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都市は不死身なのか [都市デザイン]

 都市を人体のアナロジーとして捉えると、いろいろと興味深い思考実験が行える。しかし、もちろん都市と人体とは異なるので、そのアナロジーにあまり説得力のない場合もある。例えば、都市と人体はともに、あるときこの世界に誕生するが、人体は死を迎えるが、都市は死なない。もしくは、例えば戦争などで徹底的に破壊されることで「死んだ」と捉えるような状況になったとしても、その後、蘇生することが可能だということだ。と書いて、ふと気づく。それは、この都市が本当に「蘇生」したのかということへの疑問だ。それは、同じ地理的場所につくられているが、違う「都市」なのではないか。つまり、都市としては「別人格」なのではないか、ということだ。江戸時代の「江戸」と令和時代の「東京」とを必ずしも同じ都市として捉えないような考えである。
 アメリカ人では子供に親と同じ名前をつける習わしがある。同姓同名にするということだ。当然、名前だと区別がつかないので、親はシニア、子供はジュニアと呼ぶことで区別をつけることになる。ただ、同じ名前だが実際は違う人間だ。都市も同様のことが言えるのではないか。そのように考えるのはロシアのカリーニングラードやポーランドのブロツワフを思い描いているからだ。カリーニングラードはロシアよりドイツの都市であろう。ブロツワフは100年前は間違いなくドイツの都市であったが、それより昔まで遡るとポーランドの都市であったりしたので難しいところがあるが、その都市アイデンティティが必ずしも一貫したものではない。このような都市は日本にはほとんどなく、それが都市の不死身さを考えるうえで、ちょっと安易になってしまっているのかもしれない。
 私はカリーニングラードはある意味、死んでしまったように考えている。ブロツワフはちょっと難しい。まだ考察が必要だ。

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ポートランドに来たがるNBAの選手はほとんどいない!? [地域興し]

NBAもレギュラー・シーズン終了まであと1週間ぐらい。プレイオフに進出するチームはまだまだ続くが、そうでないチームはもう来季を見据えて戦略を立てていかなくてはいけない時期だ。戦略増強は大きく3パターンある。ドラフトとトレード、そしてフリー・エージェントである。この中で即効力のあるのはフリー・エージェントであろう。金はかかるがトレードと違って、自分のチームの選手を放出しなくてもよい。さて、先日、ユーチューブでだが、スポーツ・ラジオ番組を聴いていると(見ていると)、フリー・エージェントで選手が行きたがるチームはほぼ限定されているという意見をホストが述べていた。そして、やはりロスアンジェルスが一番、人気だろう、とこの番組のホストは言っていた。これはレイカーズがそもそも強豪であるからだが、ロスアンジェルスの都市としての魅力が素晴らしいしな、と付け加えた。そして、一方でチームの強さはともかく、NBA選手が行きたくない都市はポートランド、オクラホマ・シティだ、とも言った。この発言にはちょっと驚いた。いや、私も西海岸の大都市で住むならサンフランシスコ、シアトル、サンディエゴ、ロスアンジェルス、ポートランドの順で、ポートランドは最下位である。だけど、オクラホマ・シティより下とはちょっと違うのじゃないか、と思ったからだ。ただ、私自身、オクラホマ・シティに行ったことがないので強く反論することはできない。

さて、このポートランドだが、実は日本人は結構、好きである。世田谷区の保坂区長とかもポートランド大好きで本とかにも紹介している。他にも好きな人が多くて、ポートランド本も結構、出ている。しかし、私はそんなに嫌いとは思わないが、前述したように他の都市に比べていいとは全然、思わない。実は政策的には大都市圏行政がしっかりとできているのは全米ではミネアポリス大都市圏とポートランド大都市圏しかなく、そういう点からは興味深いのだが、都市としての魅力は大してない。まあ、NBAのゴールデン・ステート・ウォリアーズでいえば、カリー、トンプソン、グリーン、最近台頭しているカミンガのレベルでなく、せいぜいウィギンスぐらいの立ち位置の都市である。というように全然、過大評価してない私であったが、まさかNBA選手が行きたくない都市の筆頭に挙げられると驚きであった。まあ、確かにトップの州立大学はユージーンにあるし、絵はがきにするようなランドマークもないし、四大スポーツもバスケしかないし、お土産になるようなものもないし(1993年に訪れた時、お土産屋に行ったらナメクジの缶詰がギャグで売っていた)、地味な都市といえば、本当、地味だよな。ということを改めてアメリカ視線で知った。

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ブランデンブルク市の公衆トイレに入ろうとして驚く! [ドイツ便り]

ベルリンから小一時間ほど西に鉄道で行ったところにあるブランデンブルク市を訪れる。さて、街中に出る前に用を足そうと思い、駅前の公衆便所に入ろうとする。料金は50セントである。50セントを入れて、ドアを開けたら、なんと女性が便器に座ったまま用を足していた。30代前後ぐらいの女性だ。流石に驚いて、「ごめんなさい」と慌てて英語で言ってドアを閉めた。これは、どういうことだろう。と考えて、おそらく、この彼女は内鍵をし忘れたのか、ドアが壊れていたかのどちらかであろう。ただ、公衆便所は空いている、とドアに緑色のサインが点いていたのと、比較的新しくつくられた感じのトイレだったので、なんとなく前者のような気がする。

こういうことは日本だとほとんどないような気がする。と書いて、そもそも日本はトイレが男女別だからか、ということに気づく。しかし、そうであればこそ、内鍵はしてもらいたいし、もし鍵が壊れているのであれば違うトイレに行って、壊れたトイレは使わないべきだと思う。私だったら使わないと思う。ちなみに、女性が用を足している光景は、家族を含めてもほとんど見たこともないが、見てもまったく得したような気分にはならない。というか、見ない方がいいものだと思った。ちょっとあんなものを見させられて不愉快ですらある。

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『ベルリンを知るための52章』 [書評]

私は明石書店の「○○を知るための○章」のエリア・スタディ・シリーズが結構、これまでも、好きでいろいろと読んでいる。さて、しかし、このベルリン本は、私が読んだ中で最も質が低く、しっかりと編集できていなくて、本当に明石書店が出版社かと確認したぐらいである。何か編集部に組織的問題があったのではないか、というほど酷い。

この本は浜本隆志という定年を迎えた大学教員と希代真理子というベルリン在住のフリーランスが書いているのだが、このコンビネーションがよくない。ジャズ・ギタリストとヘビー・メタルのベーシストでバンドを組ませたような感じである。浜本先生はドイツの歴史にはさすが詳しく、ワイマール共和国あたりのエッセイはなかなか勉強になるが、ベルリンとの関連性は薄い。一方の希代氏は、ベルリンの生活者からの視点でいろいろと彼女の感想文のようなものを書いているが、女優のエッセイというレベルで、著者に興味がなければ読むに値しない。これのどこがエリア・スタディなのだろうか。私もベルリンに住んでいるが、私のブログの方がまだまともなことを書いているのではないだろうか。これは著者の責任というより、この人に書かせた明石書店の問題じゃないだろうか。

あと、「増加」を「増化」とするなどの誤植があり、これは流石に編集レベルで気がつかないのは不味いだろう。私は、これまでこのエリア・スタディ・シリーズは無条件に信頼していたが、その信頼を大いに落とした本である。あと、ベルリンの内容にも異議を多く持つ。悪いけど、そんなに環境都市じゃあない。少なくとも、京都に比べてもごみの分別とかごみの処理はしていないし、街並みはごみに溢れていて汚い(といってもオランダよりはましだけど)。そして、生活排水の処理ができてないんだよねえ。ここは、本当、日本で生活していたものとしては心配になる。ドイツに長く住んでいる日本人にこの点を相談したら、「日本と違って生活排水はそのまま流すんです。ダメですよねえ」と言っていたから、希代さんも知っている筈だ。ということで、ベルリンに対して理解を促すというか、誤解を促すような本であるとも思う。まあ、読まない方がいい、というか他の本を読んだ方がベルリンを理解するうえではいいだろう。

