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ストロイエ [都市デザイン]

今回のヨーロッパ旅行では、プラハとベルリンとボーハムに用事があった。コペンハーゲンに行く用事はない。いや、本当は用事をつくろうとしていたのだが、先方の都合が悪く、会う約束をとりつけることができなかった。まあ、イースターの連休中だから断られても当然だったのだが(イースターというのは断りのメイルが来て、気づいた)。だから、コペンハーゲンに来る必要はなかったのだ。しかし、来た。それは、このコペンハーゲンには是非とも私が見なくてはならないものがあるからだ。それは、私を都市デザインの道へ進ませるきっかけをつくったもので、今の私の状況はとても都市デザイナーと呼べるようようなものではないので、なんかしっくりこないが、しかし私の人生を大きく迷わしたその理由が、このコペンハーゲンにあるのだ。そして、私が会おうとした人間は、それを設計した張本人であった。

このコペンハーゲンには、ヨーロッパで最長の、そして自動車道路を歩行者専用道路に変換した初めての歩行者天国であるストロイエがあるのだ。そして、私が会おうとして連絡を取っていた人間は、このストロイエを設計して、若かりし私に、その著書「スペース・ビトゥイーン・ビルディングス(建物の間の空間)」で大きな感動を与えたヤン・ゲールであった。ヤン・ゲールには実は、以前会ったことがあるのだが、当然覚えていないと思われるので、そのことは述べずに会って欲しい、と手紙というか電子メイルを送ったら、丁重に断りの返事が来た。しかし、彼と会えずとも、もうストロイエを死ぬまでに見なくては、という強い思いがふつふつと湧いてきて来たのである。ホテル代はべらぼうに高く、4月なのに手袋なしではいられないほど寒く(しかし、こちらの人間は、こんなに寒いのに自転車に乗っていて、しかも手袋をしていない!)、誰も知り合いもいないのに、40男であるにも関わらず、一人異国の地に降り立ったのである(まあ、これはしょっちゅうしているが)。

そして、行きました。ストロイエ。まず、ストロイエというのは、例えばクリチバの「花通り」やバーリントンの「チャーチストリート」のように、一本の道ではない。それは、このコペンハーゲンの旧市街地に張り巡らされた歩行者専用道路のネットワークの総称である。このデンマーク語で「歩く」を意味する、このネットワークは、人でもう溢れかえっていた。こんなに人に溢れている歩行者専用道路は寡聞にして知らない。というか、渋谷のセンター通りや原宿の竹下通りぐらいである。しかし、ストロイエの方がセンター通りや竹下通りよりは、はるかに道幅がある。前述したクリチバの「花通り」よりもはるかに多い。もちろん「チャーチストリート」やボルダーの「パールストリート」、ミネアポリスの「ニコレットモール」よりも多く、アムステルダムやミュンへン、シュツットガルトといった近隣諸国の歩行者専用道路よりも多い。バルセロナのランブランスもここまでは密度が高くない気がする。しかし、ランブランスの方が幅はあるか。アルゼンチンのカジャ・フロリダなら対抗できるか。まあ、とにかくこの寒い4月に凄い人混みである。何かのイベントがあるかの如くの人の多さだ。しかも、このストロイエは、歩行者専用道路の結節点が広場になっているのだが、この広場にも人が溢れかえっている。広場には、カフェやレストランや噴水などのモニュメントがあり、それらの溜まりの空間で人々はくつろいだり、都市体験を楽しんでいたりするのだ。大道芸人も多くいて、しかも、彼らのレベルが高い。

