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フジ子・ヘミングのコンサートを観に行く [その他]

フジ子・ヘミングのコンサートに行く。東京文化会館でA席だが13000円であった。とはいえ、ソロではなく、ユーリ・シモノフ率いるモスクワ・フィルハーモニー交響楽団との共演である。目当ては、もちろんフジ子・ヘミングであった。しかし、我々のニーズとは異なり、主役はモスクワ・フィルハーモニー交響楽団であり、フジ子・ヘミングは脇役というかサポーターであった。ブラームスの悲劇的序曲、モーツァルトのピアノ協奏曲第21番、ベートーベンの交響曲第7番を演奏したが、フジ子・ヘミングが出てきたのはモーツァルトのピアノ協奏曲第21番だけである。これに加えて、彼女の代名詞ともいえるリストのラ・カンパネラとショパンの曲をソロで弾いた。東京文化会館はほぼ満席であったが、ほとんどの客はフジ子・ヘミングが目当てのようであった。ベートーベンの交響曲の楽章の合間にも拍手をする客が多く、そういう意味で観客は素人が多かったのかと思う。選曲も、ちょっといかにも素人相手というか凝っていない。まあ、そういうのもありなのかもしれないが、フジ子・ヘミングで釣って、親しみやすいビートルズでいえばイエスタデイとかレット・イット・ビーとかシー・ラブス・ユーみたいな大衆迎合的な曲を演奏して、クラシック・ファンの裾野を拡大しようとしているように思えなくもない。私のようにビートルズで一番、好きな曲が「トゥマロー・ネバー・ノウズ」のようなひねくれ者には、ちょっと抵抗があった。まあ、演奏はそんなにも悪くはなかったが、出来ることならばフジ子・ヘミングのソロ・コンサートに行きたかった。まあ、行きたくてもチケットが売り切れていたので行けなかったのだが。

肝心のフジ子・ヘミングのピアノであったが、なんか涙腺を攻撃するような演奏をする。彼女のピアノは人の心を震わせる何かをもっている。ピアノと彼女が一体化したような、ピアノが彼女の器官の延長線上にあるかのような、不思議な表現力を彼女は有している。あたかもピアノに命を吹き込んだかのような演奏だ。演奏の技術は、若い時は違ったのであろうが、現在ではミスタッチなどもあって意外に雑だな、という印象を受けた。それでも、彼女のピアノはそのようなミスタッチといった細かいことを矮小化させるエネルギーというか感情を有している。それは、やはりピアニストとしては凄いレベルにいるのではないか、と思わせられる。ああいう風に楽器に命を与えられるような力を有していたら素晴らしいことだと思う。今日は、いいものを見た。


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