例えば、平田達治氏の『ベルリン・歴史の旅』を読んだ方が10倍以上、というか『ベルリンを知るための52章』の読む価値はゼロに近いので、100倍以上はためになると思われる。まずは、こちらを手にすることを強く勧める。


ベルリン・歴史の旅-都市空間に刻まれた変容の歴史 (阪大リーブル025) (阪大リーブル 25)

ベルリン・歴史の旅-都市空間に刻まれた変容の歴史 (阪大リーブル025) (阪大リーブル 25)

  • 作者: 平田達治
  • 出版社/メーカー: 大阪大学出版会
  • 発売日: 2010/10/15
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



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『インディアナ・ジョーンズ/魔宮の伝説』 [映画批評]

インディアナ・ジョーンズの1984年に公開された二作目。これは、私は観るのは初めてかと思う。私はインディアナ・ジョーンズの評価が低いのだが、それらをしっかりと全て観ていないのに言うのは不味いだろう、というだけで観た。さて、これは一作目や最新作に比べても質は低い。全体的な印象としては、インディアナ・ジョーンズは『少年ジャンプ』の漫画のレベルだな、ということである。そして、『少年ジャンプ』に連載されていたら、人気作品ではなく、そこそこの人気があるぐらいの漫画になっていたのではないか、と思うぐらいのレベルである。ドラゴン・ボール、スラム・ダンク、ブラックジャック(ジャンプ連載ではないが)といったレベルには到底、及ばない。まあ、基本、『少年ジャンプ』の読者層を視聴者として設定したような映画なのかもしれないので、そのストーリーの稚拙さにとやかくケチをつけるのも野暮ではあるのだが、私のように『少年ジャンプ』やウルトラマン・シリーズなどを観て育った人間にとっては、インディアナ・ジョーンズのリアリティの無さは本当に鼻がつく。ちなみに、これは私が年を取ったからではなく、この年になっても上記の漫画群はしっかりと物語世界に没頭して読むことができる。これはスター・ウォーズにも言えることだが、改めて日本の漫画コンテンツのレベルはとてつもなく高いな、と思わざるをえない。ということを、この映画をみてつくづく思った。




インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説 [Blu-ray]

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  • 出版社/メーカー: パラマウント
  • 発売日: 2016/07/22
  • メディア: Blu-ray



インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説 [DVD]

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  • 出版社/メーカー: パラマウント
  • 発売日: 2016/07/22
  • メディア: DVD Audio



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『オッペンハイマー』 [映画批評]

先日のオスカーを総ナメ(作品賞とその他6つの賞)した『オッペンハイマー』を観る。なかなか興味深く、面白い映画であった。三時間という、昨今の映画では相当、長いが飽きることもなく最後まで観ることができた。オッペンハイマーの実像に、どれほど忠実に描かれているかが、こちらの方面に詳しくない私にははっきりと分かっていないのだが、映画が描いたようなキャラクターであったとしたら、この映画はなかなか視聴者に誠実なのではないだろうか。というか、映画で描かれたキャラが実態と違っていたら、逆にとんでもない話かなと思ったりもするが。興味深かった点は3点。

一つ目は、原爆を落とさないと日本は降伏しない、という主張である。これは、日本人以外はそうかな、と疑問を持つかもしれないが、日本人の私は、確かに原爆が落ちなかったら、日本人は降伏しないだろうな、と納得したりした。日本人というか、日本社会の大きな特徴は方向を変えられず、惰性で同じ道を歩み続けることがあるかと思う。これまで取ってきた同じ轍を歩み続ける。したがって、変化する時はいつも革命的なドラスティックな変化を伴う。上手く、徐々にソフトランディングができないのだ。だから、人類史的にも驚くような悲惨な事故が起きても相変わらず原発への依存傾向から脱することができないし、中央集権が地方を衰退させていることがこれだけ明らかになっていても、その体制を変えることができないし、人口減少下で社会において女性の力がこれだけ求められている国であるにも関わらず、ジェンダーギャップは世界でも最低ランクにずっと留まっているのに変更することができないし、年金問題も国債の借金問題も崩壊するまで引き延ばして解決しようともしない。

二つ目はストラウスのオッペンハイマーへの嫉妬。これも、多くの人は、そんなことに嫉妬するかいな、そこまで人間小さい奴は少ないだろう、と疑問を持つと思われるが、研究者はおそろしく嫉妬深い人種である。私は大学の教員をしているので、これは身をもって理解している。傍からみたら、大したことねえだろう、と思われることに凄いプライドを持っていたりして、プライドを傷つけられるとすごく恨んだりする。いや、私は東京大学とか京都大学とかの教員をしている訳じゃあないですからね。三流私立大学の教員である。そういう、三流大学だから研究業績も三流である。しかし、そのプライドだけは一流レベルの人が多く、本当に厄介だ。だから、ストラウスみたいな学者がいても、ああ、そういう奴いるいる、と思えるのだ。というか、本当、映画のような感じだったのだろう。非建設的の極致である。この点に関しては、前任校の学部の方が遥かにプライドが高くて酷かったが、今の学部でもいない訳ではないので気をつけなくては、と思っている。

三つ目はハリー・トゥルーマンがいかに糞か、ということ。おそらくこの映画で描かれていたような大統領だったのだろうが、アメリカの大統領がアホだと人類は大変な危険に晒されるということに改めて気づかされた。そして、トランプというもうトゥルーマン以上のアホが大統領になる可能性がまだあることを考えるとゾッとする。トランプに投票をすることを考えている人はこの映画を観るといいと思う。ただし、この映画を観ても、そこまで考えが及ぶかは疑わしいが。そもそも、それぐらいの論理的な思考ができる人はトランプに票を入れないからだ。
ということで、なかなか骨のあるいい映画であった。史実も知りたいな、と思うが、そこらへんを調べるような時間がなかなかないかもしれない。定年迎えて、時間があれば調べてみたいところである。
最後に関係ないがエピソードを一つ。オッペンハイマーの弟のフランク(フランクも名字はオッペンハイマーであるが)が、兄について次のようにドキュメンタリー映画『The Day After Trinity』で述べている。なかなか人類の将来を絶望させる言葉なので紹介したい。
「ロバートは現実世界では使うことのできない兵器を見せて、戦争を無意味にしようと考えていた。しかし、人びとは新兵器の破壊力を目の当たりにしても、それまでの兵器と同じように扱ったと絶望していた」。人類は一部の天才的な賢い人達によって、その道が開かれたが、その道を閉じるのは、想像力に欠けている愚者によるであろう。

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映画『カポーティ』 [映画批評]

2005年に公開されたハリウッド映画。売れっ子作家のトルーマン・カポーティがノンフィクション小説『冷血』を書くまでのプロセスを描いた。殺人犯との会話のやり取りはスリリングな心理戦のような側面もあり、いろいろと考えさせる。ハリウッド映画らしからぬ奥行きのある映画だ。映画自体も面白いが、この映画の凄さは、カポーティ演じるフィリップ・シーモア・ホフマンの怪優ぶりである。ジャック・ニコルソンよりも凄いのではないだろうか。アカデミー主演男優賞とゴールデングローブ主演男優賞を取ったのも納得の怪演である。


