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『第三の男』 [映画批評]

今更ながらであるが、1949年のイギリス映画『第三の男』を観る。第二次世界大戦後の混乱のウィーンを舞台にした映画で、光と影のコントラストが観るものをスクリーン(パソコンのだが)に惹きつける映像美、どちらにストーリーが転ぶか分からないシナリオの秀逸さ、そして映画史に残るような印象的なラストシーン。
善悪が不明瞭な戦後の混乱期の中で、単純な正義感と愛情、友情といった個人的価値観で行動するアメリカ人の主人公の偽善的ないやらしさを、最後のラストシーンで一刀両断に切り捨てるアンナ・シュミット。このラストシーンは、相変わらずアメリカ的価値観で世界と渡り合えると考えているアメリカ国家への強烈な竹篦返しのように私には受け止められ、快哉を叫びたいような気持ちになったが、小説のラストシーンでは、アンナはアメリカ人主人公を受け入れることになっていることを知り、なんかとても残念な気分になった。しかも、小説ではアメリカ人であったギャングが、映画ではルーマニア人の設定になったのは、悪役の一人がアメリカ人であることを出演者の一人のオーソン・ウェルズが嫌ったためだそうだ。
しかし、小説のラストシーンでは、なんか白けた感じが残ったであろう。アンナの毅然とした態度によって、このストーリーはとても締まる。このラストシーンを主張したのは、プロデューサーのデビッド・セルズニックであったそうだ。
勝てば官軍的な戦争の中、何が正しくて何が正しくないのか。第三者には分からないいろいろな事情がある。『第三の男』は、素直に考えればハリーを指しているが、私的には、直接関係ないよそもので第三者であるホリーの鼻持ちならない偽善的な存在を、ハリー率いるギャング団とそれを追いかける国際警察という関係性と関係ない『第三の男』、もしくはハリーとアンナというカップルに入り込もうとした『第三の男』として表しているようにも感じた。
そして、そのように捉えることで、この映画の魅力がさらに引き立つようにも思ったりもした。


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タグ:第三の男
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『スター誕生』 [映画批評]

グラミー賞でのレディ・ガガのパフォーマンスが素晴らしかったというので気になったので『スター誕生』を観た。てっきり、あまり美貌に恵まれないが才能に溢れた女性が、その才能に気づいたイケメンの売れっ子ミュージシャンの支援のもとにスターになるまでの軌跡を描くストーリーかと思っていたら、映画前半で簡単にスターになってしまって、残り後半は、売れっ子ミュージシャンがアル中でいろいろと人間関係を破綻させていく、というストーリーになってしまった。それはそれで、いろいろと考えさせられたが、もう少し、スターになるまで波瀾万丈のプロセスがあった方が楽しめたのにな、と思う。あと、もう一つ残念だったのは、曲が今一つであることだ。バーバラ・ストライザンドの『スター誕生』からは『Evergreen』という何世代にも歌い継がれるような凄まじいメロディが生まれたが、残念ながらレディ・ガガの『スター誕生』ではそのような曲はつくられなかった。とはいえ、現時点において『スター誕生』をリメイクするなら、キャスティングはレディ・ガガしかあり得ないと思わせる演技ではあったと思う。レディ・ガガの魅力は十二分に銀幕に表出されていた。それだけに、強烈な才能を再確認させてくれるような曲をつくってもらえたらとさぞかし素晴らしかったのにと思わせる。

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『そして私たちは愛に帰る』 [映画批評]

トルコ系ドイツ人映画監督ファティ・アキンの『そして私たちは愛にかえる』を観る。イタリア系映画のような、ペーソスに溢れた人生劇である。優秀な息子とダメな親爺、ドイツとトルコで離れ離れで暮らす売春婦の母親と反政治活動に身を投じている娘、そしてオープンな世界観を擁するドイツ人の母親と娘。この三者三様の片親と親子が、お互い関係することで大きく、彼ら・彼女らの人生は展開していく。それは、悲劇的ではあるが、その悲劇が展開する過程でこれら他人が知り合うことで観ている側は救われる。違う国籍、違う価値観の人々が交錯することで、無情にも人が死んでしまうという理不尽の中でも、人は明日に希みを持つことができるような印象を観る者に与える。ラストシーンの静かな映像は百の言葉より多くのことを語る。


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『トラブゾン狂騒曲』 [映画批評]

トルコ系ドイツ人のファティ・アキン監督によるエコロジカル・ドキュメンタリー。
トルコ北東部にあるトラブゾンという村にごみ処理場がつくられる2007年から2012年までの5年間を丁寧に追求してつくられたこのドキュメンタリーは、環境問題の普遍的な本質を鋭く描いており、観るものの心を揺さぶる。その本質とは、環境問題は無責任な人間がつくり出すということである。無責任であるから、その問題を予見することもしなければ、それを解決しようともしない。日本の原発問題とも通じる、このトルコのごみ処理場の問題は、しっかりと時系列的に新たな問題が出てきた時に、それに対して地元住民とそれを管理する側の環境省がどのように対応するかを見事に記録している。ポイントとしては、原発問題もそうだが、一度つくらせたら地元は負けるということである。トラブゾンも多くの住民がそこを去って行くことになる。日本の地域も、まったくもって対岸の火事ではないこの環境問題。必見である。

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今更ながら『E.T』を観る [映画批評]

今更ながらであるが『E.T.』を観る。一昨日、恥ずかしながら『ハムレット』を初めて読んだのだが、最近、社会常識として著名な本とか映画の内容を知っておかなくてはまずいみたいな気分になっているからだ。さて、E.T.は少年とその兄弟と宇宙人との交流の物語だが、子供達の純な優しさのようなものが心を打つ。流石、大ヒット作は良質だなと思ったりもしたが、あの宇宙人のデザインは悪い。これは、スター・ウォーズなど他のハリウッド映画にもいえることだが、なんで円谷プロのように格好いいというか、より個性的な宇宙人がつくれないんだろう。ピグモンとかの方がずっと存在感がある。というか、私がこれまでE.T.を観なかったのは、あのヘンテコなデザインの宇宙人に抵抗を覚えていたからだ。その気持ちは映画を観た後も変わりは無い。
 あと、新生チャーリーズ・エンジェルのドリュー・バリモアが子役で出ているのだが、その演技は驚くほど上手い。いや、天才子役という形容が大袈裟ではないぐらいだ。私はなんでドリュー・バリモアがこんなに俳優として引っ張りだこであるのかが不思議だったのだが、それの理由はここにあったのかということに気づいた。
 また、舞台はロスアンジェルスの郊外であるが、この郊外で暮らす少年の生活を見事に演じていたかとも思われる。多くのアメリカ人が郊外で生活をするようになった1970年代当時の新しい郊外でのライフスタイルや価値観(離婚を含む)などをうまく表現しているようにも思える。郊外の希望が幻想であったのかとアメリカ人が気づき始めた時代感、イーグルスが『ホテル・カリフォルニア』でカリフォルニアへの人々の期待を皮肉った時代感を表現しているようにも感じた。そのような不毛な地にちょっとしたファンタジーを展開させることは、アメリカ人の心の琴線に触れたのかもしれない。


