SSブログ

イーストヴィレッジの魅力を考察する [都市デザイン]

マンハッタンにおける創造都市はどこか?と問われればイーストヴィレッジと答えるべきであろう。

1960年代に売れない芸術家、音楽家、学生、そしてヒッピーが、ビートニックスのベースであるというブランド性と低家賃に惹かれてこのイーストヴィレッジに移り住むようになる。これはグリニッチ・ヴィレッジの家賃が上がって住みにくくなったことも関係していた。イーストヴィレッジを代表するロック・アーティストとしてはパティ・スミス、ヴェルベット・アンダーグランドとルー・リード、パティと同棲していたカメラマンのロバート・メイプルソープ、ラモーンズ、ブロンディ、トーキング・ヘッズ、テレビジョン、ソニック・ユース、ビースティー・ボーイズ、そしてサインではザ・ストロークスなどが挙げられるであろう。また、ポスト・モダン・アートでは、キース・ヘリングやキキ・スミスなどがいる。

IMG_9444.jpg

凄い創造性のある地域であると改めて感心する。

とはいえ、この凄まじいまでのクリエイティビティは1990年頃から衰退し始める。ジェントリフィケーションが始まり、アーティストにとっては家賃が高くなり、また、ジェントリフィケーションとともに、この地域のオーセンティシティのようなものが希薄化されていき、魅力がなくなっていく。そして、これらの人達が顧客であったクラブやカフェが次々と閉店していき、さらに魅力が減衰するというマイナスのサイクルに陥っている。現在、その代替地はイースト・リバーを越えたブルックリンのウィリアムスバーグに移動したが、そのウィリアムスバーグもジェントリフィケーションの危機に晒されつつある。

1990年代のイーストヴィレッジを描いたのが、ブロードウェイ・ミュージカルのレントである。私もブロードウェイで観劇したことがあるのだが、エイズの流行やドラッグ、そして犯罪などによって疲弊したイーストヴィレッジの賃貸住宅から、独り立ちしようとする若き芸術家の卵建ちの群像劇だ。

さて、そんなイーストヴィレッジを訪れる。スタート地点はアスター・プレイスである。一時期、アスター・プレイスの広場を面して、スターバックスが3軒も建ち、イーストヴィレッジのジェントリフィケーションを象徴したようなスポットだ。シャロン・ズーキンの新著『ネイキッド・シティ』では、この現象を「スターバックド」(スターバックに占領された)と表現している。本人に確認したところ、彼女の造語のようだ。しかし、現在は1軒のみ。まあ、いくら何でも3つもスターバックスは要らないであろう。

IMG_9434.jpg
「スターバックド」されたアスター・プレイス

その後、イーストヴィレッジを歩く。イーストヴィレッジもそうだが、エッジなネイバーフッドとして若いアーティストを引き入れる場所は多様性に富んでいる。その多様性が外見から理解できるのは、外国人の存在である。ここでもチベット、インド、そして日本の商品や食堂が多く立地している。特にチベットが多いのは、やはりヒッピー志向の若者が多く住んでいるからであろうか。しかし、実際、チベットの店に入って、店主と話をすると、売っているものはチベット・オンリーではなく、インドはもちろんのこと、インドネシアや中国のものまである。まあ、イメージとしてのチベットが重要なのであろう。日本食も多いが、寿司とかではなく、ラーメン屋や居酒屋だったりして、その名前も「けんか」とか「せたがや」とか、よく分からない。居酒屋「けんか」には、悪いけどあまり入りたくない。あと、靴の修理屋、タトゥー・ショップなどチェーン化されていないというか、市場経済に組み込まれにくい店舗群も多い。なんか、ここだけがグローバル経済から取り残されているような印象を受ける。

IMG_9452.jpg
(居酒屋「けんか」)

IMG_9454.jpg

IMG_9456.jpg
(ラーメン屋が多く立地するイーストヴィレッジ)

ある店にカメラマンと入り、話をしようとしたら強烈に店主に怒鳴られもした。この店主は、撮影したフィルムを捨てろ、とまで言ってきた。なんで、こんなに怒るのだろうかが不思議であったが、不法のものを売っているのかもしれないし、単に観光客が嫌いなのかもしれない。街中には浮浪者のような人もいたりして、ジェントリフィケーションが進んでいるとしても、まだまだ怪しい雰囲気は健全だ。この怪しさがなくなった時に、イーストヴィレッジはそのオーセンティシティを失うのであろうと思う。

イーストヴィレッジで印象に残ったのは、コミュニティ・ガーデンの存在である。空き地であったところを住民が勝手にコミュニティ・ガーデンにしたのがそのつくられた契機であるが、それは一種の不法占拠ということで、当時は随分と、住民と行政とのせめぎ合いがあったようだが、現在では定着している。ここらへんの管理がどうなっているのかは、あまりよく把握していないが、興味深い試みであると思われる。

イーストヴィレッジを抜けて、ハウストン通り(しかし、どうして同じ英語で、ヒューストンとハウストンと二通りの発音があるのだろう。東海林を「とうかいりん」と「しょうじ」と二通りで読むような理不尽さだ)を越え、最近、グルメ・スポットと注目されているオーチャード・ストリートを訪れる。オーチャード・ストリートはしかし、昼であったこともあり、あまり冴えない印象を与えた。ちょうど昼飯時だったので、前知識は一切なかったのだが、行列ができていたカッツという店に入る。サンドイッチ屋のような感じだった。注文するのに随分と待たされ、ロースト・ビーフ・サンドイッチを頼む。ピックルスとキュウリの塩漬けがついてくる。さて、このサンドイッチであるが、流石行列ができるだけあって、私的には相当、美味しかった。ちょっと感動する。しかし、あまりの量に私は半分しか食べることができなかった。相変わらず、このアメリカのとりあえず量、という考え方には呆れる。とはいえ、味はよかった。

ということで、イーストヴィレッジを歩き、ニューヨークの魅力を構成する重要なる要素を検分したわけだが、改めてニューヨークというか大都市が魅力を発現するためには、多様性を受け入れる包容力、そして次代を切り開くようなエッジな感性が必要であると思った次第である。そして、それはフクシマ原発の事故後、閉塞感溢れる我が国がまさに必要なものである。多様性を受入、そしてエッジな感性を育むことが、日本そして日本人にとって何より求められているのではないだろうか。

Naked City: The Death and Life of Authentic Urban Places

Naked City: The Death and Life of Authentic Urban Places

  • 作者: Sharon Zukin
  • 出版社/メーカー: Oxford Univ Pr on Demand
  • 発売日: 2009/12/18
  • メディア: ハードカバー



nice!(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0