カポーティ [DVD]

カポーティ [DVD]

  • 出版社/メーカー: 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
  • 発売日: 2014/02/05
  • メディア: DVD



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エドワード・ホール『The Hidden Dimension(隠れた次元)』 [書評]

エドワード・ホールの『The Hidden Dimension』を読む。古典であり、私のような立場だと読んでおかなくてはいけない本だったのだが、ずっと積ん読してしまっていた。そして、読み終わって、やはり古典は読む価値があるな、ということを改めて認識すると同時に、これまでの自分の怠惰を反省する。

1964年に出された本であるので、いろいろと事例に関しては古いところがある。また、今だったらまずあり得ないNegroという言葉がたくさん出てきたり、日本の描写も多いのだが、1950年代の日本と現在とでは随分と違うので、そういう違和感は感じなくもない。加えて、基本、都市における人口成長が問題となっていた時代に書かれているので、「crowding」(混雑)が問題となっている。都心の衰退が問題であることを指摘しているが、コンパクト・シティが政策となっている現在の日本からすると、まさに隔世の感がする。

まあ、そういった気になる点がない訳ではないが、人が空間をどう認識するか、ということに関しては現在にもまさに通じる点であり、それに対しての人類学、生物学、心理学、社会学などに及ぶ膨大なる研究成果から考察する著者の頭脳の明晰ぶりは、唸らされるものがある。本当、もっと早く読んでおけよな、と自分を叱るような本であった。


The Hidden Dimension (Anchor Books a Doubleday Anchor Book)

The Hidden Dimension (Anchor Books a Doubleday Anchor Book)

  • 作者: Hall, Edward T.
  • 出版社/メーカー: Anchor
  • 発売日: 1990/09/01
  • メディア: ペーパーバック



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ピーター・ガブリエル『US』 [ロック音楽]

ピーター・ガブリエルが1992年に発表したソロとしては6枚目のアルバム。個人的には『SO』に優るとも劣らない大傑作アルバムである。ベースはトニー・レヴィン、ギターはデヴィッド・ローズといういつもの面々。うねうねとしたリズム、高揚感を抑えるようにして、徐々にドラマティックに盛り上げていく、歌の物語が見えてくるかのような楽曲群。もともと表現力に優れたボーカリストであったが、その頂点に達したかのようにいい。ちょうど離婚を経た時期であり、反抗する娘への戸惑い、といったミッド・ライフ・クライシス的な曲が等身大でとても心に染みる。ここらへんの曲の良さは10代のガキには分からないだろうなあ。捨て曲がないのは『SO』と同じである。


US

US

  • アーティスト: GABRIEL, PETER
  • 出版社/メーカー: CAROL
  • 発売日: 2014/12/29
  • メディア: CD




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トランプは移民を批判しているが、彼の支援者は移民だらけだ [トランプのアメリカ]

トランプ元大統領は最近、移民への批判を「バイデン・マイグラント・クライム」(バイデン移民犯罪)とラベリングし、反バイデンキャンペーンを展開している。移民が犯す犯罪は、割合的には全国平均よりも低いが、移民=犯罪者、というイメージを喚起することで、移民の入国を厳格にする政策を打ち出すのは自分しかいない、というキャンペーンを張っているのだ。実際は、共和党が提案した移民の入国を厳しくする法案を下院で通そうとしたら、トランプが、その問題が解消すると自分がキャンペーンするネタがなくなるので、共和党に圧力をかけて共和党自らが潰すというようなマッチポンプのようなことをしている。

さて、ここで書きたいのはそういうことではなく、トランプは移民を批判するが、彼の周りは移民だらけである、ということだ。トランプ自身が二世の母親と三世の父親との子どもである。三世の父親はともかくとして、母親は成人になるぐらいまでスコットランドで育っていたれっきとした移民である。母親の側からみれば、トランプは移民二世なのだ。そして、トランプは三人の女性と結婚しているが、そのうちの二人が移民である。しかも、エラいきつい訛りのある英語をしゃべるような移民である。チェコとスロバニアと両方とも東欧で、元社会主義国である。

さらに現在、トランプの弁護士をしているアリナ・ハバはなんとイラク移民の二世である。アメリカ人が抵抗のある移民としては、イランやイラクはトップ・レベルだと思うのだが、そのイラク移民の子どもがトランプの弁護士をしていて、移民犯罪とか言うクライアントを守っている。おかしくないか?

また、トランプ政権のブレインと言われるスティーフン・ミラーはユダヤ系で20世紀初頭にロシアで起きたユダヤ人弾圧から逃れるためにアメリカに移民としてやってきた。そのような祖先を持つミラーが、自分達の祖先にロシアがやってきたことをやろうとしている。

このようにトランプそしてトランプ政権の「移民排斥」は、自分達のアイデンティティ否定のようなところがあり、矛盾だらけだ。まあ、詐欺師は矛盾だらけなのだが、それでもちょっと分かり過ぎである。この矛盾を平気で受け入れて、その嘘を支持し、冤罪で移民を攻撃する(アメリカは本当に物理的に攻撃したりする)。その攻撃の対象に、トランプの奥さんが含まれているということに、メラニアも気づかないのだろうか。

最近、フロリダ州の政治家がLBQTを排除する法案を通そうとしていて、実は自分もレズビアンというか両刀だったことが分かって問題になったが、なんで自分のアイデンティティを否定するような政策とかを通そうとできるのだろうか。いやはや、日本もとんでもないな、と思うけど、現在の日本はまだ現在のアメリカ合衆国よりはましかなと思ったりもする。
 

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スティーブ・ハケット『Voyage of the Acolyte』 [ロック音楽]

1975年に発表されたハケットのソロ第一作。ピーター・ガブリエルが離脱した後のジェネシスの最初のアルバムである『トリック・オブ・ザ・テイル』の前に発表されている。凄まじいほどのクオリティであり、ハケットのソロでも個人的には最高傑作である。何しろトップを飾るインストのAce of Wandsが素晴らしい。そのドラマティックな展開、12弦のギター、情感溢れるギター・ソロ、ハケットの代表曲Everydayにも勝るとも劣らない名曲である。そして、ハケットのソロではあるが当時のジェネシス的な音空間を見事に表現している。フィル・コリンズが歌っているStar of Siriusなどは、『Wind and Wuthering (静寂の嵐)』に入っていたとしても極めてしっくりするようなジェネシス的な楽曲である。ドラムはおそらく全てフィル・コリンズが叩いている。ちなみにマイケル・ラザーフォードも参加していて、アルバム最後を飾るShadow of the Hierophantでは作曲者としてハケットとともにクレジットされている。ラザーフォードもStar of Sirius以外のベースはすべて弾いていると推察される。どうりで、ジェネシスっぽい訳だ。

ここのアルバムで入っている曲のいくつかは、『眩惑のブロードウェイ』の過酷なツアーの合間につくられたものだそうだ。ホテルの部屋で正気を維持するためにつくったそうだが、ハケットにとって、曲をつくる機会をツアーとかで奪われるのは、相当のストレスだったようだ。録音はこのツアーが終わって一ヶ月も経ったか経たなかった時だそうだ。

アルバム・カバーの絵が非常に不気味な印象を与えるが、これは、ブラジル人のキム・プアの作品で、その後、彼女はハケットの奥さんになる。そして、数枚、彼女の手による不気味な絵のカバーのアルバムが出される。ハケットはちなみに彼女と2007年に離婚するが、その後、彼女はハケットの印税は彼女にも入るべきだと主張した。ジェネシス時代のものも含めてだ!いやいや、それってちょっと違うでしょ。しかも、彼女はハケットが新しいアルバムを彼女の許可無くつくれないようにするよう裁判所に訴えた。いやはや、フィル・コリンズといいハケットといい、ろくな奥さんをもらわない。