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ボヘミアン・ラプソディ [映画批評]

大ヒット映画『ボヘミアン・ラプソディ』を正月休みに観た。フレディ・マーキュリーの映画であるが、相当、事実に忠実に描かれているようで、フレディの実母の写真を観たら、映画で母親と演じているインド人女性にそっくりで驚いた。ホモセクシュアルであることはまあ、一目瞭然であったので知っていたが、ゾロアスター教のインド人であり、18歳までイギリス外で育ったことは初めて知った。生まれたのはイギリスの植民地であったアフリカのどっかで、勝手に外交官の息子かと思ったりしていたので、生まれはイギリスの外でも育ちはイギリスであると勝手に勘違いをしていた。そして、外交官の息子だと思っていたので金持ちのボンボンだとも思っていた。そういう偏見をしっかりと是正してくれるような、良質な映画であるなと思った。
 愉快なのは、カメオで出ているマイク・マイヤー扮するレコード会社の重役が、『ボヘミアン・ラプソディ』のような6分ぐらいの曲をカーステレオで聴く若者がいないと言ったシーンである。フレディ・マーキュリーが亡くなった後、映画『ウェインズ・ワールド』でマイク・マイヤーが友達と『ボヘミアン・ラプソディ』をカーステでがんがんかけながら、車で街中に繰り出しているシーンは、ロック映画史上、最も有名で愛されているシーンであるからだ。そして、このシーンでクィーンの『ボヘミアン・ラプソディ』はアメリカ人によりよく知られるようにもなる。
 バンドのごたごた、そしてライブ・エイドでの復活といったシナリオもよく、クィーン・ファンでない私も十二分に楽しめた。ということで、まあ映画には何も文句はないのだが、ちょっと気になるのは急に、私の周りにクィーン・ファンの50代前後の人が増えてきていることだ。皆、昔からクィーンが大好きだった、と言う。本当かよ。いや、当時も確かにクィーン・ファンはいたことはいたが、クィーンよりも格好よいロック・ミュージシャンもたくさんいた。イギリスのミュージシャンでもデビッド・ボウイや、クラプトン、ツェッペリン、ディープ・パープル、ピンク・フロイド、イエス、ピーター・ガブリエル、ジェネシスといった方がずっと格好良いと当時も思っていたし、今でも思っている。決して悪くはないけど、そんな傑出して特別ではないよな、と当時も思っているし、その気持ちは今でも全然、変わらない。

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マイケル・ムアーの最新作『華氏11/9』を観る [映画批評]

マイケル・ムアーの最新作『華氏11/9』が日本で公開されていることを知ったので、渋谷のアップリンクに観に行く。月曜日で一回しか流されないので、これは座れるかなと不安だったのだが、ナント、10人ぐらいしか観客はいなかった。おそらく2019年1月において、最も重要な映画であるにも関わらず、この無関心さは何なのだろう。自分が入れたのは喜ばしいが、ちょっと『ボヘミアン・ラプソディ』を複数回観た人が周りにいることを考えると、これは本当に不味い状況じゃないかなと思ったりもする。
 さて、映画はトランプが大統領という、悪夢のような現実にどうしてアメリカ社会が陥ってしまったのかということを、トランプという人柄の分析、人々の意識の分析などを通じて、非常に分かりやすく丁寧に解説してくれている。とても説得力があり、トランプ大統領という悪夢に陥った背景が理解でき、ちょっと、そのオバケの正体が分かったような気分である。そして、トランプと似たようなビジネスマンとしてのバックグラウンドを持ち、ミシガン州知事になったリック・シュナイダーの行政を取り上げ、ビジネス・マインドの強い人が政治をするととんでもないことが起き、このままトランプに妥協すると、アメリカはとんでもないことが起きるだろう(既に起きている可能性も高いが)と警鐘を鳴らしている。『ボヘミアン・ラプソディ』は私を観たが、2019年1月時点において観るべき重要度でいえば、この映画の方が遙かに高い映画である。生き延びるためには観るべきである。

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ブラック・クランズマン [映画批評]

スパイク・リー監督の最新作品は、ブラック・パンサーなどが台頭した1970年代頃を舞台としているが、現在のアメリカの政治状況を鋭く批判しており、極めて政治的な内容を含んでいるが警察ものとしてのスリリングな展開といい、映画としてのエンタテインメントの要素もしっかりと押さえている相当の傑作であるかと思われる。というか、ハリウッド映画としては最近、稀にみる秀でた作品ではないだろうか。50年くらい前のコロラド州コロラド・スプリングスを舞台としていても、その映画が描こうとしているのは現代のトランプ大統領を選ぶアメリカ人の人種差別意識の醜悪さであるし、また、思うようになかなか問題が解決できなくても、それでも前進するアメリカという社会の推進力でもあるかと思う。ぎりぎりの点数で単位を取得するダメ学生のような国だが、まあ、それでも及第点は取れているかな、ということと、そのような社会状況をこのように映画作品として描ける感性と才能と、それをバックアップする投資家がいるという点で、どうにかアメリカのメンツがぎりぎりで確保できているとでもいうべきであろうか。アメリカという国がなぜ、トランプ大統領を当選させたのかを理解するためには必見の映画であるだろう。ハリウッド映画としては、久しぶりに心から楽しめた。

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映画『1984』 [映画批評]

