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佐世保を訪れる、その空間的な魅力のなさにちょっとショックを覚える [都市デザイン]

せっかく長崎に来たので、佐世保にまで足をのばすことにした。長崎からローカル線に乗って、とことこと佐世保まで行ったのだ。さて、佐世保は実は遠かった。各駅停車ということもあったが長崎本線と大村線とを乗り継いで、2時間以上はかかった。とはいえ、大村湾を車窓から眺めるローカル線の旅は、全然、苦痛ではない。ゆったりと動く長崎の景観を眺めつつ、佐世保へと向かった。

さて、佐世保は初めてである。イメージもない。アーケードのある商店街がなかなか元気だという知識くらいだ。ただし、佐世保駅を降りて、その空間のつまらなさ、人間的な暖かみの欠如にちょっと愕然とする。これは、長崎のようなヒューマン的な暖かみに溢れる都市を訪れた直後だからかもしれないが、同じ長崎県でありながら、この第一の都市と第二の都市との差は何なのであろうか。気を取り直して、駅からアーケード商店街に向かう。途中、宇宙船のような美術館のようなものの横を通る。お金はあるのだろう。しかし、どうもお金に魂を売ってしまったかのような禍々しさを感じる。実際、生活している人がいることを考えると、大変失礼なことを言っているので申し訳ないのだが、それが、私が佐世保を生まれて初めて歩いて感じた第一印象である。土地利用がお金、経済を優先に考えられており、芸術や文化でさえ、それらの経済価値が数量化され、それによって都市空間が埋められているといった印象である。

土地が狭いということで、コンパクトで有効利用をしなくてはいけないという難しさはあるだろう。しかし、長崎はそのような課題をうまくプラスへと転じている。なぜ、佐世保はこのようになってしまったのであろうか。これは、私の単なる偏見なのだろうか。このような都市であれば、相当、危ないアーティストが出てきている筈であろうと考えて、思い浮かんだのが村上龍である。村上龍は確か、佐世保出身である。あのような禍々しい文学作品を生み出す人材が、この佐世保出身であるということは妙に説得力がある。商店街や街中には多くの外国人がいた。軍関係者であろう。そして、それらの軍関係者を顧客とする水商売の店も多く存在する。それらが、例えば、バンコクぐらいの都市アイデンティティが強いところだと、このような異分子を受容していく懐があるのだろうが、佐世保レベルだと、そのマイナス面が強烈に顕在化してしまうような印象を受ける。

このような都市を都市デザイン、都市政策などで改善させていくことが可能なのか。大きな課題であると思うが、この現状は大きく改善させることが必要であると思われる。まあ、余計な御世話かもしれないし、こんな佐世保と無関係の者がこんな酷いことを申して、恐縮ではあるが、一観光客、そして一都市計画研究者の戯言として参考にしてもらえればと思う。

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(無個性な駅前のロータリー)

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(駅前は洗練されているかもしれないが、無機質な建築物の壁が訪問者を出迎える。人も歩いていない)

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(このネオ・ゴシック教会のいい加減さが、逆に強烈な禍々しさを発していると思うのは私だけであろうか)

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(こんな広幅員の道路が都心部を縦断している)

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(噂の「元気な商店街」もシャッターが下りている店も少なくなく、また、人通りもそれほど多くはない。チェーン店が少ないのはいい傾向かもしれないが、店舗群の魅力は特に感じられなかった)

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(アーケード商店街のタイルのデザインもピンクと青。これを禍々しく感じるのは私だけではない筈だ)

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(一本入ると、米軍基地がある都市特有の都市景観が展開している)

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(こういう風に地形をコンクリートで固めることによって、土地のアイデンティティが失われていく)

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(商店街から中央駅に行く道をちょっと外れると、このような極めて殺風景な景色の中にポツネンといる自分を発見する。これに不安を感じない観光客は少ないであろう)。
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