『軽蔑』 [映画批評]
ゴダールの1963年の作品。ブリジット・バルドーの痛いほどの美しさが画面に溢れている。その美しさは、もはや愛でるような対象ではなく、攻撃的でさえある印象を受ける。日本でも渥美マリが「日本版ブリジット・バルドー」と言われたりしたが、まったく次元が違うことがこの映像からだと分かる。衝撃的だ。さて、本作品はこのバルドーの曲線美と、その演技だけでも十分価値があると思われるのだが、内容も面白い。何しろ、出演者の会話がスリリングである。会話から次の展開が読めない。しかも、それが違和感なく、理解できるような展開である。なるほど、そう来るのか。しかし、映画を見ているものは、バルドーの夫のようにバルドー演じる妻が次に何を言うのかが分からない。そして、どんどんバルドーの術中にはまるというか、自己崩壊をしていく夫と同じように頭は迷走状態になる。まったく目が離せなくなっていく。あと、エンディングは相当ショッキングである。映画の楽しさを存分に理解させてくれる秀作だ。
一点、気になったのは、字幕であり、ドイツ語のところなどは一切、訳されていない。日本人が見るのであるから、フランス語のところだけでなく、ドイツ語などの場面もしっかりと訳してもらいたかった。特に、ドイツ語をしゃべる部分は、秘書がいかに語学に長けて優秀であるかを示す場面でもあったので、そこで字幕がないと、多くの視聴者にとっては不親切になると思われる。
一点、気になったのは、字幕であり、ドイツ語のところなどは一切、訳されていない。日本人が見るのであるから、フランス語のところだけでなく、ドイツ語などの場面もしっかりと訳してもらいたかった。特に、ドイツ語をしゃべる部分は、秘書がいかに語学に長けて優秀であるかを示す場面でもあったので、そこで字幕がないと、多くの視聴者にとっては不親切になると思われる。
タグ:ブリジット・バルドー 軽蔑