小説『1984』を読んだので映画の『1984』も鑑賞した。原作を随分と省略し、相当、雑に編集しているが、そのエッセンスのようなものは保たれている。ただし、映画では、ちょっと一般受けを狙ったのか、「愛が未来を救う」といった愛賛歌の側面の表現が強すぎるところが気になった。まあ、それは、最後のシーンでの愛の脆弱さを見事に描く、どんでん返し効果を意識したためだったかもしれない。
 米国人のマイカル・ムアーがトランプ政権の危険を警鐘する映画「ファーレンハイト11/9」を製作した。この映画はまだ未公開であるが、ムアーのテレビ取材での発言から、彼がトランプを非常に危険視していることが理解できる。さて、そのトランプ政権を予見したかのような小説がまさに『1984』であり、それをより視覚的に訴えたのがこの映画であるのだが、映画で描かれた2分間の「憎悪の時間」において、地下組織のリーダーであるカラドールへ罵声を浴びせる党員の人達は、まさにトランプのラリーでヒラリーを「投獄せよ」と叫ぶトランプ支持者を彷彿させる。また、実態とは異なる経済成長を喧伝するところも、トランプ政権と同じである。まあ、この点に関しては、経済指標を変えて、実態より経済が成長しているように見せる安倍政権もまさに同じではあるが。
ちなみにアメリカ公開版では、ウィンストンとジュリアが最後まで拷問に屈せず、「ビッグブラザー打倒」を叫んで死ぬというラストに改変され、それに不満を持ったオーウェルの遺族が公開差し止めを求めたそうだが、1984的なトランプ政権を3分の1のアメリカ人が支持していることを考えると、随分とアメリカも変わってしまったなと思わずにはいられない。


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『不良少女モニカ』 [映画批評]

イングマール・ベルイマンの1953年の作品。邦題は『不良少女モニカ』ではあるが、原題は『モニカとの夏』。モニカは不良少女という感じではなく、ただ、自由奔放なだけである。19歳の少年ハリーは、18歳の破天荒で自己中心的だが、魅力的なモニカとともに、ストックホルムから仕事を捨てて、父親の船で孤島で夏を過ごす。モニカは妊娠をする。きのこばかりの食事に辟易としたモニカは癇癪を起こし、ハリーは再び、ストックホルムに戻る。モニカと結婚し、家庭をもったハリーは、高給の技術者の仕事に就けるように学校に通い勉学に励むのだが、モニカは勉強ばかりしているハリーに対して不満が溜まる。
 若者の燃えるような恋愛が、結婚して日常化すると常温に置かれた肉のように腐臭を放って傷んでいく様を、ベルイマンは見事に描いており、観るものの心を抉るようだ。若い男性に観てもらいたい気持ちになったりするが、これを観たら結婚どころか恋愛もできなくなるような気もする。映像から放たれる、何とも言えない暗さ、陰鬱さはこの映画をずっしりと重いものにしているが、その重さが観る者にものしかかって息苦しくなる。
 この重さこそ、ベルイマンの真骨頂であり、彼が巨匠である由縁であろう。恋愛の持つ、明るさと暗さ、軽さと重さという二面性を見事に描いている。


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『ローマでアモーレ』 [映画批評]

ウディ・アレンのヨーロッパの主要都市を舞台にした映画シリーズのローマ遍。4つのまったく交差しないエピソードがローマを舞台に展開していく。ちょっと、ほろ苦いストーリーと、恋愛どたばた劇、筒井康隆のような不条理コメディ、そして抱腹絶倒のエピソードだ。特にウディ・アレンがいい加減な舞台プロデューサーで出演するエピソードは、相当面白く、『スリーパー』とかを彷彿させる。アレンの喜劇作家としての才能が炸裂したかのようなおかしさである。あと、個人的にはペネロペ・クルスが演じる娼婦役ははまり役でいい。2000年の『ウーマン・オン・トップ』の清純なイメージはもう完全に過去のものという印象だが、これはこれで悪くない。久しぶりに映画を見終わった後、力が抜けて、いいストレス解消になった。傑作かどうかを語るような作品ではないが、十二分に楽しめる作品。こういうウディ・アレンは個人的に好きだなあ。


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ジェームス・ボンド『死ぬのは奴らだ』は駄作だ [映画批評]

ジェームス・ボンドの『死ぬのは奴らだ』を機内で観る。1973年の作品である。この映画はポール・マッカートニーの映画と同名の曲『死ぬのは奴らだ』で有名であり、私もこの曲はよく聴くが、どんな映画か知らなかったので、ちょっと観ておきたいと思ったからである。加えて、私は結構、ジェームス・ボンドの映画が嫌いではない。さて、しかし、この作品は酷かった。ワニとかサメとかを登場させているのだが、まったく手に汗を握るようなスリリングな描写がないのだ。一人ぐらい腕とか足を食べられた方が、スパイ映画ということで、ちょっとハラハラさせられたかもしれない。ワニとか、ただの因幡の白ウサギのように、いとも簡単に危機から脱出したからな。せっかくカリブを舞台にしているのに、その美しいランドスケープの描写にも失敗している。ヴードゥー教の気味悪さを強調しようとし過ぎているが、それに対する理解が不足しているので、全然奥行きにもかけている。そして、肝心のボンド・ガールがそれほど魅力的でもないのだ。本当、なんかドリフのどたばたスパイ劇を観させられたような気分である。これじゃあ、ちょっとポール・マッカートニーの素晴らしい曲がもったいない。

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『ラ・ラ・ランド』 [映画批評]

