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イエテボリを歩き、スウェーデンとドイツの違いを考察する [都市デザイン]

イエテボリを訪れる。このイエテボリは地球の歩き方だとヨーテボリと書かれており、列車ではゲーテブルクと英語のアナウンスをしていたりして、一体どのように書けばいいかが悩ましいが、とりあえずここではイエテボリと表記する。私の耳だとヨーテボリよりイエテボリと聞こえるからである。

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(駅前の歩行者専用街路)

イエテボリは人口約50万人のスウェーデン第二の都市である。環境都市として知られているというか、環境都市としてのマーケティングをしているので前から注目をしていた。私も共著で書いた岩波書店の『世界の環境都市』にも載っていた筈だ。ということでスウェーデンを訪れるならイエテボリを見なくてはと超強行スケジュールをたてて訪れたのである。

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(エコストアのファサードは変わったアートの展示が為されていた。洗濯物は日干しにしろというメッセージなのだろうか?)

スウェーデンは生まれて初めて訪れた。その訪問でイエテボリだけ見てスウェーデンを判断するのは、日本に初めて来て大阪だけをみて、日本の印象を語るようなものである。したがって、本当に針の穴から見えた世界を語るような間違いを犯すかもしれないが、まあスウェーデンではなくイエテボリとドイツとの都市の違いを考察すると、次のようなものが挙げられた。

1) 信号がない
2) 信号があっても無視する人が多い
3) 両替機がある
4) セブンイレブンがある
5) ごみが落ちている
6) 英語が話せる
7) 風が強い

少し、説明を補足すると1)の信号がない、はドイツなどに比べると本当に信号が少ない。その結果、適当に道路を横断することになる。自動車があまり走っていないので出来たが、結構、交通量が多いところは困るかもしれない。2)は例え信号があっても、ドイツ人に比べると多くの人は信号を無視する。ので、もしかしたら信号がそもそも必要ないかも、とも思わせられる。ちなみに、信号がなくても路面電車の停留所等では、人が歩くところがバンプになっていて、自動車は歩行者を優先させていた。3)の両替機がある、というのは日本人からすれば当たり前だろうが、ドイツで両替機がなくて切符を買えなくて罰金を取られるなど悔しい思いを数回している私にとっては、もうこれだけで嬉しくなってしまい、スウェーデンというかイエテボリが好きになってしまった。というか、なんでドイツには両替機がないんだろう?4)も日本では当然だろうが、ちょっと新鮮。ドイツには基本的にはコンビニエンス・ストアがない。ドイツには商店法(名称はちょっと間違っているかもしれない)とかいう法律があって特別な場合(例えば駅のキオスク等)を除いて、小売店は閉店時刻が決められており、日曜などは開店してはいけない。したがって、コンビニはないし、あったとしてもコンビニエンスにはなり得ない。イエテボリのセブンイレブンがどの程度、開店しているのかは不明だが、存在しているだけでドイツとは違うなと思わせられる。その是非を判断するのは難しいが、コンビニがないからこそ、ドイツの消費生活は貧しく、その結果、環境に優しくなっているとも思われる。これは仮説にしか過ぎないが、まあスウェーデンの方が消費者に甘く、その結果、おそらく環境負荷は高いだろうとは推察される。5)これは、オランダやフランスよりはましだが、ドイツの潔癖症なように綺麗な歩道などをみるとやはり気になる。ちなみに、日本の歩道も全世界的には相当、ゴミは落ちてなく綺麗だと思う。日本の場合は、ゴミ箱がないのにゴミが落ちていないというところが地球規模で比較すると奇跡的に凄いことだと思われる。しかし、これは、おそらく多くの日本人が自覚していないことだと思う。6)これは私が接した人が少ないので何ともいえないところだが英語が通じる。ちょっと難しかったのは、中央駅のホットドック屋の若い女性の店員であったが、それでも金額を英語でしっかりと私に伝えることができた。定食屋のウェイトレスも、そこらへんの店の人も英語がしっかりとしゃべれた。これはドイツに住んで初めて知った意外なことだが、ドイツではなかなか英語が通じない。まあ、これは小国の悲劇というか、英語でもしゃべれないとどうしょうもないという致し方ないことかもしれず、いいか悪いかは判断しにくいところだが、ドイツとの違いということで挙げさせてもらった。しかし、これも超少ないサンプルをとっての話なのであまり参考にしない方がいいかもしれない。7)これは、たまたま私が訪れた日がそうだったのかもしれないが、ちょっと強かったので記した。とはいえ、ロストックなども風は強いかもしれないので、ドイツとの比較というのはちょっと乱暴かもしれない。

