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勝沼町でワインを飲む [サステイナブルな問題]

私が所属する都市環境デザイン会議の街歩きに参加して、山梨県の勝沼町に行く。昨年、遊歩道ができた延長1368メートルの大日影トンネルを歩き、粕尾古戦場跡、勝沼堰堤、大善寺、祝い橋、葡萄酒資料館などを訪れ、ぶどうの丘でワインを飲み食事をした。

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(大善寺の本堂。国宝である)

さて、勝沼は奈良時代から葡萄づくりを始めたといわれ、江戸時代には、既に日本一に葡萄産地として知られる。そして、明治時代からワインをつくり始め、国産ワインの発祥地として知られる。明治時代に高官や山梨県令が殖産興業政策、文明開化の一貫としてワイン醸造を奨励したこともあり、それに触発された農家有志がワイン造りを始めたのである。

勝沼町は人口1万人たらずの甲府盆地の東に位置する町であった。過去形なのは、勝沼町は2005年に合併して甲州市となってしまったからである。せっかくワイン国産発祥地というブランドを有していたのに大変もったいないことをした。ともかく、そこでワインを飲んだ。私は以前から、日本で飲む酒は日本酒が一番うまい。まあ、焼酎とかも悪くないが、何しろ日本酒であると主張してきた。日本の気候には日本酒が合うし、日本酒の面白いところは、醸造所のある風土を色濃く、その風味に反映させているところである。それは、日本人のアイデンティティをも確認させてくれるお酒である。それに比して、日本でワインを飲むというのは、イギリス人がスキーをやるような(イギリスには標高が高い山がないので、スキー場は極めて少ないし、湿っているので雪質もよくない)、なんか場違いな印象を以前から感じていた。別に日本酒がワインより優れていると言いたい訳ではない。フランスやアルゼンチンに行けば、ワインを飲むし、ドイツやチェコに行けばビールを飲む。なぜなら、フランスやアルゼンチンはやはりワインが格別に美味いと思うからであり、ドイツやチェコのビールはやはり相当、美味いと思うからである。同様の理由で、日本では日本酒が格別に美味い。アメリカの寿司バーでまず私は日本酒を絶対に頼まない。鬼ごろしとか菊正宗といった日本でも私は飲まないようなブランドがほとんどだし、アメリカでつくっている日本酒もあるが、とても飲めた代物ではない。もちろん、ちょっと高級な寿司バーでは、最近では久保田なども置いているみたいだが、そこで飲む久保田は、東京の居酒屋で飲む久保田とは全然、味が違うように感じられる。

だから、勝沼町はワインで町づくりをずっと行ってきたのだが、なんか私的には違和感を抱いていたのである。ワインが美味しいのは、ワインの風土が合う気候、土地柄であり、それはやはりフランスやアルゼンチンであり、カリフォルニアのナパ・バレーであり、勝沼町ではないという偏見を抱いていたからである。ということで、それまで勝沼町のワインを飲むなどという気はまったくおきなかったのだが、今回、初めて、そういう機会を得られた。ちょっと、わくわくしていた。もしかしたら、私の偏狭な先入観が覆されるのではないか、と期待していたからである。さて、その結果であるが、やはり勝沼町のワインは美味しくなかった。というか、明らかにこのワインよりは、日本酒の方が断然美味しいって。それは、不二家のチョコレートよりゴジバのチョコレートの方が美味しい、という議論より明かだと思う。日清のカップラーメンより、大井町ののりやのラーメンの方が美味しい、というくらい明かな差である筈だ。いや、不二家のチョコレートも日清のカップラーメンもそれなりに美味しいですよ。不味い、といっている訳ではない。だから、勝沼町で飲んだワインもただ酔っぱらいたいなら、まあ悪くないかもしれない。しかし、こんなワインを飲むくらいなら、遙かに美味しい日本酒がある。それに、このワインは結構、いい値段をする。サンフランシスコのレストランでシャルドネーを頼むのと同じくらいの値段だ。そして、サンフランシスコというか北カリフォルニアのシャルドネーの方が断然に美味しい。

