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年の暮れに椎名林檎を考える [ロック音楽]

ロック・ミュージシャンとしての真の椎名林檎はもう基本的にいない筈である。おそらく。ソロで音楽をやるためのモチベーションを失った椎名林檎は、東京事変というバンドの一メンバーとなり、なんか楽しそうに今でもミュージシャンとして活躍している。しかし、東京事変のライブをDVD(ダイナマイト・アウト)で観賞すると、ボーカルの椎名林檎の存在感が圧倒的に巨大なので、ちょっとあなたがバンドの一メンバーになろうとしても、周りをあまりに食い過ぎて無理なんじゃないの、と言いたくなる。そのカリスマ性は抜きんでており、無理に周辺と調和しようとしている(MCをアンコールまでほとんどやらないことや楽曲を他のメンバーにもやらせている)ことが、どうにも中途半端な印象を与えてしまう。天才はやはり天才として王道を歩んでもらいたい。凡人を従わせて、女王の道を突き進んでもらいたい!と、東京事変のライブとまさに旬であった下克上エクスタシーのライブとを比較してみて強く思ったのである。ダイナマイト・アウトで、ピンと張るような緊張感で空間が支配されるのは、「丸の内サディスティック」と「ここでキスして」、そして「月に負け犬」といった椎名林檎の最初の2枚からの選曲である。これらと同じ水準に届きそうな候補は「群青日和」しかない。まあ、椎名林檎の作曲でないこの曲が相当の傑作であるというのが唯一の個人的な慰めなのであるが。

しかし、まあ疲れたのでしょうし、モチベーションもないんでしょうね。椎名林檎は和製ロックアルバムとしては、奇跡ともいえる2枚のアルバムをデビュー時に完成させてしまった。これを越えることは、椎名林檎にしても無理であろう。まあ、いろいろとけちをつけてしまったが、それでも東京事変は、日本人としては飛び抜けていいバンドではある。でも、3枚目の路線を進んでもらい椎名林檎ワールドを展開させてくれた方が、私にとって、そして日本人にとって、そして世界にとってより多くの感動を与えてくれたのではないかと思わずにはいられない。例え、3枚目が最初の2枚に比べてはるかに天才性が薄まれてしまった作品であっても。

椎名林檎は日本のロック界が、おそらくはじめて生み出した世界的レベルでの天才ロック・ミュージシャンである。これはもう、桑田佳祐とか忌野清志郎、桜井和寿などとは次元が違う天才である。彼女が日本人であるということに、日本人として誇りを抱くようなアーティストである。日本人が他の国の人間から馬鹿にされたら、私は「お前の国に椎名林檎のようなロック・ミュージシャンがいるか!」と、イギリスとアメリカとカナダとオーストラリア以外の人間には言ってやりたい気分である。特にアジアで、このような天才が生まれたこと、そして日本で生まれたことに左がかっている私でさえ、愛国心を溢れ出させてくれるのである。これは、もう奇跡の人である。

と私の偏愛を吐露した訳である。くるりの新譜を聞きながら、このブログを書いているのだが、まあくるりの新譜も相当、レベルが高いですね。しかし、ロックに必要不可欠な狂気、破壊力も兼ね備えた点でやはり椎名林檎は別格であると思うのである。いやはやダイナマイト・アウトでシャウトする彼女の目は完全にあっち側の人です。


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