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ザイオン国立公園縦横無尽のハイキング・ツアー [都市デザイン]

 ザイオン国立公園というのがアメリカのユタ州の南東部にある。不夜城ラスベガスから自動車で3時間ほど行ったところだ。ザイオン国立公園は、アメリカの国立公園でも16番目に指定された非常に由緒ある国立公園である。1909年にムクントウィープ国定公園に指定され、1919年にザイオン国立公園となる。その面積は約600キロ平米。東京都区部の面積が約620キロ平米だから、それよりちょっと小さいくらいの広大な公園である。
 バージン川が創り出す壮大なるザイオン・キャニオンの渓谷は、アメリカ広しといえども、ヨセミテ国立公園のヨセミテ・バレーしか右にでるものはいないであろう。ただし、ヨセミテ国立公園はグラナイト岩の渓谷なので色彩的にはグレーで単調だ。対照的にザイオン・キャニオンは泥岩なので、色彩が赤、オレンジ、黄色、茶色と多彩であり、またそれらの色彩にグラデーションがかかっており、それはこの世のものとは思えないほどの眩さである。

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 ちょっと私の言語表現力ではうまく読者に伝わらない不安があるので、説明を付け加えると東京ディズニーランドにビッグ・サンダー・マウンテンというアトラクションがある。これは、アメリカ西部の奇勝地を模した空間の中を、高速で汽車が走り抜けるというジェット・コースター的なアトラクションなのだが、この空間のネタとなっているのが西部の国立公園であり、イエローストーン国立公園やザイオン国立公園、ブライス国立公園などの景観的エッセンスを取り込んでいる。まあ、ビッグ・サンダー・マウンテンのネタ元の一つがザイオン国立公園であるといえば、より具体的なイメージが湧いてもらえるだろうか。
 このザイオン国立公園を5日間に渡ってハイキングし倒した。3月14日から18日までの5日間である。アメリカの大学院時代の友人と去年の9月に8年ぶりくらいに再会した。彼はバックパックが趣味であった。グランドキャニオンやシアラネバダをバックパックしている写真を見せてもらい、そこで自分も死ぬまでにグランドキャニオンのコロラド川まで行ってみたいものだ、と言ったら、それじゃ今度行こうということになった。ということで、本当はグランドキャニオンに行く予定であったのだが、出発する2週間ほど前に大雪が降ってトレイルも結構、ダメージを受けたようで危険なので急遽、ザイオンに行くことになったのである。生まれて初めてのバックパッキングである。キャンプは比較的、よくしていたが、バックパックでの野営は初めてだ。めちゃくちゃ楽しみであると同時に多少の不安がよぎる。生きて帰れるのか。とりあえず、東京からサンフランシスコに飛び、サンフランシスコで一泊する。
 翌日、サンフランシスコからラスベガスに飛び、ラスベガス空港のバゲージ・クレイムで友人とその連れと落ち合う。40前後の男5人のハイキング・ツアーである。日本人の私と、ポーランド系の友人、そして彼の連れはスコットランド系、メキシコ系、そしてエジプト系という非常に国際色豊かな顔ぶれとなった。ラスベガスでは、私の寝袋を始め、キャンプに必要な食事、飲料水等も手に入れる。そしてインターステート・ハイウェイ15号を3時間ぐらい北東に走り、ザイオン国立公園に着く。ザイオン国立公園はアクセスが凄くいい。徐々に、ザイオン国立公園の渓谷を彷彿させるような赤茶色の岩山が車窓に見え始める。そのアプローチ道路に展開する雄大な景観は、ザイオンに近づいたという期待を否が応でも膨らませる。この徐々にわくわくさせていく感じが、たまらなくいい。ラヴェルのボレロのように徐々に高揚感が高まっていく。このように徐々にわくわくさせていくアプローチを持っている国立公園は他にも多く、ヨセミテ国立公園はどこの方面からアクセスしてもそのような高揚感を与えてくれる。セコイア国立公園もそうである。グランドキャニオンもクレーターレイクも同様である。この目的地はもうすぐだよと焦らしに焦らして、そしてヨセミテなどはトンネルを越えてドーンとヨセミテ渓谷を見せるのである(フレスノ方面からの場合)。ザイオンもそこまで派手な演出ではないが(東から入ると似たような演出にはなっている)、やはりザイオンの渓谷に入った時のドーン感は結構ある。来るぞ、来るぞ、と思わせてドーン。まるで良質の映画を観ているような感じでもあるし、前述したディズニーランドのビッグ・サンダー・マウンテンに乗っているような感じでもある。この日はとりあえず、入口そばのキャンプ場にテントを張って寝る。時差ボケがきついので、すぐ寝る。
 二日目。朝、相当の寒さの中で目が覚める。温度計をみると零度近い。食事を各自して、トレイル・ヘッズへと自動車で移動する。さて、これから12キロメートルを12キロぐらいの荷物を持って移動しなくてはならない。初体験だ。多少、緊張する。ザイオン国立公園には、これまで3回ほど来ている。今回が4回目であるが、そのほとんどがバージン川渓谷の観光で終わっている。今回のように、バージン川渓谷以外の場所に行くのは初めてだ。しかも、相当マイナーな地域である。手元のザイオン国立公園のハイキング地図のお勧めトレイルの14個の中にも含まれていない。さて、しかし朝の太陽の光に照らされるこの地域のザイオンの岩々は特別の光景であった。特にウエスト・テンプルの圧倒的な存在感には圧倒される。目的地のコールピット川までは二つの渓谷を越えなくてはならない。私は右膝があまりよくない。重い荷物を背負って12キロメートル歩くことができるのか。不安を抱えつつ歩き続けた。空は雲一つない快晴である。素晴らしい気分で歩いていく。トムは遅れる我々を無視してどんどんと歩き続ける。私は二番手であった。後続は見えない。あたかもこの大景観の中で、自分一人だけが存在しているような気分になる。経験したことがない爽快感を味わう。そろそろ足が限界かな、と思った頃、目的地に着く。周辺は山火事の後で、まるで異星に到着したような気分である。土はほとんど砂であった。ここにテントを張ることになる。国立公園ではトレイルから見えるところにテントを張ってはいけない。また、川からも30メートルほど離れないとテントは張ってはならない。なかなか条件が厳しいのである。水は川から浄水器で浄化したものを飲む。ごみは一切捨ててはならない。驚いたのは、使用したトイレットペーパーも持ち帰らなくてはならないことである。便秘ぎみならまだしも、下痢の場合はちょっときついルールである。幸い、私はしないで済んだが、使用済みのトイレットペーパーを持ち帰るのは厳しい。まあ、ここらへんがアメリカのいいところである。アメリカはエネルギーを大量に使用し、ごみを大量に廃棄し、リサイクルもできないダメダメな国だが大自然を保全することにかけては、日本よりはるかに意識がしっかりしているし進んでいる。