『ラ・ラ・ランド』は一度、機内で観ようとしたのだが、ちょっと10代向けという感じが強かったので、5分ほど観ただけで挫折していた。しかし、私が最近きになっているソノヤ・ミズノも出演していることを知ったのと、また、私が敬愛する60代半ばの建築家の先生が「面白いよ」と言ったので最後まで頑張って観てみた。ソノヤ・ミズノは前半においてエマ・ストーン演じる主人公とシェアルームしている役で出て、4人で踊るのだが、4人の中で一番、スタイルがよくて、しかも踊りもキレキレであった。本当、日本人の血が半分入っていると思えないほどの格好良さである。
 話の展開はちょっとペーソス溢れていて、思ったよりは楽しめた。とはいえ、完全な娯楽作品であり、まあ漫画のような感じのミュージカル映画である。ただ、このべたべたになりがちなロマンス映画をどうにか観られるようにしているのは、エマ・ストーンの爽やかさというか、清潔さであるかと思う。ジョディ・フォスターをちょっと柔らかにした感じのキャラクターはなかなか大器な印象を与える。
 あと、『ラ・ラ・ランド』とタイトルにしているだけあって、ロスアンジェルスの魅力を映画で表現しようと意図されているのが分かる。ロスアンジェルスという都市への愛に溢れているが、ロスアンジェルスは都市としては相当、出来損ないなので、この映画のように感じよく描くのは相当、至難の業なのではないかなと思う。グリフィス・パーク、サンタ・モニカ・ピア、ワッツ・タワーなどロスアンジェルスのランドマークをしっかりと抑えているが、逆にダウンタウンはまったく出てこない。いかに、ロスの住民がダウンタウンなしで暮らしているか、ということを逆に示している。
 また、重箱の隅を突くような指摘で恐縮だが、セバスチャンがミアを実家のボルダーにまで朝の8時に自宅に迎えに行き、その日の17時30分にロスアンジェルスで行われるオーディションに届ける話があるが、ボルダーからロスアンジェルスまではどんなに車を飛ばしても9時間30分で着くことはできない。ということは、自分の車でデンバーに行き、そこから飛行機でロスアンジェルスにまで飛んだということだろうか。こういうのが気になると、映画のストーリーに集中できなくなってしまうので、そこらへんは筋を通して貰えるとよかった。


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『ソフィーの選択』 [映画批評]

 トランプ大統領がメリル・ストリープのことを「史上最高に過大評価された女優」とツイッターで批判したので、これまで観たことのなかった彼女の傑作の一つである『ソフィーの選択』を観た。というか、これを観ると素人でもメリル・ストリープが天才としか形容できないような女優であることが分かる。背筋が寒くなるほどの演技力である。こりゃ大した大女優である。少なくとも『ソフィーの選択』のメリル・ストリープは、どんな絶賛も過大評価になることはない。というか、この映画の主人公であるソフィーという地獄を見させられた女性の複雑な多面性を演技できる女優がこの世にいるというだけで驚きである。ソフィーは潔癖であると同時に官能的であり、ユーモラスであると同時に悲しみに溢れ、そして圧倒的に絶望的である。第二次世界大戦におけるドイツのユダヤ虐殺が、いかに多くの人生を狂わせることになったのか。それは観る者の心を大きく揺さぶるであろう。
 最近は日本を含めて世界中で人種差別的な動きが活発化しているが、そのような考えがどれほど人の醜悪さを晒し、無実の人を崩壊させるか。トランプを支持する3割ちょっとのアメリカ人も、トランプのいい加減なツイートを信じるより、この映画でも観て、生きることや人種差別の負の側面について、ちょっと立ち止まって考えるべきであろう。そして、このような女優を「大根女優」のようにしか捉えることができないバカな大統領を選んだ自分達の愚かしさを反省するといい。


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ジェイン・ジェイコブスの映画『Citizen Jane』の試写会を観に行く [映画批評]

 ジェイン・ジェイコブスの映画『Citizen Jane』の試写会を観に渋谷に行く。Citizen Janeというとジェーン・フォンダの伝記を思い出す人もいるかもしれないが、この映画はジャーナリストで作家であるジェイン・ジェイコブスがニューヨークの街並みを道路開発や都市再開発事業から守った話である。
 ロバート・モーゼスが完全なヒール役として描かれている。巨大な都市計画の悪、それを仕切るロバート・モーゼスという悪人に、ジェイン・ジェイコブスは知恵と庶民を味方につけてやっつけるという勧善懲悪的なストーリーである。それは、それで面白かったが、この映画のコピーである「もしもジェイコブスがいなかったら、世界で一番エキサイティングな都市・ニューヨークは、きっとずっと退屈だった」という文章は、ジェイコブスの代わりにモーゼスを置き換えてもいえなくもない。いや、エキサイティングかどうかは分からないが、ニューヨークというアメリカ合衆国において極めて特異で、唯一都市らしい都市(強いていえばサンフランシスコとシアトルは入れられるかもしれない。ポートランドも入れたい気はするが、ちょっと厳しいかも)の骨格をつくったのはまさにモーゼスである。モーゼスがトライボロー橋を架けた。国連のヘッドクォーターをマンハッタンに招致するのに成功させたのもモーゼスである。映画では酷評されていたが、クロス・ブロンクス・エクスプレスウェイをはじめとした高速道路、リンカーンセンターやメッツの本拠地であるシェア・スタジアムもそれらをつくるうえで彼は多大なる貢献した。つまり、何が言いたいかというと、ジェイン・ジェイコブスはニューヨークの魅力が壊されるのを守りはしたが、新しい都市の基盤をつくるようなことはしなかった。確かにモーゼスはやり過ぎの感はあったし、モーゼスのやり方を続けていたら、ニューヨークはより退屈な都市になったかもしれないが、私は両方が必要であったように思われるのだ。ジェイコブスというカウンターがいたことの効果は過小評価できないが、モーゼスがいなければハードとしての都市であるニューヨークは、現在のようにある程度、公共交通が充実し、飛行場へのアクセスもそれほど悪くないような機能的な都市にはならなかったような気がする。ジャカルタのような状況になってしまった可能性もあるかもしれない。いや、それはそれで面白い、と言われてしまえばそれだけの話なのだが。
 モーゼスがあまりにも悪く描かれていたので、私は、しかし、その当時の時代背景としては、こういう方向に皆が向いていたのにな、と不満を感じたところ、しっかりと、このような都市自体をスクラップ・アンド・ビルドすることを唱道した張本人ル・コルビュジエが出てきて、相当、批判的に描かれていたのでしっかりとコンテクストを抑えているな、と安心した。そもそも、日本ではジェイコブスを称賛するのと同時にル・コルビュジエも称賛するという、巨人ファンであると同時に阪神ファンでもあると主張する変な輩があまりにも多いが(特に建築関係者や都市計画関係者)、この2人の「都市論」は到底、共存することはできない。まあ、ジェイコブスの場合は、反モーゼスであったルイス・マンフォードでさえ批判的であったので、相当、難しい。というか、ジェイコブスの側に立つということは、土木的な都市計画を真っ向から否定するということにあることを、にわかジェイコブス支持者は自覚をした方がいいと思う。
 この映画は、多少、モーゼスに比べてル・コルビュジエには甘い見方をしている印象は受けたが、そもそもモーゼスのようなタイプの人間を生んだ大きな背景にはル・コルビュジエと彼のタブラ・ラサを理想とするような都市像があったことは間違いない。タブラ・ラサにするには、クリアランスをするしかないからね。しかし、そのことを映画を観た後、映画館内で知り合いに会ったのでその話で盛り上がっていると、関係者が「いや、でもコルビジェを誤解した、と映画では解説しましたよね」と言ってきた。確かに高層ビルがオフィスであって、住宅ではなかったという言い訳はできるかもしれないが、あのような距離を置いて高層ビルを林立させ、間に広幅員の道路をつくるというル・コルビュジエの都市のコンセプトはまったく誤解していない。プルイット・イーゴーなんてコルビジェの「輝く都市」そのものではないか。それにフランスでも、パリのラ・デファンスはコルビジェの延長線上にあるのは明らかでしょう。
 ちなみに、私はモダニズムはそれほど好きではないが、いいところもたくさんあると思っている。ブラジリアに行くと、コルビジェ的なモダニズムの理論のもとに丁寧につくった住宅街の方が、勝手に不法占拠でつくられたファヴェラ街よりもはるかにいいと思うし、前川国男の世田谷区役所を壊すのは反対である。とはいえ、日本の東京に住んでいて、まさに東京のグリニッチ・ヴィレッジとニューヨーク・タイムスのライターが形容する下北沢にとんでもない26メートル道路が、区民が必死になって反対しても結局つくられてしまうことや、他にも明大前、小平、調布などで住民が反対しても道路がつくられてしまいそうな状況や、立石のような個性的な街区が再開発によって無個性化しそうなことをみるにつけ、どうして、これだけ成熟化して、さらにアーバンな魅力を放ちつつある東京を道路や再開発で壊してしまおうと今でもするのか。まったくもって分からない。そして、二子玉川や湾岸に立つまさにプルイット・アイゴーのような高層マンションに多くの人が高いお金を払って住みたがるのかも全然、分からない。
 ニューヨークはモーゼスというフェデラル・ブルドーザーのようなキャラが立っている人物がいたおかげで反対運動も展開しやすかったが、東京は誰が進めているかが本当、分かりにくい。というか、三宅都議員は高い確率でそうだが、彼がそのような東京を破壊する張本人の1人であると理解したり、報道したりする人は少ない。そして、ジェイン・ジェイコブスを気取った人が出てきたりもするが、協調性のないプライドの高い人で、ジェイコブスが示したカリスマ性や戦略性などを見ることはできない。まあ、私もそういう点では人より劣っているので、あまりそういう指摘をするのは気が引けるが。
 とはいえ、ジェイコブスの都市論の骨格である「人が都市をつくる」というのはまさにその通りであり、人が豊かになるために都市はあるのであって、都市が豊かになるために人が犠牲になるのはおかしいし、そもそも都市が豊って何?(土地が金を生み出すということでしょうが)ということである。ただ、この映画をみると勇気づけられるし、インフラがある程度整備された後は、ハードではなく、このような保全とか人の行動をベースにしたソフトな都市空間づくりが求められることになるのであろう。
 ちょっと宣伝になってしまうが、私は「都市の魅力を構成する要素は何か?」というテーマで内外の有識者(ヤン・ゲールやらジャイメ・レルネルやらトーマス・ジーバーツやら隈研吾さんやら陣内秀信さんやら)に取材をしたのだが、彼らはほぼ異口同音に「人」と答えていた。もし、宜しかったら、下記から見ることができるので見てみて下さい。

