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いい加減な進路指導をする高校教員 [その他]

私の長女は高一である。進路を決めなくてはいけないので悩んでいるのだが、高校の数学の先生に相談をしたら「君の数学の出来では理系は到底、無理だ」と言われたらしい。長女はえらく落ち込んだのだが、文系で大学の教員をしている私は、ちょっと憤慨した。

というのは、長女は理系も駄目かもしれないが、文系はもっと適性がないからだ。理系が駄目というが、文系のどの学科に行け、というのであろうか。そもそも文系に行って、将来、長女は何をすればいいと、この先生は考えているのであろうか。大学進学が無理だ、というアドバイスならまだ分かるが、数学が出来ないから文系に行かせる、という考えは、学生の本質的な適性を無視した暴論である。長女は、確かに理系科目は出来ないかもしれないが、機械にはまあまあ強い。あと、数少ない長所として色のセンスがよかったりもする。建築系のCADをマスターしたり、ウェブ・デザイナーとかだったらやっていけるかもしれない。一方で、コミュニケーションがあまり上手ではなく、愛想もない。営業とかだと、相当苦労するであろう。また雑な性格なので、経理とかも無理だ。気が利かないので総務にも不適当だ(気が利かない総務の人もいますけど)。私が日々、接する学生に比べても、長女は会社で入ったら相当、使い物にならないであろう。会社などでの事務仕事の才能がないことは、高校数学が多少、出来ないことより遙かに問題なのではないだろうか。それに、高校数学だったらちょっと丁寧に教えれば理解できる程度のものであろう。この数学の先生の責任も多少はあるのではないだろうか。

ということで、私は父親として長女にこう伝えたのである。「あのねえ、理系の大学だって偏差値が40ぐらいのところだってあるんだよ」。そうである。この数学の先生は偏差値が低い大学を大学として捉えていないのだ。こういう考えが偏差値教育を助長するのであろう。偏差値が55ぐらいの文系の大学に行くよりかは、偏差値が45ぐらいの理系の大学に行った方がずっとその学生のためになる場合はあるのだ。私も高校時代、大学時代、そういうことが理解できなかったが、社会人になってさらに大学教員になって、いかに偏差値とかで大学を選ぶことが馬鹿らしいかを理解することができた。そもそも偏差値は多少、無理をすれば(例えば早稲田大学のようにAO入試での合格者数を増やす)上げることができる。そんなものや、入試科目で将来を決めるという愚行を、学生本人ではなく、高校教員がしていることに本当、呆れかえるよ。ちなみに、長女が通っているのは後進の進学校で、東大合格者数も20名前後であったりする。長女はまあ、こういうグループにはまったく入っていないが、東大合格者数を出すということも重要かもしれないが、学生が大学に入って、その後、どういう道を進むのか、ということまで考えて、責任もった進路指導をするか、少なくとも無責任な進路指導しかできないのであれば、最初からするべきでないであろう。数学の点数が悪いからって、理系が駄目で文系に行け、って世の中、舐めているのか。

私も学生に何で経済学科に来たの?と尋ねたら、「何がやりたいか分からない、って高校の先生に行ったら、じゃあ経済学科に行きなさいって言われたから」と回答されたことがある。悪いけど、別に経済学科に来たって、将来は見つからないから。本人が真剣に考えて、勉強しなければ、将来への橋は架かりません。

そうそう、私の高校の同級生に歯医者志望で、東京医科歯科大学の歯学科を受験しようとしていたのだが、直前になって東京大学の理科二類を受験して、そちらに行ったのがいる。今、何をしているのか不明だが、卒業後はどっかの一流企業に行ったと思う。皆、サラリーマンは誰でも出来ると考えていると思う節があるが、サラリーマンにも才能は必要である。そしてサラリーマンに求められる資質は、東大に入れる能力とはほとんど相関関係はない。私は彼なんかはよほど歯医者になった方がよかったと思ったりする。東大に入ることは、一時の幸せだが、しっかりとした自分の適性に合った大学に入ることは一生の幸せに繋がる。もっと、そこらへんを学生だけでなく教員や親も真剣に考えるといいと思う。

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