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立川の羽衣町の赤線跡を訪れたが、私の能力ではその痕跡をたどることは難しかった [都市デザイン]

 マイク・モラスキーの本を読んで、立川の羽衣町に猛烈に行きたくなったので、南武線を武蔵小杉から下る。いつの間にか、南武線は高架化されており、武蔵新城あたりからは結構、神奈川の方が展望できてちょっと楽しい。ただ、溝口あたりからは、また地面を走る。こちらの方が、南武線らしい。車窓はつまらないが。さて、途中、睡魔に襲われうとうとしていると目的地の西国立に到着した。
 モラスキー氏の著書『呑めば、都』には、江東区の州崎の集団売春街が1943年に軍の命令で建物を明け渡すことになったのだが、建物を失った業者達は、吉原、羽田の穴守、そして立川の羽衣町・錦町へと分散して営業したと書かれている。
 私の都市を診る力で、そのような痕跡が分かるかの腕試しのつもりで行ったのである。さて、駅の前は特に何もない。どこが羽衣町かよく分からないので、地図をみる。羽衣町は1丁目から3丁目まであり、随分と広範に拡がっているが、地図の形状から区画整理が比較的にされているところに当たりをつけて行くことにした。これは、羽衣中央会館などがある立川市立第六小学校の南にあたり、羽衣商店街もある。
 さて、しかし、残念ながら、その痕跡はほとんどなく住宅地である。ここが、赤線跡ということが分かっているために、住宅地なのに飲食店(いわゆるカフェがそのようなサービスを提供していた)があったりすることはその名残だろうと類推できるが、その逆は無理だ。というか、私では出来ない。まあ、赤線跡をたくさんみていれば、そのような類推もできるかもしれないが、私はそのような街歩きのストックが少なく、その結果、類推する能力もないことを知る。
 改めて、もっと街歩きをして、街を診る力を養わなくてはと思わされた日であった。

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