http://www.hilife.or.jp/wmca/?p=7

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『エクス・マキナ』 [映画批評]

久しぶりに凄い映画を観た、というのがとりあえずの感想。2015年に公開されたイギリス映画。人間とAIとの騙し合い、というか相手の心(AIに心があればだが)の裏を読み合う、という展開が非常にスリリングで画面に強烈に引き寄せられる。まるで、チェスのように相手の真意を探り合い、また相手を騙すように誘導する会話群。これは、第一級の心理サスペンス映画である。さらに、この映画を傑出したものとしているのは、その素晴らしい映像美である。AIのエヴァ(アリシア・ヴィキャンデル)のセクシーさは、空山基が描くサイボーグのようである。アカデミー賞の視覚効果賞を受賞したのも納得させられる。ガーランド監督は、「登場した瞬間、他の映画に登場する他のロボットを思い浮かべない外見にすることを先ず重要視した」と話したそうだが、確かにとても斬新な外見であり、そしてとても魅力的でもある。これは、それを演じるアリシア・ヴィキャンデルの魅力とも繋がるであろう。映像美という点では、ネイサン社長の召使いをしているキョーコ(ソノヤ・ミズノ)というAIも大変美しく、その優雅な動きなどもヴィキャンデルとともに、AIという存在感の凄みを感じさせるような描写に繋がっている。2人の女優とも元バレリーナであるが、気弱そうな青年を演じる主人公といいキャスティングも絶妙である。また、映像美という点ではロケ地であるノルウェーのフィヨルド地域の自然美も素晴らしい。そして、何よりエンディングが痛快で、納得が行く。まあ、よく考えると不安な気持ちにはなるが、映画単体として観た場合、ストーリーは説得力があって読後感的なものは爽快である。私的には、『ブレードランナー2049』をも越えるほど面白かった。こういう作品にたまに出会ってしまうから映画は止められない。


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ブレードランナーのデッカードはレプリカントであることを知って、ちょっとがっかりする [映画批評]

ブレードランナーのデッカードはレプリカントかどうか。これは、「ブレードランナー」が1982年に公開されてからずっと映画ファンの間では議論となっていたテーマである。私は個人的に、いや、デッカードがレプリカントだとちょっと面白くないよな、という考えから人間でしょうと思っていた。人間がレプリカントのレイチェルに恋して逃避行、というシナリオは、話として魅力的であったからである。しかし、この映画界の大きなディベート・テーマについて、監督のリドリー・スコットはあっけらかんにレプリカントだよ、と次の動画で述べている。
https://www.youtube.com/watch?time_continue=340&v=jMG3fOsIBgA

しかも、この動画では、彼がレプリカントであることを視聴者に伝えるような工夫もしていることを述べている(ユニコーンの夢や折り紙を手にするときの描写で伝えようとしたようだ)。