ちょっと話が外れたが、ジェネシスの延長線上にあるような素晴らしいアルバムでジェネシス・ファンは必聴である。私はAbacab以降のジェネシスのアルバムより、このアルバムの方が好きである。

イギリスでは4週間トップ100入りし、最高で26位まで上っている。


Voyage of the Acolyte

Voyage of the Acolyte

  • アーティスト: Hackett, Steve
  • 出版社/メーカー: Astralwerks
  • 発売日: 2005/08/01
  • メディア: CD



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山川出版社の『ポーランド・ウクライナ・バルト史』 [書評]

山川出版の世界各国史シリーズのポーランド・ウクライナ・ベラルーシ・リトアニア・ラトヴィア・エストニア版。おもにポーランド、そしてウクライナのことにページが割かれている。東欧のドイツとロシアという強国に挟まれ、周辺諸国に翻弄された地域の歴史は、私が勉強不足ということもあったが興味深い。国とは何なのか?ということを深く考えさせる。ロシアがウクライナはロシアだ!と主張して侵略戦争を行っているが、この本を読むと、全然、ロシアじゃないな、ということがよく理解できる。そして、国においての言語の重要さを改めて認識する。あと、私は、ポーランドは結構、悲劇の国というか、被害者的に見ていたのだが、結構、ポーランドも随分と周辺を侵略したり、第二次世界大戦後もユダヤ人の虐殺事件を起こしたりしていて、加害者的な側面もあるのだな、ということも知る。いやいや、しかし、東欧、本当、侵略と略奪の歴史だ。日本はなるほど、これと比べると牧歌的である。戦争っていってもほとんど内戦が中心だったし。あと、こうやって歴史をみると、ドイツも相当、荒っぽいが、それに比べてロシアは改めて血塗られた歴史の国である。悪魔のようだ。そして、その悪魔の所業を21世紀になっても繰り返している。鈴木宗男とか森喜朗とか佐藤優とか、プーチンのポチのような日本人が結構いるが、こんな国に尻尾を振るという破廉恥行為には改めて驚いてしまう。ロシアの東欧にしてきた所業をすれば、日本だっていつ同じように侵略されるか分からない。その時、こういうプーチンのポチは手引きをするのだろうか。本当、日露戦争で奇跡的にでも勝ってよかったな、ということをこの本を読んで思い知る。
 あと、内容とは関係ないが、数人の著者によって書かれているのだが、著者によってその文章の分かりやすさに大きな差がある。ここらへんが改善されると有り難い。


ポ-ランド・ウクライナ・バルト史 (世界各国史 新版 20)

ポ-ランド・ウクライナ・バルト史 (世界各国史 新版 20)

  • 出版社/メーカー: 山川出版社
  • 発売日: 1998/12/15
  • メディア: 単行本



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桐島聡について、ちょっと考える [その他]

連続企業爆破事件で指名手配中であった桐島聡が入院先の病院で正体を明かした後、亡くなった。なぜ、桐島聡は、逃げおおせたのか。朝日新聞のデジタル版に、公安部への取材を元にした記事が掲載された。
https://digital.asahi.com/articles/ASS2V41Q8S27UTIL02C.html?pn=11&unlock=1#continuehere
 
桐島聡が最後に自分の正体を明かしたことで、公安部幹部の1人は「そのまま静かに死んでしまえばよかったのを、最後に名乗ったのは自己顕示欲だ。言いたいことがあるなら逃げ隠れせずに主張すればよかった」と言った。この発言には、強い違和感を覚えた。まず。最後に名乗ったのは、自己顕示欲ではなくて、それまでずっと嘘をつき通してきたことに対して後悔のようなものがあったからだろう。確かに多くの被害者を出した事件の犯人であるから、名乗れば捕まってしまう。捕まることには抵抗があったが、もう死ぬということが明らかになった時、嘘をつく必要もなくなったので名乗り出たのであろう。嘘をつき通さなくてはいけない人生を送ったことへの悔悟がなければ名乗り出ないと思われる。自己顕示欲で名乗るというケースもあるかもしれないが、それは、被害者や社会にざまあみろ、と言いたいような場合である。地味な社会生活をずっと送っていた桐島聡は、そのような気持ちはなかったと思われるのだ。むしろ、そのような過去を持たず市井の人として平凡な幸せを送りたかったと悔やんでいたような気がする。じゃなきゃ、バーに行って音楽とかを楽しんだりしないであろう。

そして「言いたいことがあるなら逃げ隠れせずに主張すればよかった」というのも、外した発言であると思う。まず、主張したいようなことは一分もないと思う。言いたいことがあるとしたら、謝罪であろう。とはいえ、これは単独犯ではなく組織での犯行である。自分がリーダーという訳ではない。何か言っても被害家族はもちろん、社会にも言いたいことは通じないであろう。もちろん、公安部幹部に伝わることがないのは、このような意見を公安部幹部が言っていることからも明らかである。謝罪をして一生、牢屋で過ごすよりかは、自分の些細な幸せを守りたかった。それは卑怯な行動かもしれないが、なかなか彼が自白するのは難しいような気がする。まあ、このように考えるのは私が卑怯なところがあるからかもしれないな、と思ったりもするが、正月の日航機との事故を起こした海上自衛隊のパイロットだって、本当のことを言えてないと思うので、こういうことはなかなか難しいことのような気がするのだ。

このようなことを書くと被害者や被害家族のことをまったく考えていない卑劣感のように思う読者もいるかもしれないが、私の父親は桐島聡が爆弾を仕掛けた三菱重工のサラリーマンであった。ということで、爆破事件が起きた時、私は小学生だったが非常に記憶に残っている。父親はその時、本社勤務ではなかったが、本社勤務であったら自分は父無し子になってしまったかもしれない、と犯人を憎く思ったことを記憶している。そのように、多少は自分とも関係があった事件であるのだが、それでも公安部幹部の意見はまったく、人の心理を分かってない発言だと思う。

このように桐島聡を多少、性善説的にみてしまうのは、彼が私の前任校の明治学院大学の学生だったこともあるかとも思う。彼からは、いかにも明治学院大学出身といった印象を受けるのだ。音楽が好きで、平気で夜中にギターを持って歌ってしまうことや、地元のバーで盛り上がって周りからも好かれたりするところなど、明治学院大学の出身者っぽい。そして、変な社会正義とかに感化されて、大した問題意識もなく社会から逸脱したようなことをしてしまう。私もゼミ生が飲み会の後で、目黒駅の周辺で暴れて捕まって、留置所に入れられたことがある。他のゼミ生から連絡を受けて親とかに私から連絡したことがある。そういえば、彼も歌が好きで、ギター持って歌っていたな。なんか、桐島聡の新聞記事などを読んでいたら、何人か、明治学院大学の学生を思い出してちょっと懐かしい気分になったことも、彼を心底、憎めない理由かもしれない。

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TOTOのファースト・アルバムを聴き直して、そのAOR感にびっくり [ロック音楽]

TOTOのファースト・アルバムを改めて購入して聴き直す。TOTOがデビューしたのは私が高校一年生の時である。クラスの山内君が凄いバンドがデビューしたと騒いでいたのを覚えている。二枚目を出して、初来日のコンサートも新宿厚生年金で見ている。それほどのファンではなかったが、なんか周りも盛り上がっていたので聴いていた気がする。HYDRAとかは嫌いではなかった。ただ、同時期にデビューしたDire Straitsの方が恰好いいなとは思っていた。