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 三日目。まだ日が昇る前に、あまりの寒さに目が覚める。寝袋に入っていても足の先が冷たい。凍るようだ。靴下をはいていたが、もう一足はく。それにしても、寝袋から出ている顔が冷気で凍えそうになるほど寒い。尿意を催しても、外に出られないような寒さだ。眠れないが、とにかく太陽が昇るまで我慢する。思い切って温度計をみると、余裕で零下だ。零下5度くらいであった。日中の暑さからは想像できない。さすが砂漠だけある。数時間経ち、太陽が昇ってきた。みるみると暖かくなる。つくづく、太陽が生命の源であるということを実感する。太陽がなければ、我々の命など一瞬に消え去ってしまう。時間や命の儚さを思い知る。こういうことは東京で生活していると分からない。

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 さて、今日はトレイルがない場所を探検するということになった。友人とエジプト系のアッシュは昨日、既に行っているので、私とメキシコ系のアルバート、スコットランド系のパトリックの3人で行く。コールピット渓谷を上流へと登っていく。ザイオンの岩山が神々しい。ほとんど人の形跡がない大自然の中、自分のちっぽけさをつくづくと痛感する。とはいえ、このちっぽけな自分という存在があるために、この大自然を理解することができるのである。ちっぽけだけど大きい。まるで高校生のような心持ちだ。コールピット渓谷を3キロメートルほど登り、そろそろ疲れたのと、沢登りがきつくなってきたので帰ることとした。雲行きも怪しい。

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 ベースに戻ると、さらに雲行きは怪しくなっている。ジェット・ストリームも出始めているし、嫌な予感がした。もう4時近かったが、私はベースを退散することを決意する。友人も同行してくれるという。残りの3人は面倒臭いのでここで1泊するという。ここから出ることのデメリットと、ここに滞在して雨、もしくは雪に降られることのデメリットを天秤に乗せれば、出るという結論になると思うのだが、どうも呑気な性格のようだ。明日の待ち合わせ等を確認して、私はせっせとこのベースを去ることにした。日が暮れると急激に冷えるのと暗くなると道が分からなくなるので、早いペースで歩く。12キロを3時間ぐらいで歩いた。最後の2キロぐらいで、ガクッと足に来て、引き摺るような格好になったが、何とか駐車場にまで辿り着いた。この日はハリケーンという町まで行き、そこのスーパーモーテル8に泊まる。三日ぶりにシャワーを浴びて、また食事もレストランで取れて多少、ホッとする。
 四日目。朝起きると、外は雪が降っていた。これは残った3人は大変だろうな、と思いつつ、一方で早く退却した自分の勘が鋭かったことを知る。雪の山道を15キロぐらいの荷物を背負って12キロメートルも歩くのは大変である。12時まではこちらにこないであろうと友人が言うので、ザイオン・キャニオンに車で行く。雪が降り、ガスが立ちこめているザイオンの渓谷は、まさに中国の山水画の世界。ただし、岩肌が赤いのだが。なかなか幻想的な光景に友人と一緒に感動する。とりあえず、エメラルド・プールとキャニオン・オーバールックの短いトレイルに行く。昨日の疲労が足に溜まり、坂道を登る時は右足は引き摺るような感じになってしまっている。キャニオン・オーバールックでザイオン渓谷を展望すると、何と雪が下から舞い上がっていた。まるで、雪が上昇している光景はリアルではなく、なんか不思議なものを観ている気分になる。