そうだったのか。しかし、そうすると「ブレードランナー2049」で登場するデッカードとレイチェルの子供というのは、人間とレプリカントの混血ではなく、純粋にレプリカント同士の子供、ということになる。それはそれで衝撃的ではあるが、人間とレプリカントの子供というほうが、人間文明的にはインパクトが大きいと思われる。これまでの議論に終止符が打たれたのはいいが、ちょっとだけ落胆している自分もいる。



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菊次郎の夏 [映画批評]

1999年の北野武の作品。久石譲の作曲するメインテーマの「Summer」が非常に印象深い作品である。映画は前半部分こそストーリーもしっかりしていて、9歳の子供と、彼の母親探しを付き合うチンピラでハチャメチャの中年男性との珍道中で興味を引かれるが、母親との辛い再会の後は、グレート義太夫と井出らっきょというたけし軍団の中でも超いじられ役がひたすらたけし演じる主人公にサディスティックにいじられるという、テレビのバラエティ番組と同じような演出が延々と続き、面白くないとは言わないが、ストーリー性はない。完璧な内輪ノリであり、これでカンヌ国際映画祭に参加したということにちょっと驚く。映画としての構成力に関しては弱い作品であるのと、こういう情緒的な作品とたけし映画のバイオレンス性はあまり似合わないということにも気づかせられた。偽悪者を演じたらたけしは、相当いけると思うのだが、後半の部分の遊びがむしろ映画の質を落としてしまい、たけしの味までも殺してしまっている印象を受ける。


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ブレードランナー2049 [映画批評]

 ほとんど映画館に行かない私であるが、この作品は流石に映画館で観るべきであろうとわざわざ映画館にまで出向いて観た。いつもコンピューターの15インチの画面で観ているのと比べると、集中して映画の世界に没頭されるので有り難い。さて、映画に関してであるが、2019年(というか現在より1年後!)のブレードランナーの30年後の世界が舞台である。前作では、デッカードがレプリカントのレイチェルと逃避行へと旅立ったところで終わっている。
 ブレードランナー2049は、この2人の存在が非常に重要な、というか人間とレプリンカントとの関係を大きく変えるような役割を担っている話になっていた。前作にはなかったニュータイプのキャラとしてホログラムのヴァーチャルなジョイという女性?が出てくる。このジョイを演じるキューバ女優アナ・デ・アルマスはアニメ系の美少女で、相当魅力的である。
 そして新たなブレードランナーKとデッカードとのやり取り、ウォレス社で働くレプリカント、ラブとKとの壮絶な格闘、さらにデッカードとレイチェルの子供の存在など、続編は前編を収束させるどころか、一つの疑問の答えが見えると新たな疑問が提示されるようなストーリーになっている。ということで、確実に続々編がつくられることになると思う。あまり、感想にはなっていないが、この作品は次の続編を観ないと、最終的な感想を述べるのを躊躇させる。ある意味、中途半端であるともいえるかもしれない。

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『眺めのいい部屋』 [映画批評]

1986年のイギリス映画。この映画の見所はフィレンツェ、そして南東イングランドの田園地帯の風景の美しさであろう。特に前半のフィレンツェの映像は、その都市の魅力を見事に描き出している。主演のヘレナ・ボナム・カーターは、現在ではハリー・ポッターの超ヒールであるベラトリックス・レストレンジや、レ・ミゼラブルのテナルディエ夫人、さらにはティム・バートンの作品群でのあっち側に行ってしまったような役が多いので、そのようなイメージが強烈だが、この作品では初々しいお嬢さん役を見事に演じている。しかし、そもそも出自は銀行頭取のお嬢さんなので、昔はこれが彼女の地に近かったのであろう。そういう点でも興味深い作品である。あと、この映画の一つのハイライトとして男性群が聖なる湖(池)で裸になって戯れるというシーンがあるのだが、イギリス人も日本人の温泉のようなカルチャーがあるのかということを知った。もちろん、一般的ではそれほどないのでこのような映画のシーンになったのであろうが、裸で温泉などに入るということはもしかしたら、それほど文化的に外れていないような印象を受けたりもした。ただ、このシーンは、公開当時は倫理的な観点からカットされ、ジョージの開放的で素直な性格を表現した重要な場面が飛ばされてしまったので、その後のストーリー展開が分からなくなってしまったと思う。この点は残念である。あとDVD的には、日本語訳でコンスタンチノープルをトルコと訳しているのだが、コンスタンチノープルとトルコはちょっと違うのではないか、と違和感を覚えた。コンスタンチノープルは、東西文化の交流都市であり、トルコとはイメージが全然、異なる。日本で言えば、京都に行く、というのを日本に行く、と訳してしまったようなものなのではないか。他にも字幕の訳は、ちょっとエッと思う点が少なくはなかった。この点も残念。


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「サンダードーム」 [映画批評]

マッドマックスの「サンダードーム」を今さらながら観た。メル・ギブソンがマックスを主演した最後の作品として位置づけられるのかもしれないが、最新作の四作目の方が遙かに優れていると思う。ハラハラさせられるところもなければ、物語の展開に引き込まれるようなところもない。ティナ・ターナーは相当、魅力を放っていて、それに関してはプラス評価であったが、それ以外は、バギー・カーのデザインぐらいかな。オッと思ったのは。ということで、マッドマックスのシリーズの中では相当、今ひとつの作品なのではないでしょうか。というか、むしろ4作目の素晴らしさを再確認させるような作品である。それだけ駄作であるとも言えるかもしれない。

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マッチポイント [映画批評]

ウディ・アレンの2005年の作品。「ミッドナイト・イン・パリス」、「ローマでアモーレ」、「それでも恋するバルセロナ」など、ヨーロッパ大都市ロケ編の嚆矢となるロンドン版。相当、ハラハラさせられる展開に、ちょっと驚きの結末。いや、この結末は「ウディ・アレンの重罪と軽罪」と似ているので、それを観たことがあると、それほどまでは驚かないかもしれないが、そうでないとやられたと思うかもしれない。映画の重要なシーンにて流れるオペラが重苦しく、アレンのシニカルな側面が強烈に出た作品ではあるが、そのストーリーの組み立ては素晴らしく、画面に引き込まれる。しかし、このシニカルさはアメリカ人的ではなく、むしろこの映画の舞台となったイギリス人的である印象を強く受ける。


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人生フルーツ [映画批評]