その後、TOTOからは関心をなくしていたのだが、ギターの練習にルカサーのギターはとても優れている。しっかりとした基礎力を土台として、優等生的な計算されたギターを弾くからだ。そういうこともあって、TOTOのCDをおそらく人生で初めて購入したのである(高校時代にはレコードは買っていた)。そして、改めて何で自分がTOTOに嵌まらなかったかがよく分かった。メチャクチャAORなのだ。もう、バニラ・アイスにキャラメルをかけて、さらにチョコレート・チップをまぶしたかのように甘い。ボビー・コールドウェルかと思うぐらいだ。こんなに甘い感じじゃ、そりゃ引く。私は別に尖った若者でもなかったが、いちおうロック・ミュージシャンの端くれみたいな気分だったので、これはやはり受け付けられない。同様に高校時代はまだ聴けたりしたが、その後、バンドをやって聴かなくなったバンドとしてはStyxがあるが、ちょっと似たような感じだ。

大学のバンド・サークルで、TOTOバンドをコピーしていた後輩がいて、たまに酒を吞んだりするのだが、その時「TOTOをけなしていたけど、先輩の好きなSteely Danと同じようなものじゃないですか」と言われて、おお、それは一理あるかもなと納得していたのだが、いやいやTOTO(少なくともデビュー・アルバムは)とSteely Danだと違うわ。JosieやPegのような複雑なコードがつくりだす音の奥行きのようなお洒落感は、少なくとも1枚目からは感じられない。などと言ってRosanna好きなので、4枚目は買うかもしれないですが・・・ギターの練習のために。


宇宙の騎士(期間生産限定盤)

宇宙の騎士(期間生産限定盤)

  • アーティスト: TOTO
  • 出版社/メーカー: SMJ
  • 発売日: 2016/08/17
  • メディア: CD




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コミュニケーション・メデイアとしての建築 ー 「Architecture as Signs and Systems」を読んで [都市デザイン]

デニス・スコット・ブラウンのエッセイを読む(Architecture as Signs and Systems)。ロバート・ヴェンチューリのパートナーの建築家である。看板としての建築、コミュニケーション手段としての建築の意義を主張してきて、実際、そのような建築をいくつか手がけている。日本だと日光の霧降リゾートなどの設計に携わっている。ヴェンチューリもスコット・ブラウンも書いていることは興味深いのであるのだが、実際、つくる建築はとても今ひとつであると感じる。

景観規制をするうえで対象となるのは広告看板である。それは、その視覚的情報が鬱陶しいからである。私は渋谷とか新宿とかで走っている広告トラックを非常に苦々しい思いで見ているものであるが、それも視覚的情報(さらに聴覚的にも騒音をまき散らしている)が非常に不快であるからだ。特に風俗系の広告だったりすると、本当、不愉快になる。都市空間はコミュニケーションを促すメディアであるというのは指摘通りだと思うが、コミュニケーションは双方向であるから建設的なのだ。単一方向に一方的に受動を余儀なくされる情報はコミュニケーションではない。それを受け入れる人もいるかもしれないが、受け入れない人もいる。特に、ヴェンチューリやスコット・ブラウンの作品では安易にビルの機能を言葉で書いていたりする場合もあるが、それをした時点で建築の負けだと思ったりするのである。

見た目で何かが分かりにくい建築は問題かもしれないが、その判断をする余地をなくすようにするのは品がないと思う。金閣寺の屋根に「金閣寺」と書いたら品がないだろう。エッフェル塔に「Eiffel Tower」とネオンで書かないであろう。ラブホテルも「○○ラブホテル」と字で書いた時点で下品だろう。いや、もちろんヴェンチューリ達の建築作品もいちいち字を記さないものの方が多いが、何か浅薄なものを感じるのである。頭でっかち過ぎるのではないのだろうか。もっと感性とかで空間を捉えた方がいいのではないか、と思ったりした。建築にはコミュニケーション・メディアとしての機能より重要な役割があると思う。看板性ばかりを考えるから、いい空間をつくれていないのではないか、と思ったりもする。



Architecture as Signs and Systems: For a Mannerist Time (The William E. Massey Sr. Lectures in American Studies)

Architecture as Signs and Systems: For a Mannerist Time (The William E. Massey Sr. Lectures in American Studies)

  • 出版社/メーカー: Belknap Press: An Imprint of Harvard University Press
  • 発売日: 2004/12/17
  • メディア: ハードカバー



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デイビッド・ボウイ『The Next Day』 [ロック音楽]

故デイビッド・ボウイが66歳時に発表した27枚目のアルバム。2013年のアルバムで、前作より10年というインターバルを経て発表された。凄まじいクオリティで、次作の「ブラック・スター」とも通じる新しいボウイ・ミュージックともいうべき、それまでのボウイの曲群とも違う、オリジナリティ溢れる楽曲には驚くしかない。「The Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders from Mars」、「Station to Station」、「Heroes」、「Scary Monsters」、「Let’s Dance」、「Black Star」などの時代を画した傑作群などに次ぐ極めて高いレベルのアルバムであるかと思う。還暦後に発表した2枚のアルバムで、晩節を汚すどころか、その天才性を見事に示し、ロック史に偉大なる軌跡を残すことになった。本当に凄いロック・ミュージシャンであり、素晴らしい生き様を我々に伝えてくれた。


ザ・ネクスト・デイ デラックス・エディション(完全生産限定盤)

ザ・ネクスト・デイ デラックス・エディション(完全生産限定盤)

  • アーティスト: デヴィッド・ボウイ
  • 出版社/メーカー: SMJ
  • 発売日: 2013/03/13
  • メディア: CD



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岩崎芳太郎『地方を殺すのは誰か』 [書評]

鹿児島を中心として事業を行っている岩崎産業代表取締役社長による著書。中央集権型の統治構造、官僚的なアプローチがいかに地方を蝕んでいるか。その問題を自らが経営上、直面してきた理不尽さを事例とし、読者に訴えかける。当事者として、それらの不合理を経験しているので、その主張には説得力がある。2008年に書かれたものだが、地方の現状はさらに悪化しているだろう。まさに青息吐息の状況である。中央集権を一刻も早く是正し、地方主体の連邦制度のような政治システムを構築すべきであるとは、私もずっと考えていることであるが、その考えをさらに確信させてくれるような本である。この著者のような人達がまだ地方で踏ん張っている間に、中央集権の官僚的な社会構造を改革させないと、本当、手遅れになる。そして、手遅れになった時の日本という国家は、相当、悲惨な状況にあるのでは。いや、既にもう相当、悲惨な状況になっているのかもしれない。


地方を殺すのは誰か

地方を殺すのは誰か

  • 作者: 岩崎 芳太郎
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2009/01/27
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



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『Soまでのピーター・ガブリエル』 [ロック音楽]

シンコー・ミュージックから出版された『Soまでのピーター・ガブリエル』を読む。ジェネシスとしてデビューしてから、ソロとしては5枚目(ライブを除く)のアルバムである「So」までのピーター・ガブリエルの歩みを整理した本である。「So」が発表されたのは1986年であるから、内容的には38年前に発表されてもいいような内容である。それが2024年に発表されるというのは、38年前に出されても手に取ることができなかったような、若い世代を対象とするような本なのかもしれない。ちょうど21年ぶりに新譜が発表されたので、これによってピーター・ガブリエルを知った若い人への情報提供という意味合いもあるのかもしれない。『ピーター・ガブリエル』の自伝を読んでいる私が、この本から新たに得られた情報は少ないが、カラーでの写真が多いのは嬉しい。あと、ピーター・ガブリエルを巡るミュージシャン・リストのような情報が嬉しかった。まあ、ピーター・ガブリエルのファンであれば一冊、手元に置いておきたい本であることは間違いないし、2024年に新刊としてこういう本が出るのも嬉しい。