ドイツとの比較という点ではないが、都市デザイン的には次のような特徴を発見した。
1) 旧市街地の丘の上といった最高のロケーションの場所が、公有地ではなく民有地として使用されている
2) 建物の高さが高く、その代わり、道路幅が広いなど公共空間が多く取られている
3) 中心市街地のウォーターフロントの幹線道路を地下化して、ウォータフロントへのアクセスを高めている
4) 自転車での動線計画がしっかりと計画されているようで、ネットワークも充実している
5) 公共交通の中心は路面電車であるが、ネットワークが混乱していて、整理が必要であるとの印象を受けた。
6) 歩行者空間は確保されているが、ドイツに比べると自動車の自由度が高く、その分、都市の快適性は損なわれている
7) 建築は丁寧につくられており、結構、裕福な時代が過去あったと推察される
これも簡単に補足すると、1)は砦跡の高台に円形の7階建ての住宅が建てられており、大変がっかりさせられた。このようなランドマーク的な場所を公共的ではない利用をすることで、この都市の極めて貴重な場所が有効に利用できていない。とはいえ、日本だったらここに7階ではなくて60階の高層住宅が建てられるだろうな、と考えると、まあ、日本よりは公共性を考えているのかもしれないと思ったりもした。というか、改めて日本の都市の考え方はおかしいということに気づく。ドイツではまずないような賢くない土地利用はしているが、それでも日本よりはまし、ということだ。

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(最高の場所が公共のために使われていない)

2)建物は7階くらいの高さで、横幅のあるものが多く、場所によっては巨大なる壁のようになっている。アムステルダムのような鉛筆ビルのような建物が集合しているのと違い、平面的なファサードになってしまい、面白味には欠ける。とはいえ、6)で挙げたが、一部の建物は意匠に凝っており、興味深い。場所によっては面白いところもあるが、1960年代から70年代にかけて自動車に対応してつくった建物が都市景観を台無しにしてしまっている。

3)は中心市街地のウォーターフロントのところの幹線道路が地下化されている。これがいつ頃されたのかは不明であるが、地表部分が結構新しいので、ここ10年前後なのではないかと思われる。このようなウォーターフロントのところの幹線道路を地下化する事業はボストンのビッグ・ディッグがアメリカ史上最大の公共事業額ということで結構、知られているが、私が住んでいるデュッセルドルフでもされている。まあ、一つの都市の鍼治療的なものであるが、それでも大きな都市計画的な決断が求められる。イエテボリはそういう決断ができる都市であるということをこの事業から推察する。

4)は相当、しっかりとした自転車ネットワークがつくられている。特に一部の道路では、自動車の走行部分の半分を潰して自転車専用道路にしていた。これも相当の政策実行力を有していないと出来ない事業である。しかし、ドイツの都市でも自転車事業に力を入れているところを見たせいか、この自転車のアクセスをしっかりと確保するというのは、日本が今後、政策的に進めなくてはいけないことの一つだと思われる。道路整備事業もこれから新たなる方向性を考えなくてはいけないと思われるが、自転車道路の整備などは一つのメニューとして検討すべき事項であろう。

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(自転車と歩行者用の道路)

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(道路の自動車分を半分ほど潰して、自転車専用道路にしている)