映画「人生フルーツ」を観る。高蔵寺団地や東京の杉並区の阿佐谷団地などを設計した、都市計画家津幡修一さんと奥さん英子さんとの郊外での生活を描いた作品である。
 その暮らしぶりは、スローフードであり、サステイナブルであり、自然と共生しており、アンチ消費主義であり、そして何より高齢者であっても自立している。この郊外における田園生活は素晴らしい。一つの理想の暮らし方といってもいいであろうし、それはまさにエベネザー・ハワードが田園都市論で提示した「都市と農村の結婚」とでもいうべき美しいライフスタイルである。その暮らしを自らが設計した高蔵寺団地で実現させている津幡夫妻は流石であるし、この暮らしと、実際の日本の郊外のニュータウンの「貧相な」暮らしとを対比すると、その違いとに愕然とさせられる。
 私は以前、日本において郊外住宅地がアメリカのように不動産価値を得ることができなかったのは、郊外のライフスタイルという商品を価値あるものとして人々に訴えることができなかったからだ、と書いたことがある(「米国で始まった郊外の再生」Future of Rear Esatate, 2003 Autumn)。しかし、この映画で描かれている津幡夫妻の暮らしは、まさにこの人々が理想としたくなるような郊外生活を自らが設計に携わった高蔵寺ニュータウンで実現させているし、具体化させようとすれば出来ることを知らされて、まさにショックを受けた。
 私は大学の教員になる以前、コンサルタント会社で働いていたが、直属の上司が「郊外論」で名を知られた三浦展氏であり、彼の舌鋒鋭い郊外批判に強い影響を受けてきた。また、90年代前半にアメリカの大学で都市デザインを学んだのだが、その当時、ニュー・アーバニズムが論説を席捲しており、その郊外批判にも随分と影響を受けた。
 したがって、郊外は人間らしく住むには適していない環境であると今まで、思っていたのだが、そのような考えが浅薄であったことが、この映画、というか津幡夫妻の暮らしぶりによって思い知らされることになる。彼らの暮らしは、溢れるほどの「豊かさ」に満ちている。そして、その「豊かさ」は大都市ではとても得られることができない。
 それでは、なぜ、多くの人達はこのような「豊かさ」を郊外において実現できないのであろうか。それは、やはり、その開発のあり方に問題があったと思うのである。住宅開発をすることで、少しでもお金を儲けようといったインセンティブが優先され、そこで暮らす人が素晴らしい生活を送るうえでの舞台、環境といった考えが二の次になってしまったことが原因ではないだろうか。少なくとも津幡氏のように、そのような「豊かな」生活環境を設計できる優秀な設計者がいたのである。それなのに、そのような設計が二の次になり、効率性や採算性といったことが優先されてしまったのではないだろうか。広告の中だけの「豊かさ」だけを求めて住宅を購入し、消費者然として自ら「豊かさ」を創造しようとしなかった住民にも問題があるのかもしれない。津幡夫妻の「豊かさ」をつくりだしているのは、間違いなく、この夫妻であるということも映画は見事に描写している。
 東京では、彼がマスタープラン設計に携わった阿佐ヶ谷住宅が、最近、再開発のために壊された。阿佐ヶ谷住宅のその住宅の質の高さは、私も指摘してきたが、それに関しては、東京大学の大月教授が鋭く指摘している。ちなみに、郊外論批判の三浦展氏も阿佐ヶ谷住宅は絶賛している。そのような素晴らしい住宅でさせ壊され、野村不動産のマンションが建ってしまうのである。阿佐ヶ谷住宅は素晴らしい公共性を有していた。現在は、それらの公共性は失われてしまっている。そのような公共性を犠牲にする開発を進めさせる行政にも問題があるだろう。
 「人生フルーツ」に心を揺さぶられたならば、今でもまだ多少残っている、これら「豊かな都市空間・生活空間」を維持することに力を入れるべきではないだろうか。立石駅の南口の商店街などや、下北沢の駅前(これはもうほとんど臨終状態かもしれないが)などの開発も、そのような「豊かさ」を破壊する都市開発行為であるだろう。
 観る者に感動を与える素晴らしい映画作品であると思うが、同時に、津幡夫妻の生き様は、現在の我々の置かれている状況を鋭く批判しているとも捉えられる。

下記HP参照。
http://life-is-fruity.com

IMG_9263.jpg
(この素晴らしい公共性を有した「素晴らしい生活環境」の阿佐ヶ谷住宅も結局、壊されてしまった)

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パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊 [映画批評]

機内でパイレーツ・オブ・カリビアンの5作目、『パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊』を見た。あまり期待もしなかったのだが、単純に楽しめた。ジェットコースターに乗ったような感覚とでもいえばいいのだろうか。心に残るようなシーンも感動するようなストーリーも一切なかったが、なんかすっきりと楽しめる。少年ジャンプの漫画の方が内容も濃いような気がする中身の無さだが、まあ、たまには頭を空っぽにして楽しめるような映画も悪くはないかもしれない。100%娯楽作品ではあるが、娯楽作品の中では質は高いような感想を抱いた。ハリウッド映画の典型であるような作品であろう。

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ティファニーで朝食を [映画批評]

 オードリー・ヘップバーン主演の1961年の映画を、今さら観た。自由気ままに無責任に生きる主人公のホリーの生き様、そしてオードリーの演技は、私の年齢のせいなのかもしれないが、まったく惹きつけるものもなく、なんでこのような女性に男性が惹きつけられるのかを理解するのが難しかった。しかし、おそらく1960年代という時代においては、彼女のように解放された女性というのはステレオタイプを打破した魅力的な女性と映ったのであろう。日本では『東京ラブストーリー』の赤名リカが、当時、女性の新しい生き方を日本人に提示したかと思うが、そのようなインパクトをホリーもアメリカ社会に与えたのかもしれない。ということで、1960年代のアメリカの世相を知るうえでは、興味深いかもしれないが映画は個人的には面白いものではなかった。
 あと、このホリー役のオードリー・ヘップバーンはミス・キャストだと思う。男を振り回す頭は軽いが魅力的な女性という役にオードリーは不適である。あの鼻筋が綺麗に通って、深遠力があるような魅力的な眼は、どうしても知性を感じさせてしまう。というか、本人は英語以外にも4ヶ国語を操り、晩年をユニセフの仕事に捧げる、などホリーとは似ても似つかぬキャラである。演技をさせる、といってもどうしてもその人の本質のようなものが滲み出てしまうだろう。これはマリリン・モンローが演じたら、むしろもっとずっと作品としても説得力があって魅力的なものになったのではないか、と思わずにはいられない。
 さて、この映画のもう一つ興味深い点は、映画の流れからは本質的ではないが、日系人(日本人)ユニオシの存在である。怒りっぽく、信用できず、黒縁、出っ歯、低身長といったユニオシの演出は、当時のアメリカ人の悪意というか侮蔑的な日本人のイメージが描かれていて興味深い。私は少年時代、アメリカで過ごしたので、こういうように日本人がアメリカ人に見られているということはよく理解できるが、日本人はちょっとこの点についてあまり自覚していないと思われるので、この映画は1960年代のものではあるが、我々はこのような差別対象であるということは理解しておいた方がいい。差別をされる側にいることを理解すれば、中国人を差別する気持ちがいかに醜悪であるかが分かるであろう。
 あと、もう一つ、この映画で唯一、いいかなと思ったのは、映画全般を通して流れる「ムーン・リバー」である。特にヘップバーンが歌う「ムーン・リバー」の場面はよかった。それを除くと、アメリカ研究者かヘップバーン・ファン以外は他の映画を見たほうがいいような気がする。