Soまでのピーター・ガブリエル

Soまでのピーター・ガブリエル

  • 出版社/メーカー: シンコーミュージック・エンタテイメント
  • 発売日: 2024/02/24
  • メディア: 単行本



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『環境保全と景観創造』 [書評]

本書は景観計画の泰斗である西村幸夫氏が1980年代後半から1990年代半ばまでに発表した歴史的環境保全および景観創造に関する論文を中心に一冊にとりまとめたものである。アメリカ、イギリスといった英語圏での景観政策を中心に、また日本での著者の景観づくりの試みなどが記されている。日本の景観政策は、その後、景観法が成立したりして、政策的状況は大きく変わったが、環境保全と景観創造をする意義は著者が指摘した時から変わっていない。25年以上前に出された本であるが、今でも学ぶべきところが多いことが書かれている。


環境保全と景観創造: これからの都市風景へ向けて

環境保全と景観創造: これからの都市風景へ向けて

  • 作者: 西村 幸夫
  • 出版社/メーカー: 鹿島出版会
  • 発売日: 1997/09/01
  • メディア: 単行本



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アメリカ合衆国の1790年の人口 [グローバルな問題]

アメリカ合衆国が1776年の独立後の1790年に最初の国勢調査を実施した、13州が対象である。当時の人口は393万人。その97%が人口8千人以下の村に住んでいた。そして、当時の大都市は順番に、1位:フィラデルフィア(42000人)、2位:ニューヨーク(33000人)、3位:ボストン(18000人)、4位:チャールストン(16000人)、5位:ボルティモア(13000人)であった。この5都市だけが1万人以上の人口を擁していた。
 驚きなのは4位のチャールストンである。チャールストンは南北戦争の火蓋が切って落とされた都市であり、南部の拠点的都市であったが、戦後、投資がまったくさせられず干されたという経緯がある。そのおかげで立派な建物が今でも残っているのだが、それにしても18世紀終わりには、全米で4番目の都市であったというのは驚きだ。ということで、備忘録的にこのブログにも上げさせてもらう。

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中沢新一『アースダイバー・東京の聖地』 [書評]

私は、中沢新一の思索が好きである。その中でも「アースダイバー」はとても刺激的で興味深く思っている。今回は、東京の聖地、という内容だが、昨今、都市開発的に話題となった築地市場と明治神宮の二つしか取り上げていない。そして、築地市場の方が明治神宮の二倍のページを割いている。

築地市場に関しては「仲買人」が作り出す価値をしっかりと認識しろ!という主張である。そして、その主張は極めて高い説得力を有している。私も、前からそう思っていたというところもあるが、中沢新一はその主張を膨大なる知識と情報から裏付ける。その迫力は凄まじい。

もう一方の明治神宮は内苑に関してはとても興味深く、なるほどと読ませてもらったが、外苑の方はそれほどしっくりとはこなかった。ただ、この本では建築家の伊東豊雄氏との対談があるのだが、伊東氏の建築家としての思考レベルの高さには圧倒された。彼の優れた思考を中沢氏はしっかりと対談で引き出すことに成功していると思う。

明治神宮の項を読み、改めて二回目の東京オリンピック開催は天下の愚策であったことを知る。そもそも、東京オリンピックを開催しようなどと考えるべきではなかったし、もし開催したのであれば都市開発が必要な地域、私は、それは国道16号線沿い(もしくは外郭環状道路沿い)だと思うのだが、そこに競技施設を立地すべきであったろう。リオデジャネイロはまさにそのように問題のある郊外部に競技施設を分散配置したが、そのリオデジャネイロよりも大都市である東京が「コンパクト」などというまったく訳の分からないコンセプトを打ち出し、その結果、貴重な外苑に競技場をつくるなどということになり、結果、迷走した。もちろん、その背景にはオリンピックのお金で国際競技場を作り直したい、といった思惑などもあったのだろうが、そういう細かい金銭的なことに振り回されてオリンピックをしてしまった結果、次代に残すようなものをまったくつくることができなかった。コロナということもあったが、バルセロナ以降、まったく都市を改変できなかったオリンピックは市民主体のアトランタと国家財政を破綻させるきっかけとなったアテネ以外では東京しかなかったことを我々は猛省すべきである。

そして、改めて明治神宮外苑の再開発はとんでもないことをしているな、ということを再確認する。そもそも、ここを再開発しようと東京都が考えるということ自体がおかしすぎる。都市においては、聖なる地が必要である。それは、金銭的な価値はもたらさないかもしれないが、人は金銭的な価値で生きている訳ではない。人間という生命体は金銭的なもの以外も多くを必要とし、日本人は見事な知恵で「自然の内蔵する地球的な知性」を都市の中に維持させることに成功した。その知性を破壊するような行為を民間ではなく、東京都という公共体が実施しようとするのは、これは亡国の愚策である。そういうことは前から思っていたが、本書はそういう考えを見事、テキスト化してくれている。



アースダイバー 東京の聖地

アースダイバー 東京の聖地

  • 作者: 中沢 新一
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2017/12/27
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



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1975年のランキングでベスト・ロック・ドラマーに選ばれたのはカレン・カーペンターであった [ロック音楽]

1975年のプレイボーイ・マガジンがベスト・ロック・ドラマーのランキングをした。これは読者のアンケート調査によるようだが、次のような順位であった。

一位:カレン・カーペンター
二位:ジョン・ボーナム(レッド・ツェッペリン)
三位:リンゴ・スター(ビートルズ)
四位;キース・ムーン(ザ・フー)
五位:ミック・フリートウッド(フリートウッド・マック)

確かにカレン・カーペンターのドラムは驚くほど上手いが、ロック・ドラマーというジャンルだと、流石にジョン・ボーナムの方が上のような気がする。この結果に、ジョン・ボーナムはキレまくって、カレン・カーペンターはツェッペリンの曲は10分も叩けないであろう、と述べた。それを受けてカレン・カーペンターは、「私はレッド・ツェッペリンの曲は大好きだし、数曲は叩けるわよ」と言って、取材者の前でドラム・キットに座り、「Babe, I’m gonna leave you now」を歌いながら完璧に叩いたそうだ。
https://forum.amcorner.com/threads/karen-carpenter-best-rock-drummer-1975.14951/

いやいや、なかなか楽しい。とはいえ、この結果は1975年のアメリカ人でプレイボーイの読者があまりロックを知らないということを示唆しているともいえる。1975年であったらジンジャー・ベイカーとかビル・ブラッフォードとかが候補に挙がってもいいだろう。カレン・カーペンターは5位にランクインしてもいいかなと思うけど1位というのは厳しいんじゃないかな。

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『シャレード』 [映画批評]

1963年のアメリカ映画。オードリー・ヘプバーンが出演しているので観てみたのだが、なんか多いに落胆した。オードリー・ヘプバーンが全然、魅力的ではないどころか、演技も大根役者のようだ。美しいとも思えない。まあ、シナリオに合わせてわざと大根役者を演じているのかもしれないが、どちらにしろ鼻白む。いや、これはただの主観なんですがね。映画の内容もコメディ・サスペンスといった感じのもので、シリアスなのかコメディなのかが分からず、相当、中途半端である。とはいえ、ラストシーンは面白い。終わり良ければすべて良しか。