5)は路面電車のネットワークは充実している。それは、人口規模が異なることもあるが、路面電車というかライトレールで有名なストラスブールなんかよりも遙かに充実している。そして、運行頻度も高く、利用者も多い。とはいえ、どうもネットワークがその交通需要に対応しているかどうかは疑わしい。おそらく、昔から走っている路線をそのまま使っているから、新たな開発による交通需要等に対応していないのではないかと思われる。それはそれで難しい課題であるが、現状は印象としては混乱したネットワークなのではないかと思われる。ちなみに、路面電車の専用線路をバスも走っているのだが、これは極めてすぐれた道路空間の使い方だと思う。ドイツのオーバーハウゼンなどもこのようなことを積極的にやっており、おそらくドイツの他の自治体でもやっているかもしれないが、日本ももっと路面電車の専用空間をどんどんと整備し、そこにバスを走らせるようにするといいと思う。人口20万から60万くらいの都市では計画を策定するといいと思われる。例えば、新潟、岡山、熊本、鹿児島、浜松、金沢、富山、姫路などである。私でよければ、私が計画の策定を手伝ってもいいくらいだ。

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6)は、ドイツにいなければ気にもならないことなのだが、ドイツと比べると、ちょっと自動車の規制が緩いかなと思われる。中心市街地内の周縁部に駐車場が多くあるのだが、ドイツだとこの中心市街地内部に入れないで外で処理する場合が多いと思う。この点はストラスブールでも気になった点なのだが、ドイツは中心市街地に入れないか、地下に駐車場を設けて、視界から自動車を排除したがる。自動車と人間が空間を共有しないということを計画的に意識している。これは、ドイツの自動車不要コミュニティの住民も指摘していた点だ。すなわち、自動車は嫌いではないが、生活空間に自動車が侵入することが嫌だ、という点である。7)は前述したが、ヨーロッパの都市はつくづく文化財や歴史、記憶が蓄積されている博物館的な役割を果たしているなと思う。そして、都市空間という観点からは、その財とは建築になるのだ。したがって、しっかりとした建物をつくり、それを次世代にまで保全していくことが都市の重要な使命になるのである。イエテボリの一画にも、一部、非常に財が注ぎ込まれてつくられたのだろうな、と思われる建物がファサードを形成している地区があった。こういうものは成金的に金があってもつくれるものではない。日本の都市が、その経済的豊かさに反して、しっかりと格のある都市がつくれない大きな要因はこの点にあるのではないだろうか。歴史の延長線上に都市をつくっていないということである。京都が日本の最高の都市観光地である、ということは京都が歴史ある都市というだけでなく、その都市空間がいろいろと問題はあっても、その歴史を内包させ展示する博物館として機能しているからである。まあ、京都は別格かもしれないが、他の都市も歴史がないわけではない。その点を意識して、何でも新しいものがいいと思わないことが必要であると思われる。

ブログのくせに、随分と書いてしまったのでもう筆ならぬ、キーボードを叩くのを止めるが、ちょっとイエテボリが環境都市というのは、大急ぎの訪問では分かりにくかった。同様にイギリスのレスターを訪れた時もよく分からなかったが、レスターに比べたら、都市アメニティは高く、なかなか歩いていて楽しい都市ではあった。とはいえ、クリチバやフライブルク、チューリッヒ、ポーランド、バーリントンといった環境都市がもつオーラのようなものは発していなかった。まあ、これは私の感性が鈍くなっているせいかもしれない。ちなみに、ウォーターフロントに今後の都市計画の市民のための展示場があり、それに入って、しっかりと市民に今後の都市計画を説明していたことには感動した。まあ、こういう試みはドイツの都市もやっていることなのだが、日本もこういうことをするべきだと強く感じた次第である。外郭環状道路をはじめ、秘密裏にことを運ぶ、もしくはアリバイ的な市民参加を建前的にするような仕方を改め、堂々と市民に説明できるような事業そして都市計画を今後、進めていくことは必要なのではないか。この姿勢は、まさに環境都市というかサステイナブルな都市を構築していくうえでの必要条件であるなと再確認させられた。

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(市の職員と思しき人が市民に都市計画の概要を説明していた)

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