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セントラル・ステーション [映画批評]

 映画はそれほどではないが、人並みに観る方だと思う。私は集中力がないので、なかなか映画を2時間、見続けることが苦手である。しかし、この1998年に制作されたブラジル映画には本当に惹きつけられた。心を揺さぶる力を有した傑作である。こういう映画を観ると、映画の持つ凄まじい力を思い知らされるし、映画は素晴らしい芸術であるとも思う。ただ、問題は滅多にそういう映画に出会えないということだが。
 本作品を魅力的にしているのは、主人公のフェルナンダ・モンテネグロの演技であることは間違いない。小悪人ではあるが、根っからの悪人にはなりきれない。そして、心の底にあった良心というか優しさに突き動かされて行動していると、最後にその暗闇に被われていた心に光が点る。生きていくのも厳しいブラジル社会の中、このような良心が人にあるということが、明日への希望へと繋がる。観た者の心にも小さな光を点す感動的な作品である。また、この映画はロード・ムービーでもあり、リオデジャネイロの街並み、ブラジルの荒野、ブラジルの片田舎などを主人公と一緒に旅しているような気分にもさせてくれる。これも、日本人にとっては大きな魅力であると思う。


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ゴースト・イン・ザ・シェル [映画批評]

スカーレット・ヨハンソン主演の実写版ゴースト・イン・シェルを観る。アニメの「ゴースト・イン・ザ・シェル」は素晴らしい傑作であると思う。ということで随分と期待をして観た。さて、ストーリーはアニメ版とは結構、違うものとなっていたが、それなりに楽しめた。特に、香港のような近未来的な都市の描写は素晴らしく、ブレード・ランナーの都市描写を初めて見たときと同じような感銘を覚えた。総じて、映画は楽しめたのだが、本質的ではないところで2点ほど。一つは、スカーレット・ヨハンソンは現在を代表する女優であるが、私はどうしても彼女がそんなに美人に思えないのだ。いや、演技は上手いし、あの低音の声はなかなか色っぽいとは思ったりもするが、どうも鼻の膨らみが美人の条件を満たしていないように思ってしまうのだ(本当にどうしょうもないことを書いて申し訳ない)。あと、タケシと桃井かおりという日本勢が出演していて、私も観ていて嬉しくなったりするのだが、演技がずれているような印象を受ける。これは、おそらく彼ら、彼女らの演技が今ひとつなのではなく配役ミスなのではないかと思う。特に、桃井かおり特有の気怠い演技は、ストーリーから緊張感を削いでしまっている。せっかく、秘密を解く鍵となるようなクライマックス的場面なのに、この点はもったいないことをした印象を受けてしまった。これは、バトー役のピルウ・アスベックがまさに嵌まり役であるのと極めて対照的である。

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『帰ってきたヒットラー』 [映画批評]

この映画は凄い。2012年に著された小説をもとに2015年に映画は公開された。ヒットラーというドイツ最大のタブーを直視しない「ポリティカル・コレクトネス」を意識し過ぎていることで、ドイツ社会はむしろ欺瞞的になっていることを風刺する、という視点が極めて刺激的であるが、何より、現在のトランプのアメリカの状況を予言しているかのようなストーリーに引きずり込まれる。映画の最後の方で「私を選んだのは国民である。選挙をやらないとでも言うのか」とヒトラーが語るのだが、それはまさにトランプ大統領を選んだアメリカのことを示唆しているかのようである。トランプのハチャメチャから目が離せない私は、そういう視点でこの映画を見て大いに楽しませてもらったが、そのような問題意識がない人にとっても単純に楽しめるようなストーリー展開になっており、見て決して後悔しないであろう。個人的には久しぶりの大ヒットであった。

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東ベルリンから来た女 [映画批評]

ドイツ映画らしい重厚な作品。医師という職業倫理を優先させるのか、恋人との自由社会での将来を取るのか。社会主義という雁字搦めの社会の中で、いかに自分の意志を貫き通すことができるのか。その葛藤の中で揺れ動く女医を演じるニーナ・ホスの演技は、観るものにも緊張を与えるほどの存在感を放つ。ただ、映画はその後の展開が予断を許さないような状況で終わってしまう。その後、どうなるか大変気になる。1980年を舞台にした作品だが、その10年後に壁が崩壊して、この旧東ドイツの監視体制も瓦解する。人類の歴史は、人間性を抑圧しようとする動きと、それを押し返そうとする動きとの不断なる対立の歴史なのだな、と共謀罪が議会を通った国に住む人間としては鑑賞後、感慨深い思いを持ったりした。

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『新幹線大爆破』 [映画批評]

高倉健、宇津井健の名優の演技は素晴らしい。全般的に話のリアリティには欠けるし、速度が遅くなると爆発するという新幹線に仕掛けられた爆弾といった全体的なストーリーは優れてはいても、個々のストーリーのシナリオは陳腐ではあったが、それを補う俳優達の演技と音響を含めた演出は最後までスリリングな緊張を観るものに維持させる。ただ、最後の終わり方はないであろう。おそらく、どのように終わらせるのかがいろいろと議論があったのかもしれないが、尻切れトンボになってしまった印象は拭えない。途中まではわくわく観ていたところもあったが、エンディングで脱力をしてしまった。


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