シャレード デジタル・リマスター版 [DVD]

シャレード デジタル・リマスター版 [DVD]

  • 出版社/メーカー: 株式会社ツイン
  • 発売日: 2020/04/29
  • メディア: DVD





シャレード デジタル・リマスター版 [Blu-ray]

シャレード デジタル・リマスター版 [Blu-ray]

  • 出版社/メーカー: 株式会社ツイン
  • 発売日: 2020/04/29
  • メディア: Blu-ray



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『St. Vincent』 [ロック音楽]

2014年に出されたSt.Vincentことアニー・クラークの5枚目のアルバム。凄い中毒性のあるオリジナリティ溢れる音楽。もう一聴で、St.Vincentがつくる音世界であることが分かるほどのユニークさと新鮮さに溢れている。このアルバムは捨て曲がなく、すべての曲が凄まじいクオリティを誇るが、その中でも「Digital Witness」と「Huey Newton」は素晴らしい。まさに天才という称号がふさわしいようなミュージシャンがつくった大傑作である。


St Vincent

St Vincent

  • 出版社/メーカー: Republic Records
  • 発売日: 2014/02/25
  • メディア: CD



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鈴木博之著『都市へ』「日本の近代10」 [書評]

中央公論新社の「日本の近代」のシリーズ本の「都市へ」。著者は東大建築学科の鈴木博之教授。この本は400ページと結構、字数も多いが、その密度は濃い。著者の恐るべき博学が詰まっており、読み応えがある。歴史を消し去る都市には歴史はできない。建築史が専門の著者だけあり、また「都市の地霊」などの著書もあるだけあり、都市が重みを増し、その価値を蓄積させるために何をするべきかを考えるうえでは極めて示唆に富む内容となっている。


日本の近代 10 都市へ

日本の近代 10 都市へ

  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 1999/02/01
  • メディア: 単行本



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『ブリュッセル 1080 コメルス河畔通り 23番地 ジャンヌ・ディエルマン』 [映画批評]

英国映画協会が10年ごとに発表している「史上最高の映画」ランキングの2022年版において第一位に選ばれた映画。ということで観た。まず、201分という相当の長尺の映画である。そして、難しい。なぜなら、この映画は、BGMもほとんどなく、効果音的な演出も一切なく、また会話も少なく、カメラのクローズアップなどもなく、ひたすら固定された構図での撮影がされているだけであり、女優の演技によってストーリーを理解することが求められるからだ。しかし、悲劇へと導く、彼女のルーティンの変化のきっかけは分かりにくい。ネタバレで、そのきっかけを知ると、最後のエンディングへの展開も分かるのだが、201分の期間、よほど集中してみないと、この悲劇へと導く分岐点は分からないのではないだろうか。私の想像力が欠如しているだけかもしれないが。
 私は男性ではあるが単身赴任をしているので家事をする。家事はルーティン化する。ルーティン化させた家事をこなすのは苦痛ではないし、それが生きていくことかと思ったりもする。ただ、そのルーティンのリズムを壊されることは嬉しくない。思春期の子育てをし、日々、売春をしている主人公にとっては、それはさらに大きな苦痛になったのであろう。息子の心ない言葉、茹ですぎたジャガイモ、さらには泣き叫ぶ赤ん坊なども最後の悲劇への加速を促すのだが、最大のきっかけとなる事件を私は映画を観ても読み取ることができなかった。ここは、もう少し、分かりやすく演出してもらえれば有り難かったが、多くの人は分かったのだろうか?
 この映画は観る価値はある、とは思うが、個人的にはベスト5に入ることはないと思う。ただ、これは私が映画をしっかりと鑑賞する能力に劣っているからだろう。観る人の鑑賞力を要求する映画であると思う。


ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地 [DVD]

ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地 [DVD]

  • 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
  • 発売日: 2023/03/03
  • メディア: DVD



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セレステ「Not Your Muse」 [ロック音楽]

1994年生まれのセレステ・エピファニー・ウェイトの2021年のデビュー・アルバム。UKアルバム・チャートでは1位にまで上昇するが、それも納得の素晴らしいアルバム。というか、2021年になって、こういう音楽がまだ創られるのか、と驚くようなクオリティの高さである。楽曲もいいが、何しろボーカルがいい。
 セレステはなかなかエキゾニックな外観をしているが、これはイギリス人の母親とジャマイカ人の父親とを持つからであろう。そして三歳からイギリスで育つ。日本でいえば平成生まれであるが、アレサ・フランクリン、ビリー・ホリディ、エラ・フィッツジェラルドを聴いて育ったようだ。この才能がどうやって見出されたかというと、16歳の時につくった曲をユーチューブにアップしたことがきっかけだそうだ。そして、楽曲はマックのガレージ・バンドを使ったそうである。ううむ、まさに平成生まれのミュージシャンということだ。
 さて、このデビュー・アルバムであるが、どうも通常版は12曲しか入っていないようだが、私の購入した日本版は22曲と大出血サービスである。全般的にはスロー・バラード的な曲が多いが、「Tell me something I don’t know」などグルーブ感の素晴らしい曲もあって、なかなか楽しめる。コリーヌ・ベイリー・レイを彷彿させるところもあるが、彼女のようなコケティッシュなところはなく、もっと土臭い感じがする。ドシッとしている、という感じだろうか。Strangeはスタンダードになるような迫力を持っている。



ノット・ユア・ミューズ

ノット・ユア・ミューズ

  • アーティスト: セレステ
  • 出版社/メーカー: Universal Music
  • 発売日: 2021/02/26
  • メディア: CD



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『ル・コルビュジエと日本』鹿島出版会 [書評]

