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特急かもめに乗りながら、長崎新幹線の効用、そして公共事業の無駄を考える [道路整備事業の大罪]

特急かもめに乗って、長崎から福岡へと向かう。なかなか車窓の変化も楽しめ、時間も短くいい旅だ。2時間足らずで長崎から福岡まで行けてしまう。また、このかもめは、他のJR九州の特急車両にもいえるが、非常にアメニティ度が高く、鉄道旅行を楽しくしてくれる。このかめもに乗るというだけで、ちょっと福岡などから長崎まで足をのばしたいという観光客や鉄道ファンも少なくないだろう。

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(長崎駅で出発を待つ特急かもめ)

しかし、この特急かもめが頑張っているにも関わらず、フル規格での長崎新幹線が整備される計画である。なぜ長崎新幹線は整備されているのか。時間短縮効果は短いであろう。現在でも、2時間以内で長崎と福岡は結ばれている。これを1時間とかにしたとしても、それほど有り難いことではない。新幹線通勤を考えているのかもしれないが、新幹線の特急料金を払うぐらいであれば、福岡に下宿するであろう。観光客は既に飽和的に多い。というか、新幹線で近くなり過ぎて、むしろ長崎の宿泊客が減ってしまうのではないだろうか。関係者は、長崎新幹線を整備しても、長崎という地域に、それほどメリットを与えないであろうということを知っていないで、自分勝手に夢色の将来ビジョンを描いているのであろうか。

私は、当初は、このような公共事業に邁進する多くの人々が、経済成長している時代はいざ知らず、現在のように成熟化し、むしろ縮小している時代には、メリットがほとんどないことを知らないのではないかと疑っていた。しかし、『道路整備事業の大罪』を上梓した後は、多くの関係者、特に霞ヶ関の中央官僚は、メリットがないことを知っているのではないかと思うようになっている。

それでは、なぜ整備するのか。それは、整備することで国家予算を使うことが出来るからだ。国家予算を差配することが、中央官僚の役人達の権限の源である。そして、この差配する額が大きければ大きいほど権力を有することになる。つまり、道路やダム、新幹線などの国家事業は、それが地域に効用をもたらすというのは大義名分として必要なだけであって、最も肝心なことは、とりあえずつくってしまう、そして、それも高額なものがつくられればつくられるほどいいのである。これは、また中央官僚の役人だけでなく、政治家にも当てはまることである。その結果、日本国中に無駄な道路やらトンネルやら橋がつくられたのだ。

しかも本四架橋の例が示すように、大幅な赤字事業になったことが明らかになったとしても国民にその負債を押しつけるだけである。民間企業であれば、会社は潰れるが、国は潰れない。まあ、本当にいい気になっていると、イタリアやギリシャのような事態になってしまうかもしれないが、それでも、困るのは国民であって、官僚ではない。そりゃあ、止められないでしょう。止めて得するのは国民であるが、官僚はもちろん、地元業者、大手ゼネコン、政治家、皆、損するのであるから。ここに、もはや我が国には民主主義がほとんど機能していないことを知るのである。

そして、道路や整備新幹線なら、それほどの被害はないが、同じロジックで原子力発電所もつくられていることに最近、否が応でも気づかされてしまった。原発に比べれば、整備新幹線や道路などは可愛いものである。そして、この原発でさえ止められなくて、整備新幹線や道路が止められる訳もないよなあ、とも思いつつある。日本人として生まれることは、決して幸せではない時代がもう直前まで来ている。


道路整備事業の大罪 ~道路は地方を救えない (新書y)

道路整備事業の大罪 ~道路は地方を救えない (新書y)

  • 作者: 服部 圭郎
  • 出版社/メーカー: 洋泉社
  • 発売日: 2009/08/06
  • メディア: 新書



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