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新横浜駅周辺の時代錯誤な都市開発の状況に呆れ果て、悲しくなる [都市デザイン]

新横浜駅で降りて、ちょっと駅前を街歩きしてみる。というか、新横浜のどこが「街」かというと答えに窮するので、それは「街歩き」では正確にいうとないのだが、まあ周辺をぶらつく。新横浜駅周辺は、完全に自動車主導の空間づくりがされていて、人が歩く空間は非常に限定されている。そこは、三浦展がいう「ファスト風土」といった可愛いようなものではなく、もう風土といっていいのか分からないほど文化的な香りがない、工場のような空間であった。工場といっても、まだエッセンのツォールフェライン炭鉱の方が人間的である。なぜなら、そこには自動車が高速で空間を切り裂いていないからである。

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なぜ、こんな空間を日本人はつくりあげてしまったのだろうか。例えば、デュッセルドルフでは人間に地上を開放するために、幹線道路を地上から地下に潜らせた。しかし、新横浜では地上を縦横無尽に自動車が移動できるように、人間は歩道橋を使わなくてはならない。その結果、新横浜駅にはまったく「都市的」なものがないような悲惨な状況になっている。問題なのは、こういう空間が人々の自分勝手な欲望を発散させた結果、カオスとして生じたのではなく、しっかりとした計画と規制のもとにつくってしまったということである。すなわち、極めて計画的に、この非人間的なくそつまらない空間を創出したことにある。しかも、相当のエリート達が頭脳を集結してつくった結果がこれなのである。

こういう馬鹿げた空間づくりを現在でも行っているのは、インドネシアとかアフリカなど行政が国民の幸せを無視して、権力を振りかざしているような国だけである。韓国でさえ、もはやこういう空間づくりは間違っていることに気づいて、自動車ではなく、人間主体の空間づくりを行っている。ヨーロッパはドイツや北欧が60年代から70年代に気づき、スペインでさえ90年代頃から大きく方向を修正しているのに、日本は今でもイケイケに、人間を迫害するような道路整備、自動車のための空間づくりに邁進している。

私は、あたかもオークランド(カリフォルニア州のサンフランシスコ対岸にある都市。飛び切りの金持ちが丘陵に、飛び切りの貧困層がウォーターフロントに住んでいる)の金持ちが生まれ育って死ぬまで、同じ都市内にあるスラムを訪れることがないように、このような郊外のファスト風土や自動車に空間支配された地方都市を見ないで過ごしてきたので、このような馬鹿げた地方都市や郊外都市をみると本当に唖然としてしまう。なんて、とんでもなく魅力がない空間づくりを我々、日本人はしてしまったのだろうか。こういう空間を蛇蝎のごとく嫌っているのは私だけでなく、私の知人の外国人も非常に多い。というか、私がどうして、ここまで自信を持って、こういう空間にダメ出しが出来るのは、私がアメリカの大学院で都市デザインを学び、そしてドイツの大学の都市計画学科で客員教授をしてきたからである。彼らからすれば、新横浜の開発はまったく言い訳ができないほど酷いものである。そういう批判を私自身、受けているので(別に私がそのような計画に携わったりした訳ではまったくないのだが)、より自信を持って、批判ができるのである。私の知人とは、元ヴァーモント大学で東大の客員教授を昨年まで務めていたチェスター・リーブス氏や、ドイツのドルトムント工科大学のフランク・ルースト教授、デンマークのヤン・ゲール氏なのである。

こういう空間をつくったことで、我々が何を失ったのか、そして、なぜ日本人は「アーバン・ファブリック」を計画的につくることができないのか。昨日、訪れたハーモニカ横町の素晴らしきアーバンな空間と比べて、なぜ、こんなつまらない新横浜駅前の空間をつくれてしまうのか。いろいろと考えさせられることは多い。早く目を覚ますべきである。拙著の『道路整備事業の大罪』も多少は、参考になるかもしれない。
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