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琴奨菊の優勝報道にみる島国根性こそが日本が国際的でない側面である [グローバルな問題]

 琴奨菊が優勝した。日本出身の力士が優勝したのは10年ぶりだそうだ。そこで、随分とマスコミは「日本出身の力士」を強調している。なぜ、日本人ではなくて「日本出身」なのかというと、旭天鵬が帰化して2005年に日本人になったあと、優勝したからだそうだ。しかし、「日本出身」という括りも随分とおかしい。例えば、私の長女は日本人の両親のもとに生まれて、そのほとんどを日本で過ごしているが、出身地はアメリカ合衆国カリフォルニア州オークランド市である。日本国籍だけでなく、アメリカ国籍も有しているが、本人も周りも誰もがアメリカ人などと思っていないだろう。彼女がもしゴルフの大会に出て優勝したら、アメリカ人は「アメリカ出身」として彼女を持ち上げるようなことはしないだろう。
 さて、一方で女子テニスの全豪オープンで18歳の俊英、大坂なおみが大活躍をした。彼女の写真を新聞でみて驚いた。というのも、彼女は日本人離れをした顔をしていたからだ。そうしたら、彼女は母親こそ日本人であるが、父親はハイチ人であることが分かった。国籍は日本とアメリカらしく、母国語は英語で日本語もしゃべれるが英語ほどではないだろう。もちろん、オリンピックでははるかに出場しやすい日本で出る可能性もあるが、それをあたかも日本人が大活躍として紹介するのはおかしいであろう。というか、ちょっと違和感を覚えないか。
 そういえば、アメリカの女子バレーの代表選手のセッターであったヨーコ・ゼッターランドを私が初めて知ったのは、早稲田大学の堀江陽子としてであった。彼女は途中まで二重国籍であったが、結局アメリカ国籍を取得するが、このようなケースは、なんか巨人から中日にチームを移ったようにも思える。
 まあ、オリンピックとかは国ごとの括りでチームがつくられるので、国籍とかが重要な意味合いを持つのは分かるが、そもそも国籍をそんなに重視する必要があるのだろうか。
 このようなことを考えると、私が思い出すのはタイガーウッズがタイに行ったときのリアクションである。タイガーウッズのお母さんはタイ人であることもあって、タイではウッズを大歓迎したのだが、当のウッズは「僕はアメリカ人」といって、その歓迎ぶりに困惑を示していた。と少なくとも、アメリカのラジオの取材ではそう語っていた。私は当時、アメリカに住んでいたので、この発言を非常に興味深く聞いていたのでよく覚えているのである。
 同じことは、アメリカの大学院の同窓生で日本人とアメリカ人(正確にはアイルランド人)のハーフの子に、まああなたも日本人のようなものじゃない、と私が言ったら、すごく怒って「私は日本人なんかじゃないわよ(I am not Japanese)」と言い返されたので、そうか、こういうことはセンシティブなのだな、と思わされたりした。
 そういう文脈で捉えると、旭天鵬は立派な日本人であろう。日本出身とか断っているというのは、私のほとんど英語もできない長女がアメリカ出身として捉えられるのと同じくらい下らないことのような気もする。いや、相撲というのが日本の国技であるということが大きいのかもしれないが、サッカー発祥の地のイギリスなんて、ほとんどいつも他国の後塵を拝しているではないか。
 日本出身の力士が10年ぶりに優勝したのは、それだけ相撲が国際的になった証拠でもあり、日本出身の力士ということでマスコミが大きく取り上げること自体、この国がいかに国際的に遅れているか、ということを示唆している。英語がしゃべれないことが国際的ではなく、こういう島国根性にしがみついているところこそが日本が国際的でないことであると私は強く思う。

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