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正月におせち料理をつくり、食べる意義 [グローバルな問題]

明けましておめでとうございます。最近、掲載頻度が少なくなっていますが、今年もこのブログを宜しくお願い致します。

さて、極めて私事ではありますがおせち料理を最近、つくっています。これは、日本人とは何だろうとこの数年、考えているからでもあります。日本人ってどうやって定義できるのでしょうか。日本は島国なので、移民がなかなか来にくい国です。ということもあり、なんか日本で生まれ育って、親もそのように暮らしてきて、さらに親の親もそのようであったりすると、もう日本人だと勝手に思ってしまうかもしれませんが、本当にそれで日本人といえるのでしょうか?例えば、そのような考えをアメリカ合衆国に適用すると、そのような人達はアメリカ・インディアンだけに絞られてしまい、トランプ大統領のように母親が20歳頃スコットランドから渡米してきて、さらに父親方も祖父の代にドイツから渡米してきたような人なんて、まったくアメリカ人と言えなくなってしまいますよね。
 おそらく世界的には、日本人は日本語をしっかりと駆使できて、日本文化をしっかりと理解して、それらを次世代に継承するだけの教養・技能・情熱を有している人なのではないかなと思うのです。そのように考えると、ドナルド・キーンなどは私なんかよりも遙かに日本人である訳です。これは、例えばどこかの国が日本人なんて絶滅してもいいんだと主張した時(いや、このような話は真面目に第二次世界大戦中はされていたと思います。そうでなければ原爆は落とされない)、いやいやいや、日本人は人類において日本語を含む貴重な文化を継承していくという重要な役割を担っているので、絶滅させない方が日本人以外にとってもいいでしょう、と主張するのが、一番、絶滅させない理由として適当であると私は思ったりするからです。ここで人道的などという言葉を放っても、ほとんど効果がないことは人類の歴史が証明しています。
 さて、前口上が長くなってしまいましたが、そのような日本にしかない貴重な人類の文化資源として、私はおせち料理というものがあるのではないかと思っています。朝日新聞の元記者であった本田勝一も世界で一番美味しい料理は日本料理と言っていますが、私も50ヶ国以上訪れた経験から本当にそう思います。そして、その和食のエッセンスはおせち料理に詰められていると思います。ということで、おせち料理の調理に精進することで、日本料理の哲学のようなものにもちょっと触れられるかなと思うのと同時に、殺されそうになった時、ちょっと美味しい料理を振る舞って命乞いができるかもしれないと思ったりもする訳です。
 ということで今年もおせち料理をつくりました。ポイントとなるのは食材をどこで買うかということですが、野菜系はすべて尾山台にある八百屋ジャズで仕入れました。値段は高いですが、モノはいいです。この値段の高さには、しっかりとした商品を提供してくれる信頼の値段も含まれているかと思います。ローストビーフのお肉は都立大学の原田畜産で入手しました。原田畜産はとても人気なのですが、家内が大晦日の日に開店前に並んでくれたので無事、手に入れることができました。ちなみに予約をすればいいじゃないか?と思われるかもしれませんが、八百屋ジャズでは大根の予約ができますが、原田畜産は相当の量でないと予約は受け付けてくれません。個人消費の量ではとても予約できないのです。
さて、問題となるのは魚介類です。というのは、これまでは築地市場で入手していたのですが、築地市場が移転した後、場外はただの小売店の場となっている筈です。豊洲市場のサイトをチェックすると、どうも場内でも購入できるようだということが判明したので、とりあえず豊洲市場に向かいました。何しろ、必要なのは有頭海老、そして数の子、蛸、鰹節です。また出来れば真鯛。初めて行った豊洲市場はとても清潔で、しっかりと来場者も管理していて、とてもよく計画されているなと思いました。正直、築地市場よりも遙かにましになっています。部外者がいろいろと反対していましたが、当事者からするとなんで反対するんだ、という気分だったでしょう。
 場内に入るのはわざと入りにくくされているようでしたが、いそいそと入っていき、海老専門店に行きましたが既に12時を回っていたこともあり閉まっていました。他の店もあまりいい海老が置いていない、というか売り切れている。ということで、豊洲市場にあるショッピング・コート的な場所で鰹節や数の子、昆布巻き、蒲鉾、伊達巻、田作などを買いました。ちなみに、結果論ですが、ここで買ったものは鰹節こそ相当よかったですし、蒲鉾、伊達巻、田作は文句を言うようなものではなかったですが数の子、昆布巻きは今一つでした。ちょっと安かったですが、安物買いの銭失いという言葉を痛感させられました。
 肝心の海老が入手できなかったので、豊洲のお店の人に相談すると、築地の場外に行くのであればアメ横の吉池でしょう、といわれたので初めてですがそそくさと吉池に向かいました。吉池の混み具合は、まさにラッシュアワーの田園都市線という感じでしたが、どうにか海老、鯛、蛸を入手することができました。ただ、これも結果論ですが、鯛、蛸はよかったのですが海老は残り物を購入したせいもあるけど、頭が調理途中でもげたりして散々でした。
 さて、そんな感じで仕入れた食材でつくったおせち料理は次のようなものになりました。

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まず、、写真中央の鯛の塩焼き。これは、なんと内臓処理をお願いし忘れたので、自分で初めて捌きました。そのため、ちょっと見た目は悪かったですが、吉池で購入した金額が確か700円前後。近くのスーパーで調理済みの鯛が3000円ぐらいで売っていたので、見た目の悪さはどうってことない気分になります。そして、時計回りに左から行くと、左は栗きんとんです。そして、次の重は黒豆、数の子、膾+干し柿、菊花蕪、田作(カシューナッツ和え)、蛸と大根の煮物、その隣の重は蒲鉾(市販品)、海老の日本酒煮、ローストビーフ、昆布巻き、伊達巻、そして一番、右側は筑前煮です。
 ほとんどのレシピがクックパッドで検索したもので、本当、クックパッドのおかげでどれだけの家庭料理が向上されたか分かりません。そして、その家庭料理にはおせち料理も含まれる訳です。ということで、私の家に代々伝わるおせち料理という訳ではないですが、クックパッドのおかげで、日本人らしい正月を迎えることができるようになっています。前文に戻りますが、日本人の定義って難しいですが、宇宙人的にみると「日本語をしゃべっている」、「裸になってよくお湯に浸かる」、「家に入る時、靴を脱ぐ」と同じぐらい、「正月におせち料理を食べる」というのもその条件になるような気がします。そういう意味で、正月におせち料理を食べて、自分が日本人であると自覚すること、さらには、その極めて日本的な料理を次代に継承できるようにしておくことは、結構、重要なことかなと思ったりします。
 最近、記事を書く頻度が開いてしまって申し訳ないですが、本年も何とぞ、よろしくお願い申し上げます。

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