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くるりの「ワルツを踊れ」 [ロック音楽]

くるりの「ワルツを踊れ」を遅ればせながら購入して聞く。5歳の次女が渋谷の店で曲が流れているのを聞いて、これはくるりの新曲に違いないと母親(私の妻)に主張したのだが、それがくるりかどうかを確認したいというので、おそらくくるりのニューアルバムに入っている曲であろう、ということで購入したのだ。次女の指摘は正しく、確かにくるりのニューシングルの「言葉はさんかく こころは四角」であった。まあ、どっちにしろそのうち買おうと思っていたので、買ったことはよかったのであるが、ここまで買うのを躊躇していたのは、くるりのニューアルバムをあまり期待していなかったからである。本人達も言っているように「クラシック」の影響を受けたというのがどうにも抵抗があったからである。くるりは恐ろしく音楽的な守備範囲が広い。図鑑で見せたパワー・ギター・ロックから、テクノ風のチーム・ロック、ロック・バンドそのもの風のアンテナ、そして能天気なロックンロール・アルバムのNikki。さらにリップスライムとの共演ではジュースという素晴らしく美しいコーラスラインを持つヒップホップの曲もつくっているし、リバーのようなカントリー風の名曲もある。とても岸田のワンマンバンドとは思えないほどの雑食性と器用さである。

しかし、である。クラシックに触手を伸ばすのはどうかな、と私は極めて懐疑的に新しいアルバムを捉えていたのである。クラシックに手を出すロック・ミュージシャンは結構、多い。イメージとしてすぐ浮かぶのは、晩年のポール・マッカートニーやエルトン・ジョンなどである。どちらも、ロック的スピリッツに良くも悪しくも欠けている天才肌である。岸田もまさに天才的なミュージシャンであるので、クラシックとの融合みたいな挑戦には個人的には抵抗があったのである。さてさて、それでは実際に聴いてみての感想だが、やはり、まあそれほど感心するものではなかった。くるりの最高傑作、とか褒めていたりする輩もいるが、それはおそらく、くるりの本質的価値を分かっていないから言える妄言だと思われる。もちろん、ブレーメンとジュビリーという二つの曲は、岸田が紡ぎ出したメロディーの中でも最も美しく傑出したものである可能性がある。しかし、だからといって、これらの二つの曲がデビュー・アルバムに入っている東京と虹より優れているか、と言えばそれは全く違うと思う。東京には、くるりというバンドというよりかは岸田の生きていくための葛藤や諦念や、やりきれなさが6分弱の時間に濃縮されて詰め込まれていた。それは、聴いているものに息苦しさを感じさせるが、それはなぜくるりが音楽をつくらなくてはならないかを切実に聞き手に感じさせる暑苦しさに溢れている。そして、アルバムとしても図鑑のような狂気が詰まったアルバムに比べると、まあ相変わらずひねた視点は健全だが、どうにもジュビリーなんだよね。もちろん、前作のNIKKIもそういう意味では極めて軽薄でハッピーでベイビー、アイラブユーで世界で一番好きなあなたのメロディーなのだが、NIKKIはロックンロールだからね。ハッピーさの解釈がストレートで、バス・トゥ・フィンズベリーなんて文句のつけようがないロックの正統的な存在意義を改めて聴き手に確認させてくれる。しかし、今度の新作は、そういう点ではメロディーが美しいものは美しい、というような強引な解釈をさせようと、もし考えていたとしても、それが実現できているのは前述したブレーメンとジュビリーくらいしかない。スローダンスも悪くないか、と思ったりしたが、これくらいのレベルはNIKKIのほとんどの曲がクリアしている。ということで、結構、何を狙っていたのかがよく分からない、個人的にはかばうのは難しいレベルで今ひとつのアルバムである。このアルバムを聴いた後は、ロックンロールやスーパースターかなんかでリハビリしないとしゃんと戻れない。まあ、岸田は何をやっても許されるだけの支持を得ているだろうから(私からも)、好きなことをやってくれてて構わないのだが、初めて聴いたくるりのアルバムがこの「ワルツを踊れ」だとちょっと痛いかもしれない。といいつつ、チオビタ・ドリンクのテレビ・コマーシャルで流れているジュビリーを聴くと、グッとくるものがあるけどね。


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