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オスロの都市計画的訪問記3(オペラハウス) [都市デザイン]

 経済が絶好調のノルウェー。しかし、このノルウェーにはオペラハウスがなかった。そもそもオペラハウスをつくる必要があるのか、という話から、つくるにしてもどこにつくればいいのか、といった議論は100年近くもされていたそうである。そのような中、1999年につくることを決定し、敷地も決定し、コンペが開催され、それで優勝したのが地元ノルウェーの設計集団スノヘッタであった。その後、2003年から工事は開始され、2007年に完成した。
 オスロ・オペラハウスがつくられることになったのは、オスロの中心地から東にあたる再開発地区ビョルヴィカのオスロ・フィヨルド湾沿いであった。今(2017年)でこそ、周辺は開発が進んでいるが、2007年にはオペラハウスの北を高速道路が走っているような状況であった。今では、この高速道路は地下化され、その上部空間にはトラムが走り、オフィスビルの開発(バーコード・プロジェクト)や、国立図書館、ムンク美術館などが建設中である。
 オスロ・オペラハウスはノルウェー国立オペラ・バレエ段の本拠地であり、建物面積は38500㎡で、大劇場には1364席、2つの小劇場は200〜400席を設けることができる。
 今回のオスロ訪問では、スノヘッタのベテラン女性建築家と取材をすることができた。彼女の説明によれば、オペラで留意したことは次の3点。
① 海(水)へのアクセス
② ランドマーク(アイコンとしての建築)。
③ プラザの提供。場所との個人的な繋がりをつくろうとしている。パブリック・プレースを提供することが重要。オペラ座をつくることで、空間を奪うのではなく、むしろ空間を提供する。それを所有するのは、オペラ座に観劇する人だけでなく、市民すべてである。
 また、オペラハウスは再開発地区ビョルヴィカにおいて、まさに嚆矢としての役割を果たすことが期待された。ここはフィヨルドと都心部との間を走る高速道路で完全に遮断されていた。そのため、オスロ市民にとっても、ここはアクセスができない忘れた場所となってしまったのである。そこに、オスロ市でも有数の集客の仕掛けをこのオペラハウスをつくることで展開させ、それと同時に高速道路を地下化し、周辺に文化施設の集積を図るようにしている。まだ、建設途上ではあるが、これからのオスロ市の発展を牽引するような地区がここには形成されつつある。

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(西側からみたオペラハウス)

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(屋上へと連なる緩やかな「絨毯」)

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(屋上からの展望)

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(夜には大ガラス面から漏れる光が夜景を演出する)

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(これまで遮断されていたウォーターフロントへのアクセスをも、オペラハウスは提供することに成功した。多くの人が水辺で憩っている)

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