本書は1997年に建築会館ホールで開催された国際シンポジウム「世界の中のル・コルビュジエ – ル・コルビュジエと日本」の全発表を収録した報告書である。私はル・コルビュジエの作品群の素晴らしさが分からない。感性的にはまったくダメだ。ラ・トゥーレットの修道院などは、巨大な墓のような不気味さを感じてしまい、子ども時代にガスタンクを観て怯えた記憶を蘇らせるぐらいだ。内部空間は素晴らしいのかもしれないが(内部に入ったことはない)、外部空間は環境破壊のようにさえ感じられる。私がこのそばに住んでいたら、強力にその建築に反対するであろう。ロンシャン教会も訪れたことがあるが、その意匠は醜悪なカタツムリといった感想を抱いている。また、訪問者の半数が日本人であったことも驚きであったが、同じように曲線的な意匠のガウディとは比べものにならないデザインの今ひとつさ。これは、コルビジェの弟子のオスカー・ニーマイヤーと比べても大きく劣る、というのが私の正直な感想である。ベルリンに今、住んでいて、ベルリンにはブルーノ・タウトなどによる多くのモダニズムの建物があるのだが、それと一緒にル・コルビュジエの集合住宅もある。そして、どうしても私はル・コルビュジエの集合住宅よりブルーノ・タウトなどの集合住宅の方が好きなのだ。どちらに住むかといえば、間違いなく後者である。いや、家賃が2割ぐらいだったらル・コルビュジエのユニテ・ダビダシオンに住むことを検討するかもしれないが。日本で唯一の作品である国立西洋美術館も、まったくいいと思わない。これをみて、恰好いい!と思う人がいるとしたら、本当、変わっているな、と思う。しかし、おそらく、実は私の方が変わっていて、私の方が間違っているのである。そのようなコンプレックスのような意識を私は有している。したがって、その感性を修正するために、理性で抑えようと意識しているところがある(それが、多くのコルビジェの作品を見に行かせたり、このような本を読ませたりする理由だ)。
 本書はル・コルビュジエの日本人の師弟である前川国男、坂倉準三、吉坂隆正を中心として、孫弟子ともいえる丹下健三の建築思想などを、槇文彦、磯崎新、藤森照信など大御所建築家、研究家が語るという内容である。本書には関連する建築の写真がいくつか掲載されているのだが、どうみてもル・コルビュジエの作品より丹下健三、前川国男、坂倉準三、吉坂隆正の作品の方が、出来がいいと思えてしまう。そして、前から思っていたのだが、ル・コルビュジエのスケッチは下手だ。というか、ヘタウマという解釈はできるかもしれないが、これをみて、おお!素晴らしいと先入観なしに思う人とかが果たしているのだろうか。私が、このスケッチを見せて、こんなの考えているんだけど、と誰かに見せたら「お前のスケッチ、下手すぎ」とディスられると思う。
 何人かの報告内容を見て、磯崎新のそれを読んで、少しだけ私が共有できるようなものがあるかな、と感じた。もちろん、政治的な磯崎新であるから、私のようにストレートな批判ではないが、遠回しに、批判をしていることが読み取れる。個人的には、ル・コルビュジエが桂離宮をみた後の感想が「日本人は壁をつくることを知らない」と言ったことや、モダニズムの建築を非常に勉強していたことなど(すなわち、それほどオリジナルな考えではないこと)に興味を引かれた。
 ベルリンにいると、ブルーノ・タウトやグロピウスに比べてル・コルビジェの存在感が恐ろしく低い。これは、おそらく日本が欧州の近代建築を輸入する時、前者のモダニズム的なものも含めて、ル・コルビュジエが代表してしまったことがあるのかな、と考えたりもする。    
 まあ、これを読んだ人は、また物を知らない馬鹿が適当なことを述べている、と思われるかもしれないが、そういう人は、家のそばの丘にラ・トゥーレットができたら、素晴らしい建築作品が出来て嬉しいと思うのだろうか。サグラダ・ファミリア、エルプフィルハーモニー、シドニーのオペラハウスなどの建築の名作と、それとはまったく違うと思うのは、私が無知だからであろうか。いちおう、釈明としては無知だという前提のもと、勉強は続けています。


ル・コルビュジエと日本

ル・コルビュジエと日本

  • 出版社/メーカー: 鹿島出版会
  • 発売日: 1999/03/01
  • メディア: 単行本



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パサージュ論 第一巻 [書評]

ドイツ人の思索家、ヴォルター・ベンヤミンによる『パサージュ論』。基本的には、未完のパサージュ論を執筆するうえでの資料、メモから構成されている。しかし、それらからベンヤミンの透徹した思考を伺え、19世紀のパリ、そしてそれを取り巻く社会状況を知るうえでは極めて貴重な情報・知見を提供してくれる。全部で6つの章からなる。オースマンの章は個人的には極めて興味深かった。オースマンによるパリの大改造に関して、様々な意見・統計的な情報などが満載されているのが、その8割が極めて批判的であるのが興味深い。ただ、賞賛している意見等もしっかりとメモされていて、当然、コルビジェは大絶賛であった。それにしても、素晴らしい19世紀のパリに関しての資料集、そして考察集である。パリという都市の偉大さ・デタラメさ・ユニークさを知ることができる。



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ギター・マガジンの「偉大なギター名盤100」には異議ありまくり [ロック音楽]

ギター・マガジンの今年(2024年)の2月号は「偉大なギター名盤100」であった。私はヘタレ・ギタリストなので、ワクワクしながらページをめくった。しかし、その選考には異議ありまくりである。私は、むしろ、この雑誌の選考から、貴重な情報や知見を学ぼうと思っていたぐらいなのに、このヘタレ・ギタリストの私でも到底、納得できない選考に愕然とする。これは冗談じゃなくて、まじだったとしたら、ギター・マガジンのブランドにさえ疑義を呈しかねない。
 そもそも、ナイル・ロジャース、アラン・ホールズワース、サンタナのアルバムが入ってないのは絶対おかしいだろう。加えていえば、パット・メセニー、マーク・ノプラー、ビリー・ギボンス、プリンス、ゲイリー・ムアー、アルバート・リーが入ってないのはおかしいし、ベスト100であればピート・タウンゼント、ブライアン・メイ、ニール・ヤング、エディー・ヘーゼル、ロベン・フォード、リー・リトナーが入ってもおかしくない。
 代わりに何が入っているかというと、テレビジョンやセックス・ピストルズ、ドクター・フィールグッドといったパンク系のアルバムだ。こういう音楽は、ローリング・ストーンズやロッキンオンといったロック誌が評価するのならまだ分かるが、なんでギター・マガジンが評価するんだ。こいつらが弾いているギターが、サンタナやマーク・ノプラーより遥かに優れているというのであれば、ギター・マガジンは、別にギターを上手く弾きたい読者を想定している訳ではないことを裏付ける。というか、サマンサ・フィッシュやセント・ヴィンセントなどの最近の女性ギタリストのアルバムの方がはるかに「ギター名盤」としてふさわしいだろう。ということを、還暦を過ぎた読者に指摘されてどうする。むしろ、そういう新しい情報が欲しくて、こういう雑誌を私は買っているのだ。ハイ・スタンダードが37位、Xが38位とか、日本の「ギター名盤100」なら分かるが、これらがサンタナのアルバム群、アラン・ホールズワースのアルバム群より上位にくるとはまったく思えない。
 というか、ロック名盤ではなくて「ギター名盤」だからな。というか、Wilcoのアルバムが一枚も選ばれていないのもおかしいだろう。Doobie Brothers、ポール・コゾフのFreeも一枚ぐらい入ってもいいだろう(Fire and Waterですな。All Right Nowのギターはあまりにも素晴らしい)。Robbie RobertsonのThe Bandのアルバムも一枚は入ってもいい。Tom Campbellのトム・ペティのアルバムとかも入っていいだろう。The Carsのデビュー・アルバムも入るべきだろうし、Grand Funk Railroadもギターの名盤としては考慮すべきである。Jim Hallとかも入ってないんだよなあ。Little FeatのLowell George スライド・ギターもギター名盤100に入れるように考えるべきだろうし、Museもその革新的なギターを考えると入れることを考えなくてはいけないんじゃないか。
 ということで、メチャクチャ期待外れの特集であった。というか、ギター・マガジンが自らのブランドの信頼性を担保にこういう特集をしているという覚悟がなさ過ぎるのじゃあないか。この記事をWishbone AshのArgusを聴きながら書いているのだが、このアルバムのトップを飾るTime Wasのギターのイントロの美しさ。このアルバムはロック史的にはそれほど素晴らしくはないかもしれないが、ギター名盤ではあると思うのだ。こういうのを取り上げてくれれば、さすがギター・マガジンと思えるのに、いたずらにJimi HendrixやZeppelin、Smith、John Mayerといった同じアーティストのアルバムを何枚もベスト100に上げるというようなアホなランキングをするぐらいであれば、ギタリストのランキングとかをすればよいのだ。アルバムというと、もっと多くの要素が入ってくるので難しいし、そのランキングをするのは相当の覚悟が必要だ。というか、修正等ができるウェブサイトであるならまだしも、印刷して出すような内容か。私の読後感はギターを舐めるなよ、といったものであって、私のような超絶ヘタレなギタリストにこんなことを言われるギター・マガジンは雑誌をつくる資格もないように思う。猛省してもらいたい。もう読書歴的にいえば45年ぐらいの読者なのだから、本当、落胆させないで欲しい。

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