ここに来る前に、知り合いのドイツ人の都市計画家に「まあ、しかし、最初につくられた歩行者専用道路だから、そんなに期待すると肩すかしにあうよ」と言われて、少し不安だったのだが、そんな不安は吹っ飛んだ。確かに、都市デザイン的な面ではランドスケーピングがほとんどされておらず、その点は寂しいものもあるが、こんなに人が一杯いれば、そんなものはあまり意味がない。人が景観要素になるということが理解できる、素晴らしい街路であると思われる。店舗は、グッチやエルメスなどの高級ブランド店から、地元のデパート、アパレル店から、ちょっとお洒落なレストラン、マクドナルドなどのファストフード店、観光客相手のお土産屋とまさに百花繚乱で、街路の特徴が商店からは見えにくいが、この雑多さが、逆にこの道の魅力になっているのではないかと思われる。何軒かの店を覗いてみたが、観光客の多い都市の繁華街のような、地元住民が避けるような店ばかりではない(例えば、サンフランシスコのチャイナタウンにあるグラント通りとか、バルセロナのランブランス通りとか、ミラノのガレリアとか)。ストロイエにあるイルムというパン屋に入ったのだが、このパン屋は相当、美味しかった。もちろん、新宿のアンデルセンの方が全然、美味しいのだが、ドイツやフランスなどでは決して味わえないレベルであった。もちろん、同じコーカソイドの人が多いアメリカ合衆国とでは天と地との差がある。しかし、ここでアンデルセンを挙げたが、アンデルセンはもしかして、このデンマークのパン屋にインスパイアされたのかもしれない。そうであれば、それが日本のアンデルセンをあそこまで抜きん出るようにさせた理由であるかもしれない。フランスの真似をしようとしたら、あのレベルには到達できないであろう。と、はっきりここで断言しておくと、このストロイエで食べたパンはフランスのパンよりずっと美味しい。私は総菜屋のフロが気に入っているのだが、最近では、本家のフロより日本の方が美味しいのではないかとさえ思っているのである。まあ、ここらへんは脱線するし、批判もされるのでこれ以上は言わないでおく。そのうち、論理武装して言うべきことである。すなわち、フランスの食事は決して美味しくない!ということである。まあ、フランスというか、パリを中心とした北部のフランスであるが(地中海は美味いが、実は地中海はスペインもイタリアも美味いのである)。

話をストロイエに戻す。このストロイエは、今、思うと成功するのが当たり前で、絶対的にするべきことであったと捉えられるかもしれないが、これを最初にしたことは本当に賢明であったと思う。もし、ここを歩行者専用道路へと転換していなかったらコペンハーゲンの旧市街地は死んでいたであろう。それは、コペンハーゲンの人々だけでなく、デンマーク人にとって多大なる損失をもたらしたであろう。しかし、ストロイエをつくりあげたことで、その問題を回避し、新たな都市の魅力を創出することに成功した。ヤン・ゲールももう70歳。しかし、これを手がけた時は30前後であったと思われる。この男は、どのようなきっかけで、このストロイエをつくろうと思ったのであろうか。もちろん、多くの実地研究に基づいているのだが、それにしてもこの男が当時、何を考えていたのかを知りたいものである。彼とは1997年か1998年にセントルイスで開催された環境デザイン研究学会で会った。日本人の知り合いと話をしている時に、突如彼が割って入ってきたのである。随分と、失礼な男だなあ、と思いつつ、あなた誰ですか、と聞いたらヤン・ゲールである、と言って私は仰け反ったことがある。動揺している私を置いて、知り合いの日本人が、「ふうん、何の仕事をしているの?」みたいな質問をしたので、思わず「この印籠が見えないのか」みたいなカクさんのような反応をしてしまったことを思いだす。このストロイエは世界中に多大な影響を与えて、類似事例を多くつくりだす。バーリントンのチャーチストリートもそうである。私は、この歩行者専用道路が大好きなのである。特にミラノのガレリアやバルセロナのランブランスのように、最初から歩行者専用であったのでなく、自動車道路を歩行者専用道路へと転換させた事例が好きなのである。クリチバの「花通り」やボルダーの「パール・ストリート」やバーリントンの「チャーチストリート」に非常に魅了されるのである。そして、いつか日本でもそのような都市デザインの仕事をしたいとストロイエのことを知ってから思い続けているのだが、年々、その夢から遠ざかっているような気もする。しかし、そんな私をストロイエはまた勇気づけてくれた。来てよかった。


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