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東京の景観の酷さに改めて呆れる [都市デザイン]

現在、ちょっと病院に入院している。東大病院の9階に病室があるのだが、そこから見渡す都市景観が本当に醜悪である。ちょうど墨田区のスカイツリーを見渡す展望と、お茶の水のビル街が望める展望が得られるのであるが、その整合性のなさが生み出す醜悪さは、ちょっと世界の大都市でもあまりない。時間をもてあましているのでスケッチでもしようかとも考えたのだが、スケッチをしたいなと思わせるような景観を探すことができない。これは、9階という中途半端な高さも影響しているのかもしれない。見下ろす感じではあるが、ディテールが見えない訳でもない。おそらく40階ぐらいの高さであれば、それほど気にならないのではないかと思われる。

さて、しかし、どうしてこんなに醜いと私が考えるのかは考察に値する(少なくとも、私にとっては)。そこで考察してみたい。この東京の都市景観の醜さは以下の要因が考えられる。
1) 電線。電線が狭い道の上を規則性もなく、だらしないように弛んであちらこちらを走っている。これは9階という高さからだと、どうしても目について醜い。
2) 建物が斜めにカットされている。建物が高くなればなるほど床面積が少なくなるように斜めにカットされているのが、どうにも格好悪い。これは、日照線によって建物の形状が決められているからであろうが、それにしても、ここまで高さを欲張らなくてはならないのかとも思う。この、高さを欲張ろうという強欲さが現れているので醜く見えるのではないかと思われる。
3) 建物の隣棟感覚が短すぎる。というか、ほとんどないに等しい。これだけ狭いのであれば、むしろまとめて一つの建築にした方がいいのではないか。例えば同潤会の大塚アパートや、青山アパートのように。あのようなブロックであれば、ここまで景観が醜くなることもないであろう。
4) 建物のデザインがあまりにもばらばらである。建築はある程度、多様性が会った方がよいとは思うが、それらに調和がなければ醜くなるだけである。たとえて言えば、色鉛筆を整理するときには、グラデーションができるように近いものを隣にすると綺麗にみえるが、ばらばらにすると汚くなる。東京の景観は、色がばらばらというだけでなく、色鉛筆とクレヨンとマーカーとが混在しているような統一のなさである。
5) 建物の高さもてんでばらばらである。その結果、スカイラインが全く形成されていなくて醜悪である。これは、前述の比喩でいえば、色鉛筆を整理するときに高さもてんでばらばらであるような状態に似ている。
6) 緑が少なすぎる。何しろ緑が少ない。この病院からは上野公園なども眼科におさめることが出来るのだが、それでも緑が圧倒的に少ないと思う。多くの都市で、景観が美しいと思わせるのは都市と対照的に配置されている緑もしくは河川によってである。サンフランシスコ然り、ニューヨークでさえそうだ。ロンドンでさえ、東京に比べればはるかに緑が豊かである。
 まあ、このように考えると、東京の景観を台無しにしているのは、まさに人々が私利私欲の追求に邁進していることと、それらを公が管理・監督しようとも思っていないことであろう。
 都市における公共性という意識の官民における欠如が、まさにこのような醜悪なる都市景観を生み出しているのではないかと思われる。

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