勝沼町の人達は明治時代からワインを飲む運動を展開しており、冠婚葬祭でも日本酒ではなくてワインを飲むようにしてきたらしい。もう、ワインを日常の生活に定着させるべく努力を100年近くもしてきたのである。それは、それで凄いことだ。その努力には頭が下がる。そして、勝沼町は米作に適していなかったし、日本ではもっとも葡萄栽培に適している土地柄なのであろう。だから、日本酒よりワインをつくる、という発想は見事であるといえる。しかし、消費者の立場からすれば、よっぽどワインが好きな人ならともかく、通常の酒好きなら、日本酒の方が断然にうまいということに気づくべきなのではないだろうか。勝沼町でさえも、この程度のワインしかつくれないのだから。こういうことを言うのは、日本酒の消費量が未だに減少傾向にあり、全国にある多くの酒造が苦労しているからである。日本文化の重要な担い手であり、日本人の食生活のアイデンティティの構成要素としても極めて重要な日本酒を飲まないで、ワインを有り難がって飲むほどの価値は果たしてあるのだろうか。いや、ワインはフランスとかで飲むと美味しいですよ。しかし、輸入ワインは防腐剤が入っており、これによって味が変わる。このせいかどうかは分からないが、私は日本で相当、高いワインを飲んでも美味しい、と思うことは滅多にない。しかし、フランスやアルゼンチンの、特にパリとかブエノスアイレスではなくて地方の居酒屋やレストラン、とかでワインを飲むと美味しい、と思う(参考までに日本ではチリのワインが有名だが、アンデスの東側のアルゼンチンのメンドーサ地方のワインの方が遙かに美味しいと思う)。これが、ワインの味か、と外国人が築地市場の寿司屋で覚えるだろうと思われる感動と似た感動、というかショックを受ける。

まあ、やはり、その国々、風土ごとに得手、不得手はあるのだろう。自動車やコンピューターなどの第二次産業と違って、第一次産業は地域ごとの風土、自然に強く依存する。そして、日本の風土、自然はワインより日本酒の方が合っているのだ。特に、最近は年を取ってきたので、益々そういう思いが強くなっている。さらに、付け加えるのであれば、日本人も日本の風土、自然に合っている。我々も風土、自然に強く依存している、というか、我々自体も風土であるからだ。だから、日本人は米食べて、日本酒飲んでることが、一番理に適っているのである。それが、おそらくサステイナブルな社会システムに繋がるのである。まあ、勝沼のワインは日本の社会システムに既に組み込まれているのであろうが、輸入ワインを有り難がって飲むのは滑稽だし、サステイナブルでもないし、何より高いくせに美味しくない。私の血はワインが流れている、と言ったのは川島なお美であるが、それは誤解である。日本人の血にはワインは流れていません。フランス人が、私の血には日本酒が流れている、と言ったら我々も違和感を持つでしょう。例えば、フランス人でも日本で生活して、日本を愛している人がそういえば、そうかあ、と思うけど、日本に住んでいて、日本男性と恋愛して、フランス語もスペイン語も話す訳でもなく、単なる消費者としてワインを飲んで、ワインを商品知識として勉強している程度で、血にワインが流れている、というのは僭越です。いや、勝沼町でワイン醸造に勤しんで、ワインに一生を捧げているような人なら、言っても説得力はあります。でも消費者で、そこまで言うのはなあ。とはいっても、私はこの件を除けば、川島なお美は、相当の才能の持ち主で凄い女性であると思っていることを付け加えておく。

まあ、勝沼町のワインは私の偏狭なる先入観を覆すことはなく、私の偏狭なる先入観はさらに強化されたのである。日本で飲むワインは不味い。日本人なら日本酒を飲め!


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