバルセロナにしろ、ビルバオにしろ、人工的に都市の魅力を向上させることに極めて長けているからである。

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