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 キャニオン・オーバールックに行くためには戦前につくったトンネルを通っていく。このトンネルがなんともいえずにいい。大型車が通るときは片側の交通を止めなくてはいけないような小さなものなのだが、手作り感がして、いつまでも保全して欲しいカルチュラル・ランドスケープをつくりあげている。箱根駅伝が行われる箱根の山道も結構いい感じだが、こちらは新しく道路を造り替えているようだ。箱根のような観光地こそ、いい感じで時間を積み重ねたこのようなカルチュラル・ランドスケープを保全すべきなのに、特定財源でお金が有り余っている道路局は、とりあえず造り直せるところはどんどんと造り直したい訳だから、箱根のいい景観がぶっ壊れても気にもならない訳だ、おそらく。まあ、そういうことをしているから道路特定財源が一般財源化されるようになってしまう訳ね。まだ決定してはいないが、日本の財政状況、将来を考えれば、これがまさに正しい道筋である。こういう既得権をぶっ壊すことができる側面を考えると、やはり多少の混乱が生じても、民主党が政権を取ることが日本にとってはいいのであろう、ということを実感する。

IMG_8481.jpg(日本の道路のガードレールの代わりにこの風景に馴染んだ岩が置かれている。また、道路の舗装にも注目。周辺の景観に溶け込むような工夫がされている。こういう工夫を日本の道路ももっとするべきであると思われる)

 12時くらいから、携帯電話が届かないザイオン渓谷を離れ、駐車場で待つ。しばらくして連絡が入る。13時30分くらいに彼らと駐車場で合流。びしゃびしゃではあったが、皆、元気そうである。夜は大丈夫だったそうだが、朝になってから雪が降り始めたようである。まあ、無事に着いたのでホッとするのと同時に、一緒に泊まらないで昨日退却してよかったと思う。
この日は早く引き上げ、昨日と同じモーテルにて宿泊し、同じJBというレストランで夕食を取る。洗濯などもして、結構、リラックスする。
 五日目。朝早く起きるが、何人かは寝坊しているので、なかなか出発できない。多少、いらいらするがしょうがない。今日はザイオン渓谷の下から上まで登り、イースト・リムを歩く予定である。ザイオンに来るのは4回目であるが、今までこのトレイルには怯んでチャレンジしなかった。というか考えたこともなかった。少なくとも自分一人で行こうとはとても思わないし、女房を連れて行こうと誘うことも考えなかったし、そういう相方が今までいなかったので行けなかったのである。その相方が今はいる。非常に嬉しい。とはいえ、昨日は膝を痛めていた。今日は、16キロメートルは歩くことになる。風呂で念入りにマッサージをする。
 9時を回った頃、再びザイオン国立公園に行き、ロッジ前の駐車場に車を停める。ここから、エンジェルス・ランディングへ向かうトレイルを歩き始める。ジグザグの坂道が続く。膝が気になるが、どうも大丈夫のようだ。しばらく歩くとエンジェルス・ランディングとの分岐点に来る。ここで、我々はエンジェルス・ランディングではなく、さらに北へと向かう。渓谷の尾根を歩く格好で、壮大な景観が目の前に広がる。これは凄い。

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 友人は相変わらず凄いペースでどんどんと歩いていく。そのうち、トレイルに雪が積もっているところに来る。友人の姿はない。雪の中に、幾つかの足跡がある。後続を待って相談する。まあ、友人が待っていないのであるから行くしかないだろう、ということになって、皆、雪中を歩いていくことになる。私の靴は頑強な山靴だったので問題ないが、スコットランド系のパトリックなどはスニーカーのようなものなので大変な状態になってきた。雪道での行軍は結構、厳しく、彼の不満は爆発寸前になった。我々がなだめすかすが、友人が浄水器を持っている事実に気付き、我々もこれはけしからんと怒り始める。私は、とにかく友人に追いつくことが優先だ、と考えひたすら歩く。友人ははるか彼方を歩いていたが、流石にまずいと思ってくれたのか、我々を途中で待ってくれていた。やたら「遅い」と言っていたが、どちらかというと彼が「早すぎる」。ここでパトリックともう一人が引き返す。

