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ブラジルの経済成長は裕福なものに有利に配分されている気がする [グローバルな問題]

今回のブラジル旅行では、ブラジルの金持ち(小金持ち)と知り合う機会が多かった。以前から、たまに小金持ち(日系のお医者さん)の家に呼ばれたりしていたので、その優雅な生活は知っていたつもりであったが、改めて、その贅沢さ、豊かな消費ライフを見るにつけ、何でこんなにお金があるのだろうと不思議な思いをする。

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(クリチバの小金持ちの家)

しかし、実は不思議な思いをすると書いたが、そのからくりはほぼ明らかで、富んでいるものが貧しいものへ富を分配しないだけなのである。そして、さらに貧しいものの土地を奪ったり、貧しいものを土地から追い出したり、つまり、貧しいものをさらに搾取するようなシステムが回っているから、これだけの豊かさを一部のものが享受できているのだ。これは、例えば悲惨な貧困生活を多くの人が送っているインドでも見られる。インドも高級ホテルの昼食のバイキングに、家族で食事に来ている人達などを見ると、本当、こういう人達を養うためのスラムの人達なのだなあと思う。もちろん、中にはチベットのように上も下も経済的な意味では豊かとはいえないような国もある。しかし、これはチベットという国自体が中国というより大きな主体によって搾取されているという、いわば植民地的な構造にあるからとも捉えられるし、そもそも市場経済が展開していないので、そのような富めるものと貧しいものとの分離が進んでいないともいえるかもしれない。この点に関しては、あまり知らないので適当なことを言うのは留意すべきだ。すいません。

さて、ブラジルの経済は今、成長途上にある。絶好調とも言える。ただし、その実態をみると急激に普及した信用経済やワールドカップの開催等で将来への期待が膨らむことによってバブル的経済が拡張しているからであって、どの程度、実態経済が伴っているかは不明である。ただし、そのような状況下でも、やはり富めるものは、金持ちが富むようになるという社会構造を固定化しようといろいろと考えているであろう。なぜなら、自分達が豊かな生活をしている要因が、格差がある社会構造であることをしっかりと理解しているからだ。さて、それでは、どのようにしてこの格差を固定化させることが出来るのであろうか。いろいろと考えられるが、一番効果的なのは教育。特に初等教育。さらには、資本や機会へのアクセスの制限。加えて、ソーシャル・ネットワークなどによって貧しいものが連携することの阻止。ここまでやっておけばほぼ万全であるが、あとは、貧しい者と富む者とを社会的に隔絶することであろう。もちろん、あまりにもあからさまにもやると、社会転覆されることにもなりかねないので、この点は留意しなくてはならない。アメリカのバスケットボール、ブラジルのサッカー、イギリスのロックバンドなどは、貧しいものにも門戸は開かれていて、貧しいものが固定化された格差構造の中に完全にシャットダウンしない一縷の望みも提供している。逆に、この一縷の望みがあることで、貧しいものには自己責任という概念を押しつけることができる。今の日本でも自民党はまさに、そのような政策を推し進めようとしているのだが、まあ、多くの国民が支持しているので、まあそういう方向に日本は向かっていくのであろう。自己責任。言葉は立派であるが、スタート地点が全然、違うからな。自民党のような二世、三世議員だらけの政党、生まれた時点で他者よりはるかに恵まれた地位にある人達に「自己責任」とか言われたくないけど、まあ、国民が支持したので如何ともし難い。

ブラジルの金持ちが豊かな暮らしをしていることに対して、私が余計な御世話的に言うことはないのだが、やはり気になるのは教育への機会が極めて制限されていることだ。ブラジルとインドネシアでは、国の教育予算がほぼ同じであるが、ブラジルは大学などの高等教育に手厚く、初等教育に少ない。インドネシアと逆である。ブラジルの方が国際競争力のあるエンブラエルのような企業が出てきたり、カールス・ゴーンのような経営者を輩出したりしているので、その点は、インドネシアとの高等教育の違いが見られるかもしれないが、一方で治安はブラジルの方がずっと悪い。また、スラムは同じように臭いが、インドネシアの方がずっと安心して訪れることができる(というか、ブラジルのスラムを私が一人で訪れることはない)。もちろん、これは初等教育が充実しているというよりかは宗教の違いなどをその要因として考慮すべきかもしれないが、全般的にブラジルの方がインドネシアに比べても、ずっと格差を固定化させるシステムになっていると思う。あと、インドネシアの金持ちに比べると、ブラジルの金持ちの方がずっと豊かである。私は友人でインドネシアの副大臣をしているのがいるが、彼の家と比べても、ブラジルのジャーナリストの家の方がずっと大きく、素敵である。貧富の差が大きすぎるのだ。ブラジルは経済成長が著しいが、その富が金持ちばかりに分配されているような気がしてならない。それをどうこう言いたいというのではなく、日本人もそういう格差を拡大する方向にある政党を選んだのであるから(私は選んでいませんが)、それなりの自覚をもって行動すべきであろうということをブラジルに来て実感する。具体的には、やはり子供達の初等教育にしっかりと投資をする。インフレによって通貨の価値が下がるので、他の金融資産へ投資をしておく。貧困層と富裕層とに社会が二層化していき、貧困層に一度、落ちるとそこから這い上がるのは大変になるので、他人を蹴落としてでも富裕層にしがみつく。そして、一度しがみついたら、貧困層には「自己責任」という言葉を押しつけて、支援等をしない。・・・ううむ、つくづく嫌な国になっていくだけだな。

そうそう、ブラジルでは貧乏人は貧乏人の味方を標榜する大統領を選挙では選んでいるので、そういう点でははるかに日本人よりもしっかりしているとも思われる。

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