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 残った3人はさらに雪山の中を歩いていくことにした。そして、1時間ぐらい歩くと、ザイオン・キャニオンを眺望できる素晴らしい場所にたどり着いた。まるで神々の庭園のようなところだ。渓谷は随分と深く、ヨセミテのグレイシャー・ポイントからの展望ぐらいしか比較できないような絶景だ。しかもヨセミテのグラナイトと違って、岩の色が多彩でパステルで塗られたようだ。これは凄まじい景観だ。生きていてよかった、と思わせる大絶景だ。

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 しばらくこの展望に男3人見とれた後、下山する。下山はそんなにも大変ではなかったが、途中、雪道が凍っていたところがあり、これは結構緊張した。しかし、怖れていた右膝は最後までもった。有難いことだ。この日はザイオン国立公園を出て、カナブという街のモーテルに泊まる。一泊40ドル。二人でシェアするので一人当たり20ドル。安い!しかも朝食付き。部屋も結構、清潔でバスタブ付きだ。
 六日目。どこに行くか、今日はよく分かっていない。とりあえず西に車を走らせる。するとパイプ・スプリングスという小さな国定公園がある。そこに行き、モルモン教徒が建てた砦のようなところを観る。ちょっとした勉強。モルモン教徒の開拓時代における奮闘、そしてブリガム・ヤングという指導者がいかに優れていたかを理解する。とはいえ、私はハイキングをしたい。なぜ、こんなところに立ち寄っているのか?その後、モルモン教徒の一夫多妻を実践しているコミュニティを訪れる。女性は古風な格好をしている。我々、ヨソ者に対してチェックが入っている。ある意味、興味深いが、私はハイキングをしたい。なぜ、こんなところをうろうろしているのか。と、ここらへんで多少、我慢の限界に来たので、ザイオンの北にあるコロブ・キャニオンに行こうと提案して、友人に決定させる。コロブ・キャニオンのある地域は、最初はザイオン国立公園に含まれていなかった。代わりにザイオン国定公園に指定されたのであるが、1956年に合併されたのである。コロブ・キャニオンは今回、初めてであった。ここにアクセスするには、ザイオン渓谷からだと、いったん町に降りてインターステート・ハイウェイ15号をまた北上しなくてはならない。ここへのアプローチはザイオン渓谷と違って、あまりドラマチックではない。インターチェンジを降りると、すぐ着いてしまう、という感じで、焦らしはほとんどなしで、拍子抜けする。

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 さて、このコロブ・キャニオン地区では、世界最大の自然に出来た橋であるコロブ・アーチ(94メートル)があることが売りなのだが、そこはとても遠い。ということで、その代わりにダブルアーチへ行くことにする。コロブ・キャニオンは相当、雪に覆われており、昨日よりさらに雪の中を歩くことになる。片道4キロメートルと大した距離ではないのだが、雪道なので相当時間がかかるし、渓谷を歩くので日陰で寒い。とはいえ、終点にあるダブルアーチは見応えがあった。こんなにスケールが大きいランドスケープの中だと、自分がつくづくちっぽけであることを思い知らされる。いやでも自然に対して謙虚な気持ちを持たされる。こういう経験がないと、戦争とかしたり、二酸化炭素の排出権を取引しようとしたり、サブプライムみたいなローン制度を考えたり、牛のゲップを止めさせようとしたり、下らないことを考えてしまうのではないだろうか。こういう大自然の懐に抱かれると、まあ適当に幸せに寿命を全うしようという、小さな気持ちにならされる。この小さな気持ちこそがサステイナブルな未来を実現させる鍵になるのでは、と思ったりした。

IMG_8622.jpg(ダブル・アーチ)
 
 さて、17時頃に車に戻り、途中、レッド・ロック・キャニオンという景勝地に寄ったりして、夜にラスベガスに着く。ザイオン国立公園を相当の範囲で制覇したのではないか。アメリカはろくでもない国であると思う。いろいろととんでもない制度を考えるし、人類が滅びるとしたら、アメリカが8割くらい責任があるんじゃないか、と思っているくらいである。しかし、国立公園制度を考案したこと、国立公園などの限られた地域ではあるが自然保護を徹底的にやろうとしている姿勢などは立派であるし、我が国も、我が国民も見習うべきことであると思う。初めてザイオン国立公園に行ったのは11歳くらいの頃だと思うが、その時受けた衝撃と感動は、30年以上経っても再び感じることができた。そのような価値を保全できているアメリカという国からは学ぶことが多い、と考える。


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